第2話
王城のそれほど長くも広くもない廊下を歩きながら、女騎士みたいな人が自己紹介をしてくれた。
「申し遅れましたが、それがしはフィオレ様付の宮廷女官、カナティエ・シドールと申します」
ああ、やっぱり騎士ではないんだな。女性の騎士なんて聞いたことがないし。
俺も紋章官の端くれなので、彼女の姓には聞き覚えがあった。
「シドール家の方ですか?」
「はい。当主のカルザス・シドールは、それがしの実父です」
シドール家は王家直属の騎士の一門で、家格は低いが譜代の家臣だ。なるほど、身分の高い女性なんだな。
ユナトの宮廷女官はれっきとした官職で、それなりの身分がなければ就くことができない。平民の奉公人とは別格の存在だ。だから城内で帯剣していても大目に見てもらえるのだろう。
などと納得していたら、廊下の端から姫に呼ばれた。
「おーい、はよう来ぬか」
「ただいま参ります」
俺たちが歩いているのがもどかしいのか、姫はその場で足踏みを始める。
「ええい、走れ!」
「城内で走ってはいけません。緊急時と勘違いされます」
お城の中だから作法やルールがいろいろある。
「私が自分だけの紋章官を得たのだ。これはもう緊急時でよかろう」
「よくありません」
お城の中だから作法やルールがいろいろあるって言ってるだろ。いや言ってなかったな、ごめん。
俺たちが姫のところにたどり着いたときには、姫はゼエハアと息を切らしていた。
「お、遅い……なんたる遅参だ……」
「君主といえども守らねばならぬ掟があります。掟に背く命には従えません」
この世界じゃ紋章官なんて法律と慣習と不文律でがんじがらめにされてる役職だから、君主の命令なんかいちいち聞いていられない。
姫は俺の顔を見て「ぐぬぬぬ」と唸っていたが、やがてケロリとした顔でうなずいた。
「そういうことであれば致し方あるまい。遅参は許そう」
「恐悦至極にございます」
もしかすると俺、この子との付き合い方がわかってきたかもしれない。
姫は軽く咳払いをしつつ、ドアのひとつを示した。
「さて、ここが私の部屋だ。男性のみの入室は固く禁じられておるゆえ、必ず私の女官を伴うようにな。カナが適任であろう」
「適任と申しますか、フィオレ様には他に女官がおりませんので」
「本人もああ申しておる」
会話が成立してないぞ大丈夫か。
女官のカナティエを振り返るが、彼女は全くの無表情でドアを開けた。
「お入りくださいませ、ジュナン様」
「ありがとうございます。ただ、『様』だと恐縮してしまいますね」
「そうですか……。ではジュナン殿、どうぞ」
「はい」
ひたすら気が重い。
部屋に入った瞬間、姫が声を張り上げた。
「ミオレ、また私の部屋に入り込んだな!?」
クッションだらけの部屋でビクッと振り返ったのは、十歳そこそこぐらいの少女だ。そういえばもう一人、ミオレという名の姫君がいると聞いていたな。
「ね、姉様!? 入り込んでなどおりませんわ!」
じゃあ部屋の中にいるのは誰なんだ。人のクッション抱きしめてるし。
フィオレ姫は大股でミオレ姫に近づくと、クッションを奪還した。
「あぁん、姉様のクッション……」
「匂いを嗅ぐなと言ってるであろうに! 何が楽しいのだ!?」
もしかすると俺、仕える王家を間違えたかもしれん。
俺が真剣に出奔の可能性を検討している間に、フィオレ姫は妹を部屋の外に追い出す。
「これから評定を行うゆえ、おぬしは出ておれ」
「私も姉様の評定に出たいです」
「出るな、出ておれ」
「え、どっちですの……?」
こっちの言葉でも「出る」には複数の意味があるので、こういう混乱はよくある。
業を煮やしたフィオレ姫は女官のカナティエに命令を下す。
「狼藉者をつまみ出せ」
「承知いたしました。ミオレ様、どうか自室にお戻りください。お付きの侍女たちをお呼びいたします」
「カナちゃん、それはあんまりですわ!」
不満そうな顔をしているミオレ姫だったが、こうなるともう無理だとわかっているらしい。
「出ればいいんでしょう、出れば」
姉そっくりの歩き方でスタスタ歩き出した彼女は、俺を見てぺこりと会釈した。
「ごきげんよう、えーと……」
「本日よりフィオレ様付となりました紋章官、ジュナン・エンドと申します。お見知りおきを」
「見知りおかんでいい」
ぶっすーとふくれっ面でフィオレ姫が腕組みしている。
ミオレ姫が侍女たちのお迎えで退出した後、フィオレ姫は念入りに部屋に鍵をかけた。
「可愛い妹ではあるが、あいつがいると調子が狂う。見たであろう?」
「見ました」
ほのぼのしてていいなと思ったよ。
「さてと」
コホンと咳払いをした後、フィオレ姫はクッションの山にぽすんと飛び乗った。
「私の外交について説明する前に、まずはおぬしの見識を確認しておきたい。我が国と周辺諸国の現状について、どのような認識を抱いておる?」
まだ外交実績ゼロの新米紋章官だから、そりゃ向こうも気になるよな。
俺は背筋を伸ばし、なるべく簡潔に説明した。
「このユナト国は『万舟湾』の東半分を有する海運国家で、西半分を有するサイダル国とは港湾の支配権を争っています。周辺国とは交易で結ばれつつも港を常に狙われており、油断も隙もありません」
東京湾で言えば千葉側がユナトで、東京側がサイダルだ。大阪湾なら大阪や堺がユナト領で、尼崎や神戸がサイダル領になる。
平時は交易もしているが、心の底では「俺の湾だぞ」と思っている。
フィオレ姫は御機嫌でうなずいている。
「うむうむ、良い認識であるな。ではそうだな……『海』についての考えを述べるがよい」
海か。それなら得意分野だ。
「航路や港湾の安全確保が当面の課題ですが、海上には築城できません。陸地以上に他国との交渉が重要になります。湾外でうちの交易船を襲っている海賊も、おおかた他国の私掠船でしょうから」
「あー、そうであろうな。父上が紋章官を増員したのも、おそらくその辺りが理由か」
軍船には最低でも一人ずつ乗せなきゃならないだろうしな。味方に砲撃したらまずい。
フィオレ姫は満足そうにうなずいた。
「良いな、実に良い。我が国の状況について過不足なく緊張感を持っておる。紋章官に抜擢されるだけあって視野が広い」
「恐れ入ります」
前世に大学で勉強したことが役に立ってる気がする。ちょっとだけ。
フィオレ姫はうんうんと何度もうなずき、俺をじっと見た。
「父上が農民から取り立てたというからには相当な切れ者であろうと確信しておったが、やはり間違いはなかったな。平民にもときどき凄いヤツがおる」
俺の場合、前世で勉強してきたから……。ちなみに言葉遣いや作法は城勤めで徹底的に直されている。
姫はニコッと笑う。
「それにおぬしは、私を見ても侮る様子を一切見せなかった」
「お仕えする王族に対してそんなことする訳がないでしょう。当然のことです」
「当然なものか」
フッと苦笑する姫。なんだか急に大人びた雰囲気になる。
「ほとんどの者は女というだけで私を軽んじる。いや、興味がないのだ。事実、おぬし以外の紋章官は私の言葉などまともに聞いておらんかったぞ。表向きは媚びへつらうが、女と対等に話などできるかと侮っておるのだ」
言われてみれば、みんな頭を下げるだけで大して反応してなかったな。
現代日本と比べると、この世界は男尊女卑の傾向が強い。腕力に訴えれば大抵のことができてしまうので、女性や子供は虐げられる立場だ。
フィオレ姫の場合、女性だし見た目も子供っぽいから特にそうだろう。
「おい不敬であるぞ」
「何も申しておりません」
姫が俺を睨んでいる。もしかして他人の感情に敏感なタイプなのか?
「おぬし、今ちょっと失礼なことを考えたであろう? 侮るでない」
「侮る様子を一切見せてなかったんじゃないんですか」
俺が言うと、姫は不機嫌そうに言う。
「いいや、おぬしは私をだいぶ侮っておる。侮っておるのだが……なんかこう、悪い気はせぬのだ。そこがまた気になってな。上からでも下からでもなく、同じ視線で話しておるのがわかる」
もしかして俺は、姫の「おもしれーヤツ」の枠に収まってしまったのだろうか。
「おぬしは私を決して軽んじてはおらぬが、必要以上に畏れてもおらぬ。平民はだいたい王族というだけで怖がって避けるからな」
そりゃまあ平民の命なんか雑草同然に扱われるからな。できれば関わり合いになりたくないよ。俺だって生活のために奉職してるんだ。
そんな本心をうっすらと隠しつつ、俺は微笑んでみせる。
「いえ、もちろん畏れ敬っております」
「そんな白々しいことをよく言えるな……」
フンと鼻を鳴らした姫だったが、クッションの山から俺に再び笑いかけた。
「ま、よいわ。おぬしは私の問いに答えた。次は私が問いに答えるのが礼儀というもの。ということで、これを見るがよい!」
クッションの山から紙の束がドサドサドサと降ってきた。
ちょっと多くない?




