第22話
こうして俺たちは農民兵九人を率いてマルダー村を出発した。サイダル軍が上陸した翌々日だ。
ちなみになんで九人かというと、十人目の農民兵がお腹を壊してしまったからだ。衛生面で問題のある世界だから、平民はお腹を壊しているか風邪をひいていることが多い。
補欠の農民兵を連れて行くことも考えたが、村に残す働き手を考えると不安がある。お腹を壊した村人は農作業もできないので、これ以上は引き抜けない。
ということで兵士は九人。後は俺とメステス、それにカナティエが姫の家臣だ。
「見事な陣容よな。兵力は少ないが、まあ仕方あるまい」
立派な胸甲を着た……というか胸甲に着られている姫が、馬上でゆらゆら揺れている。ちょっと苦笑していた。
俺も馬を進めながら笑いかける。
「マルダー村の兵役割り当ては三人ですから、その三倍も動員してるんです。これは快挙ですよ」
「うむ、マルダー村の者たちには篤く報いてやらねばな。無論、おぬしたちにもだ」
ニカッと笑う姫に、俺はなんとなく感動してしまう。部下の労をねぎらうその態度は、確かに将の器だった。
俺は紋章官としての務めを思い出し、姫に進言する。
「こちらの総大将はウルリス王太子殿下。殿下は百騎ほどの騎兵をお持ちで、これに近隣の村から招集された農民兵などが加わります。総勢では千人ぐらいでしょう」
「ではまあ、十人そこらの兵でも百分の一ほどにはなるな。よい、戦力の一翼を担うには十分だ。して、敵方は?」
「わかりません。ただ、野戦築城がさらに進んでいるとの伝令が先ほど来ました」
通信技術が未発達なので、こんな近場の戦でも何もわからない。ここからルマンデの船着き場までは半日ほどだ。夕方には着くだろう。
兵を預かるカナティエが、馬上で甲冑をカチャカチャ鳴らしながら近づいてくる。こちらの甲冑は姫の胸甲と違って全身を守るタイプで、見た目も質実剛健だ。
「このカナティエにお任せを。私を千騎の軍勢とお思いください」
義仲の最期みたいなことを言い出した。お前は今井四郎か。不吉だからやめてほしいが、こっちの世界の人たちは源義仲なんて誰も知らない。
後ろについてくる農民兵たちものんきなもので、ほとんど遠足気分だ。
「こういうときでもないと村から出られねえからな」
「女房にゃ悪いが、恩賞でも出りゃ少し遊ばせてもらうぜ」
「王女様の護衛だから、どうせ危ない所には行かないだろうしな」
うーん、雑兵丸出しだ。でも気持ちはわかるので、俺は敢えて何も言わないことにした。アマチュアの農民兵に多くを期待してもお互い不幸になるだけだ。
「しかしやはり、いささか貧相ではあるな……」
姫はまだ手勢の少なさを気にしているようだ。
あんまり気にしなくてもいいと思うのだが、俺はふと一計をひらめく。
「姫、見てくれだけでも格好をつける方法がありますよ」
「まことか。……いや待て、おぬしの考える方法はいささか不安だ。毎度ロクなことにならぬ」
失敬な。それがしは家中随一の知恵者にござりまするぞ、姫。
猜疑心の塊みたいな目で俺を見ている姫に、俺は笑いかけた。
「ちょっとした工夫ですよ。お金もかかりませんし、姫が苦労することもありません。うまくいくかどうかは五分五分ぐらいですが」
「なんかまた企んでおるな……。まあよい、任せる」
ジト目で睨まないで。
さっそく俺は鞍に吊した革鞄から地図を探す。紋章官なので紋章録やら筆記具やら荷物が多い。
「えーと、ルマンデがここで……なら、フーディの辺りか」
「フーディといえば、街道沿いの城塞都市だな。だが何を調べているのだ?」
姫が不思議そうな顔をしているので、俺はニコリと笑う。
「少々、小賢しい真似をしようと思いまして」
そして俺は小賢しい真似を実行した。
「ジュナン殿、後ろから王家の旗印を掲げた兵たちが続々とついてきます! あれは何ですか!?」
頬を紅潮させたカナティエが馬を走らせてきたので、俺は首を横に振る。
「兵士ではありませんよ、カナティエ殿。輜重の賦役で駆り出されている近隣住民たちです。旗印は王家から貸し出されているものですね」
軍隊といえども人間の集団なので、本隊の後ろに兵糧などを積んだ馬車がついてくる。国内での戦争では略奪はできないので、こうしてあちこちから備蓄を集めてくる訳だ。
「フィオレ王女殿下の兵が護衛すると申し出たら、みんな喜んでついてきました」
「勝手な真似をするな! せめて相談しろ!」
姫が怒っているので、俺はフフッと笑う。
「任せると仰ったではありませんか」
「説明ぐらいはあってもよかろうが」
「申し訳ありません。輜重隊の集まりが予想以上に早く、出発寸前だったものですから」
総大将のウルリス王太子は武将としても優秀なのか、輜重隊の招集と編成は既に完了していた。もう一日かかると思っていたんだが、なかなかやるな。
「まあしかし、壮観ではあるな」
シュテンファーレン家の旗を翻しながら十数台の馬車が連なる様子を見て、姫はそれなりに満足している様子だ。
しかしメステスが不安そうな顔をする。
「これ、話は通してあるのかい?」
「現場の責任者たちには承諾を取ってるよ。あっちこっちの小領主たちが送ってきた寄せ集めだから苦労した。なんせ数が多くて」
報告のために戻っていたら間に合わなくなりそうだったので、俺の独断専行で話をつけてきた。
「領主の名代として郷士や使用人が来てるんだが、みんな大喜びだったな。なんせ王女殿下が随行してくださるんだから」
小さな村ひとつを治める程度の零細領主たちは、貴族といっても自分で畑を耕すぐらいの地位だ。土豪といってもいい。
彼らに対しては王女の威光もそれなりに効き目がある。
「末代までの誉れになると感激してる人もいましたよ」
俺がそう言うと、姫は口元をにやけさせながらうなずく。
「そうか、うむうむ。まあ悪い気はせぬな」
「ちなみに王女の名前で輜重隊を預かった以上、道中で何かあれば責任問題ですのでよろしくお願いします」
「おい待て、そういうところを先に説明しろと申しておるのだ」
だから説明してる暇がなかったんだってば。
こうして俺たちは馬車の隊列を率いて街道を西に進み、やがてルマンデの船着き場にほど近い丘陵へと到着する。ここがユナト軍の本陣だ。
「おお、集まっておるな」
丘陵の中腹には色とりどりの天幕が張られ、急ごしらえの簡単な柵も作られていた。
「あれはウィーグラン家、あっちはオルベルト家、こっちはカナード家の軍旗ですね」
「さすがに紋章官だけあって詳しいな」
それぞれの一門には意匠に使われる動物や植物などがあって、後は細分化して違いを出している。本家と分家でちょっと違っていたり、当主と子供で違っていたり。
「全部で三十ほどの家が来ていますが、兵力としてはやはり千人そこそこのようですね」
「その割には随分と人が多いようだが」
「輜重隊は民間人ですから別計算です。それと兵士相手に商売をする商人たち。あと、どさくさに紛れて死体から鎧を剥ぐつもりの農民たちもいるのではないかと」
俺のいたリンネン村が戦場になったことはないが、国境地帯など戦いが起きやすい土地では日常だという。なんせ武具は貴重だから高く売れる。
ちなみに死体だけでなく、敗残の落ち武者たちからも容赦なく剥ぎ取る。最初に袋叩きにして死体にするので、結果的には同じになる。一手間かけるだけだ。
「落ち武者狩りか……」
姫が嫌そうな顔をするので、俺は説明しておく。
「俺の故郷にも甲冑を所蔵している農家がありまして、当人たちは『御先祖様が戦場で騎士を助けた褒美として授かった』などと言っていますが、あれも落ち武者狩りの戦利品だったんでしょうね」
「なぜわかるのだ」
子供の頃の記憶を思い出し、俺は苦笑する。
「兜の後頭部が凹んで歪んでるんです。内側から叩いて直してありましたが、どう見ても背後から殴り殺した痕でしたよ」
「おおぅ……」
ぎゅっと頭を押さえる姫。どうやら狩られる側だという認識はあるらしい。
そういえばあの甲冑についてた紋章、ユナト貴族のものだったような記憶がある。農民にしてみれば、他領の貴族に媚びへつらう理由はないからお構いなしにぶっ殺す。
「姫も落ち延びるようなことがあれば、くれぐれも落ち武者狩りにはお気を付けください。連中に命乞いしても無駄ですから」
死体からの略奪は黙認されているものの、ユナト貴族を殺害して金品を強奪すれば当然死罪だ。
それを承知で襲ってくる連中だから、こんな可憐な少女が命乞いをしても無意味だろう。むしろ楽に殺せてラッキーぐらいにしか思わないはずだ。
同じ人間とは思えないが、貴族の方も平民なんか人間だと思っていないからお互い様だろう。そもそも「同じ人間」だと思っていないからポンポン殺すのだ。
「ま、それはともかくとして、兵たちが喜んでいますよ。手を振ってあげてください」
駐留している各家の兵士たちが、馬車を見て歓声を挙げている。
「やった、食い物が来たぞ!」
「俺たちにも配られるのかな!?」
「そりゃそうさ、陣中じゃ朝夕食わせてもらえるのが特権だ」
「王家の旗印だしな! 間違いねえ!」
みんな槍や兜を振って大騒ぎしているのだが、姫は渋い顔をしている。
「王女より飯なのか、やはり」
「それはまあ……。王女で腹は膨れませんから」
食事と睡眠がなければ誰も戦えない。戦争してても人間は飯を食うのだ。
姫はコホンと咳払いをする。
「まあよい。聞け、ユナトのつわものたちよ! 私はユナト王オルバが長女、フィオレである! ただいま輜重隊が推参した! 飯が足りなかったせいで戦働きができなかった、などとは言わせぬからな!」
ちっこい姫君の大きな声に、兵士たちがどっと笑う。
「承知しましたぜ、フィオレ様ぁ!」
「飯さえあればサイダルなんか蹴散らしてやりますとも!」
「話のわかる姫様だ!」
いい反応だ。やっぱり姫は人の心をつかむのが上手いな。天性のものだろうか。
姫の後ろ姿を見てメステスが苦笑している。
「この兵糧の手配をしたのは国王陛下か王太子殿下だろうし、実際に懐を痛めているのは領主なんだけどね」
「だから言葉の選び方には気をつけているんだよ。自分の輜重隊だとは一言も言ってないからな」
こう見えて、公の場では変な失言はしないんだよな。そういうところも天性のものなのか。生まれついての支配者といった印象だ。
俺たちは兵たちの歓呼を浴びながら、こうして無事に本隊との合流を果たしたのだった。
それも威風堂々と。




