第26話
「では参りましょうか」
フルフェイスの兜まで被って全身をすっぽり覆い尽くしたカナティエが、ユナト王家の旗を掲げて俺を待っている。彼女は細身なので鎧を着てもどこかヒョロっとしているが、体型が隠れているので女性だとはわからない。
「はい。護衛をよろしくお願いします、カナティエ殿」
「我が身に代えてもジュナン殿をお守りいたします」
表情は読めないが、カナティエの声は普段通りだった。やはり肝が据わっている。そこらへんの兵士よりよっぽど頼りになりそうだ。
見送りのメステスが不安そうに俺に言う。
「二人とも、危険を感じたら任務なんか途中で放棄してもいいんだ。『使者が身の危険を感じたので交渉はできなかった』というのは、それはそれで大義名分になるんだから」
「ありがとう、メステス。本当に危険だと思ったらそうするよ」
幼なじみの優しい言葉に少し救われる。俺を捨て駒にする人間もいれば、こうして心の底から心配してくれる人間もいる。異世界でも人間は様々だ。
姫もその言葉にうなずいた。
「ジュナンもカナもかけがえのない家臣、我が覇道の礎となる人材だ。こんなところで失う訳にはいかぬ。だいたいおぬしらが戻らねば、今後はメステスと二人でやっていかねばならんのだぞ」
「おやおや。不満そうですね、姫」
メステスが笑うので、姫も笑い返す。
「おぬしの人脈と知恵には助けられているが、舌鋒が鋭すぎるのがな……」
そんな二人のやりとりがおかしくて、俺もカナティエも思わず笑ってしまう。
「確かに俺たちが死ぬと姫が困りますね。ちゃんと帰ってきますよ」
「うむ、必ず生きて戻れよ」
姫とメステスは俺たちに手を振り、俺たちはそれぞれの馬に乗る。
わずか二騎で敵陣に向かうことになったが、不思議と恐怖心はなかった。何の根拠もないのに、二人とも無事に帰れる気がしたからだ。
これも姫の人望なのかもしれないな。
街道を進んでいくと、ルマンデの船着き場が次第にはっきり見えてきた。宿場の建物を中心として、あちこちに木の塀を建てて要塞化するつもりのようだ。
「ジュナン殿、あれぐらいなら大砲があれば落とせるでしょうか」
「大砲の数が揃えば可能だと思いますが、火薬代と砲丸代を考えると頭が痛くなりますね」
一発で庶民の月収が吹っ飛ぶお値段なので、そうそうポンポン撃てないと思う。
「それに火薬の原料になる硝石が貴重なので、あんまり備蓄がないんですよ」
「では力押しになりますか?」
「そうならないために俺たちが行くんですよ。ところで今も討ち死にしたいとお考えですか?」
俺がちょっと意地悪に尋ねると、カナティエは首を横に振った。
「いいえ。主命で討ち死にすれば武門の誉れでしょうが、姫はそれをお望みではありません。姫の紋章官たるジュナン殿を守り抜いてこその武人にございます」
今の彼女からは迷いも焦りも感じられない。ただ淡々と死地に赴く武人の気風が感じられた。頼もしい。
俺はニコッと笑う。
「ありがとうございます。カナティエ殿がついてくださるのでしたら千人力ですよ」
一騎で千騎分の働きをしてくれるらしいからな。さっきそう言ってただろ。
するとカナティエが兜の下から苦笑を漏らす。
「もう、それは忘れてくださいませ。ですが勇気と忠義だけは千騎の武者にも匹敵しましょう」
やっぱり頼もしいな。
やがて俺たちは敵陣の城門前にたどり着く。簡素ではあるが板塀が組まれており、これでは矢も槍も通らない。
宿場の物見櫓から敵の弓兵が叫ぶ。
「何者だ!」
俺は馬上から堂々と応じる。
「シュテンファーレン家より参った、紋章官のジュナン・エンドと申す! 貴軍の総大将にお会いしたい!」
「帰れ!」
ヒュッと風切り音がして、少し離れた場所に矢が刺さる。ギリギリを狙って俺に当たると非常にまずいことになるので、だいぶ遠慮したらしい。
この程度なら怖がる必要はないな。
俺はこの非礼を咎める。
「紋章官に矢を射るとは何事か! サイダル兵は戦の作法も知らぬと見えるな!」
すぐに敵陣が騒がしくなり、やがて城門が開く。
ずらりと並んだ敵兵が槍を携えて整列していたが、俺は意に介さず堂々と馬を進めた。
「出迎え御苦労」
刺すような敵意を感じつつも、そんなものにはいちいち動揺しない。いや本当は怖いのだが、乱世ではビビったヤツから死んでいく。弱そうだと思われるのが一番危ない。
こちらの予想通り、敵は船着き場近くにある宿場を板塀で囲って簡易な城塞にしていた。板塀そのものは日本の合戦でも用いられた「置き盾」を大型化して並べており、支えを杭で固定している。簡素な造りだが、これを破壊するのは大変だろう。
するとカナティエがそっと囁く。
「あの壁、内側から押す力には弱そうです」
「確かに。内側に倒れないようにしているだけですから」
ただ人力で押し倒すのは難しいだろう。外側から縄でも掛けて、数人で引っ張れば倒せるかもしれない。
サイダル軍もそれは承知しているので、今は一生懸命補強しているところだ。兵の大半は警備よりも工事に駆り出されている。
「思ったより貧弱な軍勢だな……」
旗指物の類はやたらと多いが、兵の数はそれほどでもなさそうだ。こけおどしだな。
おまけに丸腰の兵士が多い。兜と胸甲で兵士だとかろうじてわかるが、作業に邪魔な剣を吊していない者が多かった。
考えてみれば、この短時間で板塀を張り巡らしているんだ。こいつらは野戦築城のために派遣された先遣隊なんだろう。後詰めの到着前に叩けば勝てるかもしれない。
他に何か有益な情報はないかと見ていると、視界の片隅に何かが見えた。
「あれは……」
宿場から少し離れた場所にサイダル軍のゴミ捨て場らしい一角があり、穴を掘って糞尿や残飯などを捨てている。
そこから人間の手足が見えたのだ。
カナティエもそれに気づいたらしく、兜の下で息を呑む声が聞こえる。
「なんてむごいことを……」
「宿場にいた行商人たちでしょう。まさか、発覚を遅らせるためだけに殺されたのか」
なんてことをするんだ。
この時代、軍隊は敵味方の区別なく民間人を殺傷することが多い。後々面倒なことになる場合は指揮官が禁止するが、そうでなければ略奪も殺傷もやりたい放題だ。それが目的で兵士になる連中もいる。
「どこの誰かはわからないが、仇は必ず取ってやる」
建物の陰になってもう見えなかったが、俺は心の中で犠牲者の冥福を祈った。
クソ侵略者どもめ、見てろよ。
「俺がこの軍を預かる将、スティルグ・マニ・ガソーだ」
一番立派な宿屋のロビーで、甲冑姿の中年男性がふんぞり返っていた。壁のあちこちに赤茶けた血痕が飛び散っているが、それを気にする様子もない。
周囲には完全武装の騎士や兵士たちがひしめいており、俺たちを睨みつけていた。殺気を隠そうともしない。
そしてスティルグ将軍が俺たちを馬鹿にしたような目で見る。
「シュテンファーレンの使者とやら、何の用だ」
それはこっちの台詞だよ、クソ野郎。何しに来やがった。
文句を言いたい気持ちをぐっと抑え、まずは丁重に用件を申し伝える。
「当地がユナト領であることは承知のはず。なにゆえこのような狼藉を働くのかお答え願いたい」
「ああ、ふん」
めんどくさそうな顔をして、スティルグ将軍は答える。
「狼藉だと? それはこちらの言い分だ。サイダルの漁民に対してユナト人どもが狼藉を働いたから、やむなく領民保護のために動いたのだ。サイダルに非はない」
狼藉? ああ、こないだリュジオン河で双方の領民同士が揉めてたな。あんなのどこでもやってることだぞ。俺の故郷でも隣村とは里山の境界線などでずっと揉めてたが、領主たちは知らん顔だった。
要するにそんなものは口実に過ぎない。
「領民保護なら、まずはシュテンファーレン家にその旨を申し入れるのが道理であろう。どのような理由であれ、ユナトの地にサイダル兵を踏み入れさせることは認めぬ」
「サイダルの民はサイダルが守る。ユナトの指図は受けぬ」
取り巻きに囲まれてるせいか、ずいぶん強気だな。悔しいがスティルグ将軍の気分ひとつで俺たちの命なんか簡単に消し飛ぶ。ここは敵地だ。
しかしそれでビビっていたら紋章官は務まらないので、俺は重要な点を確認しておく。
「では貴軍の目的はあくまでも領民の保護であり、ユナトを侵略する意図はないのだな?」
返事はない。おい、なんとか言えよ。
俺はフッと笑う。
「スティルグ殿。そこは嘘でも『そうだ』と言わねばならぬところではないのか?」
「小賢しいことをぬかしおるわ。ああ、そうだ。侵略の意図などない」
白々しい嘘だが、建前というのは大事だ。
俺はもっともらしくうなずいておく。
「承知した。ではそのように申し伝えよう」
見たところ、サイダル軍は野戦築城にまだ時間がかかるようだ。ユナト側も攻城戦の準備が整っていないが、サイダル軍はそれを知らないので相当焦っているだろう。
ウルリス王太子にすぐ報告して、全軍で一気に押し込めば勝てるかもしれない。
「ではサイダル側の主張を持ち帰って検討するので、これ以上の進軍は謹んでいただきたい」
どうせ進軍する余力はないだろうが、気づいていないふりをしておく。
スティルグは一瞬、ニヤリと笑った。
「よかろう」
よし、針に食いついたな。あと無事に帰れそうでラッキー。
俺がいそいそと背中を向けたとき、背後から声がする。
「待て」
嫌な予感。
まさか、ここから急展開ってことはないよな? ないよね?




