第27話
「まだ何か?」
ドキドキしながら振り返ると、スティルグは俺の腰の剣をじっと見る。
「お前の差し料、かなり格式の高いもののようだな」
「これはウィルベルニルだ」
そう答えた瞬間、スティルグ将軍の表情が変わる。
「ウィルベルニルだと!?」
周囲のサイダル兵のうち、騎士階級の連中が明らかに動揺している。視線や表情が落ち着かなくなり、彼らの視線がスティルグの方に集まる。
「エンド卿よ、お前は自分が何を言っているのかわかっているのか? ウィルベルニルが何だかわかっているのか?」
「シュテンファーレン家に伝わる宝剣。槍の穂先を擦り上げたものだと聞き及んでいる」
日本刀でも長刀や太刀を短刀に擦り上げたものがあるらしいから、こっちの世界でもそれぐらいはやるだろう。別に珍しいものでもない。
しかしスティルグは身を乗り出してきた。
「その剣、見せてもらいたい」
おいおい、ここで俺が剣を抜いたらまずいことになるだろうが。かといって鞘ごと渡すのも怖いぞ。
隣にいるカナティエが小さな声でそっと告げる。
「どうなろうとも御安心くださいませ。この一命に代えてもお守りします」
「ありがとう」
カナティエの言葉で俺は少し落ち着きを取り戻した。前世で少しばかり剣道を嗜んだ俺が、慣れない直剣で戦争のプロたちと渡り合えるはずがない。つまり剣を預けなくても俺は丸腰同然だ。
俺は剣帯から鞘を外す。
「盗むなよ?」
「盗みはせん。紋章官、あれを鑑定しろ」
サイダル側の紋章官が進み出てくる。初老の紳士だ。
「お腰のものをお預かりします。御心配なら代わりの剣を御用意しますが」
「いえ結構。さすがに紋章官を斬るほど愚かではありますまい」
俺は不敵に笑ってやる。敵味方とはいえ紋章官同士、この言葉の重みは伝わるだろう。
サイダルの紋章官はうなずき、それから懐から布を広げる。そして布越しに宝剣ウィルベルニルを受け取った。
「では失礼いたします。……むっ!?」
拵えを一瞥しただけで紋章官の表情が変わる。彼は慎重に鞘から剣を抜くと、切っ先を誰にも向けないように注意しながら刀身をまじまじと見つめた。
「伝え聞く通り、なんとも禍々しい……」
宝剣ウィルベルニルの刀身には溝が彫られていた。血抜きの溝だろう。かなり実用を意識したものらしく、溝はかなりしっかりしていた。深めで太い。
スティルグ将軍も食い入るようにウィルベルニルを見つめている。
「厚みのある刀身は重さで甲冑を叩き潰すため。先細りの刀身は貫いた敵の体から容易に引き抜くため。ただただ敵を殺すためだけに作られた刃よ。古代の覇王が実戦で愛用したという言い伝えも信用できるな」
それから彼は紋章官に問う。
「で、これは間違いなくウィルベルニルなのか?」
「ほぼ間違いございません。拵えも刀身も伝え聞く通りです。ユナトの王室紋章官が佩いているとなれば、もはや疑うのは非礼かと」
「むう……」
スティルグ将軍は低い声で唸る。なんなの? 家宝の剣なんかどこの王室にもゴロゴロしてるだろ?
「その剣を今すぐに紋章官に返してやれ。こんな薄気味悪い剣、近くにあるだけで武運が陰るわ。さっさと持って帰れ」
人の剣を勝手に見ておいて何て言い草だ。
……とは思ったけど、帰っていいのなら帰らせてもらおう。命あっての物種だからな。
俺は再び宝剣ウィルベルニルを腰に佩きつつ、文句を言わせてもらう。
「人の剣を見せろと言っておいて、ずいぶんな言い草だな。一軍の将が満足に礼も言えぬのか」
「何を偉そうに……」
スティルグ将軍は渋い顔をしたが、彼もれっきとした貴族なので不承不承礼を言う。
「貴重なものを拝し誠に恐悦至極、感謝いたす。さあ、これでよかろう」
良くはないけど、まあいいか。俺はニコリと笑う。
「ではまた」
「縁起でも無いことを抜かすな」
最後の最後まで酷い言われようだな……。
* *
サイダル軍の陣地では、総大将のスティルグ将軍が首を傾げていた。
「先ほどの紋章官、エンドとか申したか。聞かぬ名だな?」
彼の紋章官がうなずく。
「はい、おそらく平民上がりの一代貴族でしょう。ユナトが新たに紋章官を多数任命したと聞いておりますが、その中にそのような名があったかと」
「なるほどな。だが平民上がりの若造に王家の家宝を持たせることなど信じられぬ」
「覇王の魔槍『ウィルベルニル』ですからな。シュテンファーレン家が覇王の末裔であることを示す貴重な品です」
紋章官はそう言い、声を潜めて続けた。
「そしてあのような曰く付きの剣を見せびらかしたこと、軽く見てはなりませんぞ」
「わかっておる。『戦場でウィルベルニルを見た将は必ず死ぬ』のであったな。そしてここは戦場だ」
スティルグ将軍は不快そうな表情を隠そうともしない。
「使者の礼装に、よりにもよってあのような魔剣を佩かせたのだ。ユナト王も怒り狂っておるのだろうな」
サイダル人たちはユナト王がウィルベルニルを娘にくれてやったことなど全く知らないので、魔剣の誇示は国王の意思だと勘違いしている。
あいにく、それを正してくれる者はいない。
そこに別の将軍がやってくる。こちらも厳つい中年男性だ。
「ガソー殿、ユナトの使者が来たそうだな」
「おう、ハンマネル殿。だが先ほど帰ったぞ」
ハンマネル家の一門衆である将軍は、広間の床にどかりと腰を下ろす。
「ガソー殿の気性なら、使者を叩き斬るかと思っていたのだが」
「さすがにやらん。今は時間を稼がねばならんからな。だが、斬るつもりでもあれは無理だ」
ハンマネル家の将軍が怪訝そうな表情になる。
「うん? それはどういうことかな、ガソー殿?」
「やってきた紋章官は平民上がりの若造で、どう見ても捨て駒だった。だがその若造、魔剣ウィルベルニルを腰に佩いていたのだ」
さらに怪訝そうな顔をするハンマネル家の将軍。
「……冗談にしてはぞっとせんな」
「冗談ではないぞ。正真正銘、あの覇王の魔槍だ」
「万舟湾を赤く染めたという、あの伝説の覇王のか? シュテンファーレン家の始祖の?」
「そうだ」
沈黙するハンマネル家の将軍。
「戦場で覇王の魔槍を見て、生き残った将はおらぬというぞ。ガソー殿、これはユナト王直々に死を告げてきたとみるべきだろうな」
「そういうことだ。ウィルベルニルを佩いていた平民上がりの紋章官も肝が据わっていてな、敵陣で丸腰になることにまるで頓着していなかった」
「ほう!」
スティルグ将軍の言葉に、ハンマネル家の将軍は感嘆の声をあげる。
「それはなかなかに豪胆な平民もおったものだな。ユナト王が魔剣を託したことといい、どう考えてもただ者ではないぞ」
「俺もそう思ったゆえ、斬らずに帰した。だが今は後悔している」
「なぜだ?」
するとスティルグ将軍は苦々しげに言葉を吐き出す。
「『お前を殺す』と言外に告げられて、その使者を生かして帰す騎士など恐ろしくもあるまい。叩き斬って俺の覚悟の程を見せつけてやるべきだった」
「それはそうかもしれんが……」
ハンマネル家の将が溜息をつく。
「後詰めの兵が到着しておらぬ以上、今はまだ籠城戦ができん。ガソー殿の判断は間違っておらんぞ」
その言葉にスティルグ将軍の表情が変わった。一介の武人から、一軍を預かる将へと変化する。
「あの臆病者どもめ、野戦築城が完了せぬ限り渡河はできぬと申してきおったからな」
「野戦築城のために人手が必要なのだぞ。順序が逆であろうが」
ハンマネル家の将軍は再び溜息をつく。
「やはり、貴殿が陛下と反目しておるせいか」
「そうかもな。最初の防衛は手勢でやらねばならぬかもしれん」
「言っておくが、うちの工兵たちに期待するなよ。あいつらは熟練工だが、白兵戦ではそこらの兵士と何も変わらん」
「わかっている。そのためにガソー家の兵力をありったけ動員した」
スティルグ将軍はそう言い、ゆっくり立ち上がる。
「防壁の補強を急がせろ。敵はおそらく向こうの丘陵に兵を隠している。紋章官もあの丘陵から来て、また帰っていった」
「かなり近いな。大砲でも据え付けられると厄介だ」
「わざと隙を見せておいたので、すぐにでも敵の第一陣が来るだろう。それを撃滅し、陛下に後詰めを催促すれば良い。『ぐずぐずしていると好機を逃しますぞ』とな」
「それしかないか。やれやれ、陛下もこんなときぐらいは貴殿を助ければ良かろうに」
ハンマネル家の将軍も立ち上がった。
「敵の攻城兵器が何であれ、我が工兵が食い止めて時間を稼ぐ。あの防壁と工兵たちは盾だ。貴殿は剣を振るえ」
「承知した。……すまんな、こんな損な役回りで」
スティルグ将軍が苦笑すると、ハンマネル家の将軍は首を横に振った。
「工兵というのは元々そういうものだ。だが貴殿が戦死したら我々は降伏させてもらう。それは忘れるなよ」
「承知した。ではせいぜい生き延びてやるとしよう」
反骨の武将は不敵に笑い、甲冑を鳴らしながら歩き出した。




