第18話
俺は上着もシャツも全部脱いで上半身裸になる。下も脱ぎたいが、そうもいかないのでズボンのままだ。さすがに身分ってものがある。
「おほぅ……」
俺を見た瞬間、姫が変な声を漏らした。なんだ?
「おぬし、結構鍛えておるな」
「何をじろじろ見てるんですか、いやらしい」
乳首の辺りに視線が突き刺さっている気がする。胸をじろじろ見られるのって、こんなに不快なんだな。これからは気をつけよう。
「やはり農作業で鍛えられたのか?」
「ええまあ……仕官後は軽い運動を少々……」
姫がじりじり寄ってくるので、俺もじりじり下がる。怖い。
「これ、腕で隠すでない。もそっと見せい」
「あの、これから泳ぎますので……」
ここじゃ男の裸なんか珍しくもないだろ。あっちでワーワーやってる漁民たちの方が露出度高いぞ。
「メステス、見てないで姫を止めてくれ」
「ふうん……」
ダメだ、メステスまで俺をじろじろ見てる。なんなのこの人たち。
「引き締まっておるな」
「農民は粗食ですからね。それに最近のジュナンは妙な踊りで体を鍛えてるんですよ」
もしかして腕立て伏せとスクワットのこと? 今の体だと何回やっても全く疲れないから、面白くてついやっちゃうんだよな。前世と違って体が軽い。
俺は軽く咳払いをする。
「泳ぐんですよね?」
「ああ、うむ。そうであったな」
姫はうなずいたが、まだ視線がチラチラを俺の体をまさぐっている。異性の裸になんか興味ないだろうと思っていたが、案外そうでもないらしい。
「では泳いでみせよ。あ、無理はするな」
「はい、では軽く」
心配そうな姫に俺は笑顔でうなずき、するりと水に入る。
「カナティエ殿の泳法と違って、俺は両手を使わないと泳げませんが」
そう言ってクロールでゆっくり泳いでみせる。小学校の頃に水泳教室に通っていた程度なので、我ながらお粗末だと思う。
しかしターンして戻ってくると、姫が感激してパチパチと拍手していた。
「素晴らしい! 初めて見る泳法だ! それは何か!?」
「ええと、クロールという泳ぎ方です。本来ならもっと速いのですが、なにぶん泳ぎは苦手でして……」
褒められたのが嬉しかったのでつい白状してしまったが、メステスが首を傾げる。
「凄いね。でも、どこでそんな泳ぎ方を覚えたんだい?」
「城勤めするようになってから、いろんな噂話を耳にするようになったんだ。異国の船乗りがこうやって泳ぐって聞いたから、真似してみたんだよ」
スラスラと嘘が出てくるのが自分でも恐ろしい。たぶん宮廷で揉まれたせいだな、そういうことにしておこう。
姫は少し考えてから首を横に振る。
「その泳法は私には少し難しすぎるな。だがおぬしが水練の名手であることはわかった。水練についてもおぬしの言に敬意を払うとしよう」
「ありがとうございます」
姫はこれで意外と素直な一面もあり、実力を認めた相手には耳を傾ける性格でもあった。
姫は続けて言う。
「まあ、あれだな。少し冷えたゆえ、いったん休憩を取るとしよう」
「ん? そうですね」
俺はちょっと違和感を覚えたが、あまり気にせずにうなずく。
温暖化が進んでいた前世の日本と違い、ユナトは夏でも水が冷たい。あくまでも体感だが、三十℃を超える日がない感じだ。
「二人ともお疲れ様。さ、体を拭いて」
「おお、気が利くなメステス」
メステスが乾いた布を差し出してきたので、それで体を拭く。まだタオル生地は存在しないので、大きな手拭いみたいな布だ。
貴族としての待遇を得ても、得られないものがたくさんある。前世の一般市民の方が良い生活をしていると思う。
「ところでジュナンよ」
姫が声をかけてきたので、俺は体を拭きながら振り返った。
「なんでしょう、姫」
「おぬしは変わった男だな」
「なんです急に」
さっきのクロールのせいか?
だが姫は違うことを言い出した。
「私がマルダー村に行ったときも今回も、おぬしは反対しつつもついてきた。そして私のやりたいことがうまく進むよう、最大限の便宜を図ってくれている。何とも風変わりな男ではないか」
「そうでしょうか」
俺は体を拭くのを止め、少し考える。
「俺は姫専属の紋章官です。姫のためにできることをするのは当たり前ではありませんか?」
「真顔でよく言えるな……」
姫が少し後ずさりしているので、なんかまずいことを言ってしまったらしい。
でも、どこも間違ってないよな?
「俺はただ、姫の意思を尊重し、姫の思うがままになさって欲しいと願っているだけですよ」
真摯に姫を見つめながらそう言うと、姫は急にそっぽを向いてしまった。
「う、うむ……やっぱりだいぶ風変わりな男だな、おぬし」
もしかして嫌われた?
するとメステスが俺の肩をポンと叩く。
「君、いつもの悪い癖が出てるよ。ほどほどにね」
「そうか。具体的にどこらへんがまずかった?」
するとメステスは意外そうに首を横に振る。
「いや、どこも悪くないよ?」
「でも今、悪い癖って言ったよな?」
「うん、ほどほどにね」
訳がわからない。
何がおかしいのか、メステスは苦笑している。
「まあいいよ。それよりもカナティエさんにも声をかけてきてくれないかな。そろそろお昼にしよう」
「ああ、わかった」
俺は訓練中の村人とカナティエに声をかけるため、歩き出した。
ちょっと首を傾げながら。
* *
「なんだあれは、心臓に悪すぎるぞ」
姫が怒ったように言うので、僕は苦笑いする。
「ああいうのは初めてですか、姫?」
「無論だ! しかもあのような半裸など、刺激が強すぎるではないか」
姫の頬が少し赤い。彼女がジュナンにどんな感情を抱いているのかは僕にはわからないけど、少なくとも彼に異性を感じてしまったようだね。
「無自覚なんですよ、ジュナンは」
「とんでもないタラシではないか」
「そうですよ」
僕は楽しくなってフフッと笑う。
「ジュナンには本当に何の下心もないんです。ただ人に優しくしたい、誰かの役に立ちたい、それだけなんですよ」
「飛び抜けたお人好しであることはわかっておったが、いささか度が過ぎるのではないか。ミオレやカナに同じことをしたら許さぬぞ」
「あー……そうですね。一応注意しておきますが、本人が無自覚なので」
「困った男よ」
姫は溜息をついたが、すぐに笑う。
「まあ紋章官として折衝に当たるのであれば、それぐらいでちょうど良いのかもしれぬな。人当たりの良さは何よりも大事だ。あんな真似は私にはできぬ」
姫は自分の限界を知り、他人の長所を認められる性格だ。思っていたよりもまともなので、僕も最近は少しだけ親しみを感じている。
「ジュナンは安全な男です。決して他人を裏切りませんし、野心も私欲もありません。保身も考えません。だから故郷では損ばかりしていました」
「そうであろうな」
姫が苦笑したので、僕はうなずく。
「だから僕は彼が誰かに利用されないよう、ずっと気にかけているんです。姫にお仕えしているのも、その監視ですよ」
「ふん、見くびられたものよ。私は忠義を誓う者を決して粗末には扱わぬ」
不機嫌そうに腕組みした姫は、すぐに溜息をついた。
「というか、粗末に扱えるほど手元に人材がおらぬ。おぬしたち三人を厚遇せずして、四人目の家臣を得られようか」
「大変結構です。今後もその調子で頼みますよ」
「わかっておる」
僕の意地悪な笑みにも鷹揚にうなずいてみせる姫。最初に会った頃よりも少しだけ、人柄に奥行きと広がりが出てきたような気もする。
「で、姫はジュナンのことをどうお思いなんです?」
「どうと言われても私にもさっぱりわからぬわ」
割ときっぱり断言されてしまった。まだお子様だから、色恋には早いかな?
でも故郷での経験では、こういう感じになった子はみんなジュナンに夢中になっちゃうんだよね。広く浅くモテるタイプじゃないけど、刺さる子にはとことん刺さる。
だからこそ、虜になった子を気の毒に思う。ジュナンには恋をする気がないからね。残酷な話だよ。
「もしジュナンとのことで何か困ったときは相談に乗りますよ」
「私のことを嫌っている割には、ずいぶん親切だな」
「禄を頂いていますからね。それにジュナンを守るのは僕の使命ですから」
僕としてはこれ以上、ジュナンにときめく女性が増えないように祈るばかりだよ。親友の気苦労も少しは考えてくれないかな。
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