第24話
こうして俺は渡河してきたサイダルの侵略軍に、ユナト王家からの使者として御挨拶に伺うことになった。実質的に捨て駒である。
「すまぬ、ジュナンよ。あの場で固辞することもできたが、誰かが遣わされることは避けられぬ。それをわかっていて固辞することはできなかったのだ」
姫が申し訳なさそうにしているので、俺は無理して笑ってみせる。
「敵方への使者は紋章官の大事な役目です。本来の仕事をするだけですよ」
正直、良い落とし所だとは思う。俺はユナト王国の人材としては末端もいいところで、戦力としてほとんど期待されていない。
だが正式な紋章官であり、王女付なので最低限の格式も備えている。
「俺はちょうど良い捨て駒です。生きて帰れば功績になりますし、死んだところで大して惜しくは……」
そう言いかけたとき、俺は下から胸ぐらを掴まれた。
「二度とそのようなことを言うでないぞ。私の紋章官を侮辱する者は、例え紋章官本人であろうとも容赦はせぬ」
姫の表情は真剣そのもので、とても強い圧を感じさせるものだった。まさかここまで本気になってくれるとは。
俺は居住まいを正し、姫に詫びる。
「申し訳ありません、姫。そのようなつもりではなかったのですが」
「よい。私を慰めようとしてくれたのはわかっている。わかっているが、それは慰めにはならぬのだ」
姫の瞳がちょっとだけ潤んでいた気がするが、気のせいだろうか。
「感傷的になっている暇はないな。ついて参れ」
姫は俺の手を引っ張ると、丘陵の斜面をぐいぐい登っていく。傾斜は緩やかなので大したことはないが、頂上に着く頃には姫の息が上がっていた。
「はあ……はあ……あの、あれだ……あれを……はあ……みよ……」
「ああ、ルマンデの船着き場が見えますね」
丘陵のてっぺんからは、一キロほど先の船着き場が肉眼でも見えた。見下ろす形になっているので、敵勢の動きがよくわかる。
「敵方の旗印を確認しました。ガソー家とハンマネル家です。細かい意匠がわからないので誰かはわかりませんが」
「ガソー家は私も知っているぞ、サイダル王の有力家臣だな。今のサイダル王とは不仲らしいが。ハンマネル家はわからん」
姫が首を傾げているので、俺は紋章官としての基礎知識を披露する。
「ハンマネル家はサイダル地方の土着勢力ですね。槌と斧の意匠は、広大な原生林を開拓した誇りだとか。そのせいか土木に長けていて、熟練の工兵隊を保有しているそうです」
日本史で言えば国人衆みたいなもので、サイダル王家よりも歴史が古い。発言力も高く、サイダル王も手を焼いているようだ。
俺の説明に、姫が納得したようにうなずく。
「なるほど、適任であるな」
有力家臣と工兵隊の指揮官。渡河作戦を任せるには適任か。
なんせ遠いのでよく見えないが、人がわらわら動いているのはわかる。
「やはり野戦築城を急いでいるようですね。兵力の大半は資材の組み立てに回されているように見えます。平地では戦えませんから」
「うむ、だが……やっ……野戦築城が、終わる……のは、おそらく明日以降であろう」
息を整えた姫がそう言い、俺を見つめる。
「今日はまだこちらの攻撃準備が整わぬ。かといって明日まで何もしなければ、我らは木の柵と塀を備えた敵陣に突撃せねばならぬ。手をこまねいている訳には参らぬのだ」
「わかっています。敵の情報を少しでも持ち帰るため、生きて帰ってくるつもりですよ」
「頼むぞ。護衛にはカナをつける」
「それは……」
俺は言いよどむ。
「おやめになった方がよろしいかと。最悪、姫の側近がメステスだけになってしまいます」
「そうならぬようにカナをつけるのだ。私の配下で最も腕が立つのは、間違いなくカナであろうからな。戦力を惜しんでいる場合ではない」
それから姫は俺を睨んだ。
「よもや、私の紋章官にまともな護衛などいらぬとは申さぬであろうな?」
凄い圧力だった。とてもじゃないが逆らえない。
俺は渋々うなずく。
「申しません」
「それでよい」
フンスと鼻を鳴らして、姫は腕組みをする。
「生きて戻れ。それ以外は何も求めぬ」
「承知いたしました。カナティエ殿と共に、必ず生きて戻ります」
ちょっと自信ないけどな……。
帰ろうとしたとき、ウルリス王太子が近衛をぞろぞろ連れてやってきた。
「ああ、ちょうどいいな。そこにいたのか」
「これは兄上」
姫が少し緊張した面持ちで頭を下げる。俺も倣った。
「ここは戦場だ、堅苦しい作法はやめにしよう。それよりもすまなかったな、エンド卿よ」
俺?
王太子は苦笑してみせる。
「そなたを捨て駒に選んだのは事実だ。恨んでくれて構わぬ。だが、生きて戻れる可能性が一番高い者を選んだのも事実だ。そなたならむざむざと殺されるようなことはあるまい」
「それは敵方の胸ひとつにございます」
こればっかりは俺にもどうしようもない。最初から使者を殺す気なら、俺とカナティエがどれだけ奮闘しても無駄だろう。
すると王太子は首を横に振った。
「そう思われているのだろうと思ってな。だが本当に見殺しにしたのでは王族としての見識が問われよう。紋章官を捨て駒にする王太子など、誰が即位を望むものか」
それはまあ確かにそうだ。実際にはバンバン使い捨てにされているはずだが、あまり露骨にはやらないだろう。士気や忠誠に響く。
王太子は続ける。
「そなたを使者として送った後、こちらでは兵を動かす手はずを整えておく。危険を感じたら口先で適当に丸め込んで戻ってくるがよい。ありったけの騎兵でそなたらを回収する」
「ありがとうございます」
どこまでアテにしていいのかはわからないが、救援を約束してくれたという事実だけでも少しは安心できる。自分の命を粗末に扱われて嬉しい人間はいないからな。
「だからという訳ではないのだが、もし可能であれば敵方の動揺や隙を生み出してほしい。突破口が開けば手持ちの兵力で野戦築城を妨害し、橋頭堡を築かせないようにできる」
おいおい。どこまで欲張りなんだ、この王太子サマ。
さすがの俺も呆れてしまったが、王太子は俺の手をそっと握った。
「すまぬな。だがそなたを見ていると、もしかしたらそれも可能ではないか。そう期待してしまうのだ」
いきなり俺を口説き始めたぞ、こいつ。頭の中どうなってるんだ。
しかし偉い人に期待されると何となくやる気になってしまうのが、哀しき日本のビジネスマンである。あと、期待を裏切った場合の冷遇が怖い。
仕方ないので俺はうなずいておく。
「光栄です。微力ではありますが、全力を尽くすことをお約束します」
「ああ、頼むぞ」
俺ってチョロいな……。
心の中で溜息をついていると、後ろからコツコツとブーツのかかとを蹴られた。
「おぬしは私の紋章官なのだぞ。それを忘れるな」
「忘れたことは一度もありませんよ」
「だったら呆けたような顔をするでないわ。私の前で兄上にデレデレしおって」
してません。してないよな?
するとウルリス王太子は楽しそうに笑う。
「フィオレはさすがだな。良い紋章官を選んだ」
「そっ、そうですか!? いえ、そのようなことは決して……」
姫だってお兄ちゃんに褒められてデレデレしてるじゃないか。
というかこの王太子、誰に対してもこうなんだな。危なくときめいちゃうところだった。次期国王として育てられただけあって、とんでもない人たらしだ。気をつけよう。
王太子は封蝋の施された巻物を姫に手渡す。
「これが私からの書状だ。エンド卿に持たせてくれ。成果を期待しているぞ」
「はい、兄上」
王太子はにこやかに手を振りながら、近衛をぞろぞろ連れて丘陵を下っていった。
しょうがない、やるしかないか。




