第15話
マルダー村の柵を強化するための工事現場で、俺はフィオレ姫を捕まえていた。
「そういう次第でして、ぜひミオレ様を姫の仲間に加えていただきたいと思います」
「ふむ」
ごねるかと思ったが、意外にも姫はおとなしい。腕組みをしつつ、工事の様子をじっと見つめている。
こういうときに余計なことを言うと叱られるので、俺は黙って待つ。
「私と違ってミオレは素直で良い子なのだ」
「そうですね」
「おい待て、そこは否定せぬか」
めんどくさいな、このお姫様。
知らん顔しておくと、姫は勝手に話を続ける。
「ミオレは普通の王女として平穏に暮らしてほしい。いずれ父上か兄上が良い縁談を用意してくれるであろう」
「しかし、ミオレ様はそれを望まれるでしょうか?」
「望むも何も、それが王女の義務であろう。政略結婚にはなるが、それでも幸せな家庭は築けるはずだ」
だが俺は首を横に振った。
「御言葉ですが、俺はそれを認める訳には参りません」
「なに?」
怒った顔でこちらを振り向いた姫に、俺は言ってやる。
「それを認めてしまうと、俺の仕える王女殿下は義務を果たしていないことになってしまいますから」
「あっ……」
みるみるうちに頬を赤らめ、そっぽを向いてしまうフィオレ姫。自分も王女だという自覚がなかったらしい。
「ふん、小賢しいことを申しおる。さてはミオレに頼まれたか?」
「いえ、姫の今後を考えてのことです。王城を離れたので、内外の情勢がわからなくなってしまいました。国王陛下や王太子殿下とも直談判しづらくなっています」
「そこで私の名代をミオレにやらせようというのか?」
あまり乗り気ではなさそうな姫。妹の実力を信用していないのだろう。
「はい。見たところ、国王陛下も王太子殿下もミオレ様には甘い様子。ミオレ様がまだ幼いとしても、いえ幼いからこそ強力な味方になります」
「ならぬ。ミオレにはまだ早い」
頑固なフィオレ姫に、俺は詰め寄っていく。
「姫も同じことを言われた御経験がおありなのではありませんか?」
「それはまあ……あるにはあるが……」
姫の勢いが弱まったので畳み掛けていこう。
「ですが姫はこうして所領を得て、君主としての第一歩を踏み出されました。年長者が思っているよりも、若い人はしっかりしているんですよ」
俺なんか前世分も合わせたら国王より年上になってしまうが、それでもフィオレ姫やメステスの成熟した雰囲気には一目置かざるを得ない。
姫はすっかり困った様子で唸っている。
「うむむむむ」
「最初は軽くお試しで良いでしょう。うまくいかなければミオレ様も諦めがつくはずです。村まで押しかけてくることもなくなるのでは?」
「それはそうであるな。うーむ」
姫は考え込む様子を見せたが、俺にはもう姫の結論がわかっていた。
「よし、では試用ということで私の覇業に加えてやってもよかろう。その代わり、ミオレに関してはおぬしが責任を持て」
「ありがとうございます」
よーし、姫の攻略は完了だ。きちんと理詰めで語れば、この子は正面から向き合ってくれる。決して暗愚でも暴君でもない。
「では伝えてきますね」
「うむ。くれぐれも無理はするなと伝えよ。あやつは思い詰める性分ゆえ、あまり重荷を与えてはならぬ。重々配慮せよ」
なんだかんだで妹想いの優しいお姉ちゃんなんだな。
俺はほのぼのしつつ頭を下げる。
「はい、しかと」
こうして姫がマルダー村で暮らすようになり、一ヶ月ほどが過ぎた。
「なんじゃ、またスープに羽虫が浮いておる」
スプーンの先で羽虫の死骸を取り、ピッと捨てる姫。もう完全に慣れてしまったらしく、めんどくさそうな顔をしているだけだ。順応が早い。
「姫、床に捨てないでください。誰が掃除すると思っているんですか」
「少なくともおぬしではなかろう」
まあそうなんだけど。
メステスが黒パンをちぎりながら苦笑する。
「この辺りはマシな方ですよ。リンネン村は虫が多すぎて、パンの中から焼けたムカデが出てきましたからね」
「うげえ……なんでそんなとこから出てくるのだ」
気持ち悪そうな顔をしている姫。
俺はあのときのことを思い出しながら説明する。
「天井から落ちてきたのが、発酵中の生地に埋もれてしまったんでしょうね」
「そのまま焼いてしまったという訳か。なかなかに災難であるな……」
「それが、いつもより美味しいとみんな言ってたんですよ」
農民の食事は小麦と芋と豆が多いので、生地に染みこんだ動物性タンパク質の味が好まれたのかもしれない。あまり深く考えたくない。
カナティエが深くうなずいている。
「陣中においてはムカデや蛙を焼いて食べることもあると、我が祖父が申しておりました」
「先代のシドール卿か。百戦錬磨の近衛騎士は言うことが違うな」
うなずいてみせた姫だったが、すぐにこう言う。
「私は絶対に嫌だからな。ジュナンよ、陣中でも糧食の手配は怠るでないぞ。私はもちろん、兵に不自由をさせてはならぬ」
「承知しております」
この村に小者ニ十人を率いてきたときには手ぶらだった姫も、兵站についていろいろ考えるようになったらしい。農村での不自由な暮らしが、姫に多くのことを学ばせたのだろう。
そんな感じで四人で素朴な朝食を楽しんでいると、屋敷のドアがノックもなしに開いた。近所の村人だ。
「姫様ぁ! 厩舎の飼い葉桶が空っぽですぜ!」
すぐさま姫が立ち上がる。
「ぬかったわ! 我らの『烈風』と『雷光』が飢えてしまう!」
「それ、もしかして軍馬の名前ですか」
姫とカナティエのために軍馬が二頭だけいる。それと戦闘訓練を受けていない普通の乗用馬も二頭いて、この四頭のお世話係が姫だった。その辺の草だけでは軍馬の筋肉が維持できないので、穀物入りの飼い葉を与えなくてはいけない。
「私は愛馬たちの面倒を見てくる! カナは練兵、メステスはミオレに会って木材調達の進捗を聞いてこい! ジュナンは申請書を書いたら今日こそ会計監査しておけ!」
「ははっ」
俺たち三人は頭を下げる。主君自らが働いてるんだから、俺たちも働かなきゃな。
というか、俺たちがそう思うために生き物係をやらせている。
メステスが俺にささやく。
「姫に馬の世話係を頼んだのは、なかなか良かったようだね」
「ああ。王女自らが馬の世話をしている様子は、村人たちにも好印象だろうしな」
農村では働き者が尊敬される。領主として尊敬されたければ自分も働くしかない。それも汗を流すタイプの仕事がいい。
「王女殿下に馬の世話をさせていることがバレたら、君の首が飛ぶんじゃないかと心配だよ」
「軍馬の世話は武人の務めだとか言ってごまかすさ」
「姫は武人じゃないよ?」
でも本人がそのつもりなので。最初は渋っていたが、軍馬と仲良くなれたようで今は熱心に世話をしている。ああ見えて意外と世話好きな性格なのだろう。
「さ、俺たちも仕事仕事」
「しょうがないから働くよ……」




