第19話
リュジオン河の視察を兼ねた川遊びから帰ってきて、姫は真剣な顔で考え込むことが増えた。
「今日も難しい顔をなさっていますね、姫」
「奪われた材木のことを考えておったのだ」
「代わりの材木なら今月中に届くとのことですが」
水位が増しているこの時期は、水深の浅い上流でも材木を運びやすい。そう問題はないだろう。
しかし姫は首を横に振る。
「サイダルの野盗ではなく、正規の軍が材木を集めているというのが気になっておるのだ。どうせ私の材木だけではあるまい」
「そうかもしれませんね」
こっちの世界はびっくりするぐらいに無法が横行しているので、俺にはその辺りの微妙な線引きが判断できない。
だが姫は違和感を覚えているようなので、もう少し尋ねてみる。
「姫はどうお考えですか?」
「筏に組んだ材木というのは、舟にも建材にもなる。そう考えればおぬしにもわかるであろう」
俺を試すような目をして、にんまり笑う姫。
俺は軍事には疎いが、これぐらいならすぐわかる。
「リュジオン河を越えて橋頭堡を築くのにちょうど良いですよね。そういうことでしょう?」
「うむ、さすがは我が紋章官であるな。話が早い」
他に使い道がないんだから誰でもわかる。
俺はその先についても言及した。
「サイダルが渡河作戦を計画していると仰りたい訳ですね。だとすれば他にも同じようなものをたくさん集めているだろう、と」
「いかにも。あやつらとて、隣国の王族が発注した材木をわざわざ奪うつもりはなかったはずだ。だが手当たり次第に集めていたとなれば、そういうこともあろう」
「確かに」
だが俺は壁に貼ってある地図を眺める。
「可能性はありますが、サイダル軍が渡河して拠点を築けそうな場所というのが思い当たりません。どの川岸にも保守担当の村がありますから、工事が完了する前にユナト軍に通報されてしまいますよ」
半日で済む程度の作業ならバレる前にできるかもしれないが、筏を解体して材木を運ぶのが精一杯だろう。重機がないから何をするにも時間がかかる。
でも俺は軍略の類は基本的なことしかわからないし、こちらの世界のことをほとんど知らない。
「姫がもしサイダルに攻め込むとしたら、どんな方法になさいますか?」
「うむ、良い質問であるな!」
急に生き生きとした表情になり、ピンと背筋を伸ばす姫。
「渡河して敵地に拠点を築くとなれば、補給はユナト側の川上から舟で送ることになるであろう」
河を横断するときに、どうしても下流に流されるからな。
「だがおぬしが言うように、すぐに現地の領民たちに発見されてしまう。であればいっそのこと、サイダル側の村を真っ先に占領してしまえばよい。これで発覚を遅らせると同時に、食料や労働力も徴発できよう」
怒濤の勢いでしゃべりだしたぞ。なんだこれは。
「無論、勝てばそのままユナトに帰属する村ゆえ、住人に危害を加える訳にはいかぬ。金子で買い上げた後、占領後には様々な便宜を図ってやる必要があろう。年貢の軽減などがよかろうな。まあそれはともかく、サイダル軍が動き出す前に堅牢な橋頭堡を築くことだ」
「もしかして姫、いつも侵略の策を考えておられるとか?」
「いかにも、当然である!」
堂々と言い切られちゃったよ。俺は人道と法秩序を尊重する外交官だから、そういうのよくわからないです。
とはいえ、サイダル側もユナト侵攻を企図しているはずだから、お互い様だろう。
平和をもたらすには周辺の国全部滅ぼしてしまうのが一番手っ取り早い。それがこの世界の「常識」だ。
「それで侵略大好きな姫としては、サイダルも同じ方法で攻め込んでくるとお考えですか?」
「微妙に引っかかる言い方をしおる。まあよい、その通りだ」
姫は不満そうに腕組みをしつつ、こう続けた。
「リュジオン河を渡らねば攻め込めぬ以上、どこかに橋頭堡を築くしかあるまい。その辺の河原に陣を張っても、包囲されて河に叩き込まれるのがオチだからな」
「野戦築城は速さが重要ですから、筏がそのまま建材になれば申し分ありませんね。ただ……」
俺はふと疑問に感じていたことを口にする。
「これ、退路はどうするんです? 筏は建築資材になるんですから、帰りの舟がありませんよ」
「まあそこのところが問題といえば問題なのだがな」
大問題じゃないか。
姫は苦笑して手を振る。
「引き際を考えぬ戦などありえぬからな。それゆえ、この案はまだ温めておる」
どれぐらい温めてたのか知らないけど、ほかほかになってそうだな。
「退路もそうですけど、補給もかなり心許ないですね。後々のことを考えるのならあまり無茶な徴発はできませんから、どのみち渡河で輸送することになるでしょう」
「うむ。結局舟を集めねばならぬからな。サイダルもその辺りのことは考えておるはずだから、仕掛けてくるとしたら退路や補給の懸案が解決されてからになるはずだ」
「確かに」
戦争では何千人もの武装した人間を動かすので、修学旅行の引率より遙かに難しい。いい加減な作戦計画は立てられないはずだ。
とはいえ、万が一に備えるのが上に立つ者の仕事でもある。
「このマルダー村はリュジオン河まで半日の距離です。近場に上陸された場合、陛下からの招集があるかもしれません」
「と申してもな。めいっぱい集めても農民兵が十人ほどだぞ」
「十分ですよ。王女殿下が手勢を率いて出陣しているというのが政治的な意味を持つのです。一応、その腹づもりでいてください」
「うむ! そうあることを願うぞ!」
願わないで。
「農民兵に甲冑を買ってやるのは経済的に厳しいですが、新品の槍と盾、それに兜ぐらいは欲しいですね。それと識別用の上着」
本来は鎧の上から着る袖無しのチュニックだ。前世ではサーコートと呼ばれていた。
「そうだな。今の寄せ集めの装備では威容が整わぬ。政治的な意味も考えるのであれば、見てくれにも多少は気を配るとしよう。兄上から頂戴した金子で手配せよ」
「はい、ただちに」
いざ戦争となってから慌てても遅いので、こういう準備はできるときにどんどんやっておく。紋章官の仕事ではない気もするが、この手の権限を持つ官僚が他にいない。
「これで何も起きなければ、それが一番いいのですが」
「私は嫌だぞ。せっかくの準備が無駄になってしまうではないか」
「こういうのは無駄になるのが一番なんですよ」
「相変わらず妙なことを言う男だな、おぬしは」
変な顔をして腕組みした姫だったが、すぐにフッと笑う。
「だがそんなところが気に入っている。頼むぞ」
「はい、尽力いたします」




