第13話
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「よく参られた、メステス殿。作法は気にせず、ゆるりと寛がれよ」
ウルリス王太子に椅子を勧められて、僕は一礼してから着座する。
さっそく王太子から質問が飛んでくる。
「フィオレの様子はどうかな?」
「慣れぬ農村での暮らしに難儀しておいでです。私どもがお仕えしておりますので、執務や日常生活で不自由はされていないはずですが……」
すると王太子は微笑む。
「良い体験になるだろうな。王城暮らしの箱入り娘には、何もかもが新鮮だろう。ところで村人たちの反応はどうだ?」
「おおむね好意的に受け入れられているようです。前任の代官が女癖の悪い御仁でしたので、女性である王女殿下に皆安心しております」
僕の言葉に、王太子はホッと安心したようだ。
「それは何よりだ。これでフィオレまで追い出されるようでは王家の面目も何もあったものではないが、さすがは我が妹だな」
「御意」
僕は微笑みながら頭を下げるが、内心では王太子に警戒していた。
だってこいつ、ジュナンにやたらと馴れ馴れしいそうじゃないか。危険人物だ。
物心ついた頃からジュナンに悪い虫がつかないように気を配ってきたつもりだけど、王太子が出てくるとは予想もしていなかった。
つまりジュナンの才覚と人柄は王族すら魅了してしまうということだね。そう考えると僕も鼻が高いよ。
それはそれとして警戒は必要だろう。
王太子は卓上のカップを取り、上等な茶の香りに目を細める。
「父上もまさか本当にマルダー村の領地経営をやらせるおつもりではないだろう。冬には王城に呼び戻すはずだし、そうするように進言するつもりだ」
「ありがたき仰せにございます」
あの村にいると農家のおばさんたちが僕の周りに寄ってくるからね。僕が出家した理由のひとつだ。顔だけ良くてもいいことなんか何にもない。
王太子は茶を一口飲み、それからふと真顔になる。
「だが気になることがある。マルダー村には代官を置いてはならぬと王令を発した以上、フィオレが王城に戻ればマルダー村の統治をする者がいなくなってしまう」
「そうなりますね」
ジュナンや僕を置いていくという手もあるが、それはつまりフィオレ王女の代官になるということだ。しかし代官を置くことは許されない。
「父上の性格を考えると、いったん出した王令を短期間で引っ込めるはずがない。となるとフィオレから領地を召し上げるしかないが……」
「それはそれで王女殿下の実績を否定するような印象になってしまいますね」
「その通り。だから私も不思議に思っているところだよ」
僕としてはどうでもいいので、ジュナンをもっと重用してもらいたい。あんな農村に埋もれてていい男じゃないんだよ、彼は。
すると王太子がフッと笑う。
「ずいぶん警戒されてしまっているな。私がエンド卿を呼びつけたせいか?」
「いえ、そのようなことは……」
否定してみせるが、これはバレバレだろうね。あまりごまかすのも非礼と取られそうだし、ちょっとだけ本音を明かそうか。
「王太子殿下がジュナンの才に気づかれたのであれば、引き抜かれてしまいそうだなとは思っております」
「ああ、引き抜きたい気持ちはあるとも。彼は面白い男だ」
やはりそう来たか。王太子ぐらいになると、ジュナンが凡人でないことはお見通しだ。
「私とフィオレの命令を天秤にかけて、フィオレの方に従うとは思ってもみなかった。これでも一応、王太子なのだがね」
苦笑する王太子に僕は微笑みかける。
「ジュナンは礼節と忠義を重んじる男ですから、決して王太子殿下を軽んじた訳ではないでしょう。王女付紋章官としての立場を全うしただけかと」
「それができる平民出身の官僚が、はたしてどれだけいるだろうな。普通なら恐ろしくて板挟みになってしまうものだが」
そこはもちろん、ジュナンだからね。穏和だけど度胸もあるんだ。筋の通った気骨のある男だよ。
王太子はしみじみとつぶやく。
「結果的に彼は農民の反乱を鎮静させ、それをフィオレの功績とした上で父上の面目も保った。一歩間違えればどうなっていたかわからないが、とにかく窮地を切り抜けたんだ。新米紋章官の手腕とは思えない」
やっぱりわかるかい? そうなんだよ! ジュナンに任せると何でも解決してしまうのさ。怖いぐらいにね。
ジュナンの価値に気づいた王太子に、僕は少しだけ親近感を覚える。あんまり彼に馴れ馴れしくしないで欲しいんだけど、少しは許してあげようかな。
そう思っていたら、王太子はこんなことを言う。
「彼をフィオレにつけておけば安心だが、やはり私の家臣に欲しいな……」
やめてくれないか。彼が王太子の直臣になれば、一緒に働けなくなってしまう。王太子は僕を召し抱える気はないだろう。
だから僕は頭を下げつつ牽制しておく。
「フィオレ王女殿下には人材が不足しております。むしろ増員を御検討頂きますよう、どうか陛下にもお口添えを」
「ああ、それはそうだな。引き受けよう」
快諾してくれた王太子だったが、不意にニヤリと笑う。
「だが私は彼を諦めた訳ではないからな。そこは忘れぬように」
「……御意」
僕は一礼し、部屋を退出する。
どうやら僕がジュナンを守らなきゃいけないようだね……。
悩み事を抱えながら王城の廊下を歩いていると、不意に背後から声をかけられた。
「神官様! お姉様の神官様!」
「これはミオレ様、ごきげんうるわしゅう」
フィオレ姫の妹、ミオレ姫が駈けてくる。後ろから侍女たちがぞろぞろついてくるが、ミオレ姫は意に介していないようだ。
「ねえ、お姉様の神官様!」
「メステスにございます、ミオレ様」
「メステスさん!」
「はい、なんでしょう?」
子供特有の一向に話が進まない感じに若干困りながらも、僕はじっと聞く姿勢を保つ。別に子供好きって訳じゃないけど、人の話を聞くのが聖職者の役目だからね。
「お姉様はお元気ですの?」
「ええ、とても。村での生活にはまだ慣れておられない御様子ですが、僕たちがお支えしていますよ」
にっこり笑ってみせる。子供が相手だとにっこり笑っても変な空気にならないから、そういう意味では子供の方が好きかな。
ミオレ姫はコクリとうなずいた。
「それを聞いて安心しましたわ。では参りましょうか」
「はい?」
法衣が肩からずり落ちそうになり、僕は慌てて背筋を伸ばす。
「ええと、どちらに?」
「もちろんマルダー村に参りますのよ?」
なんで? 背後の侍女たちが慌ててるから、どう見ても今思いついた感じだけど……。
僕は嫌な胸騒ぎを覚えつつ、営業スマイルを顔に貼り付ける。
「外出のお許しは頂いておられますか?」
すると、ちっこいミオレ姫は堂々と胸を張った。
「そんなものがなくてもお城の外に出て良いのでしょう? だってお姉様はそうなさったもの!」
あああ、あのバカ王女! 上の者がバカをやると下の者までバカになるんだよ!? 見ろよこれ! バカ王女が二人に増えたよ!
フィオレ姫に声を届ける道具でもあれば、きっと僕は叫んでいたことだろう。ないから我慢する。
「マルダー村にお連れして良いという許可を得ておりませんので、僕は御案内できませんよ?」
「でしたら勝手に行くまでですわ!」
「御案内します、しますから。その代わり、陛下か王太子殿下の許可をもらってきてください。このままだと僕がお咎めを受けます」
僕の必死の懇願に、ミオレ姫は力強くうなずく。
「わかりましたわ! 少々お待ちになって!」
ミオレ姫は駆け出すと、僕がさっき出てきた王太子の執務室にノックもせずに入っていった。侍女たちが僕に会釈してすり抜けていき、執務室になだれ込んでいく。
中で兄妹が言い争う声が聞こえてくる。がんばれ王太子。今だけはお前の味方だ。
しばらくするとドアがバタンと開き、ミオレ姫の笑顔が飛び出してきた。
「お兄様が『わかったから行っていいよ』ですって!」
根負けしたのお兄様!? ちゃんと止めてくれよ、使えない王太子だな!
王太子が責任を持つのなら、僕にはもう止める方法がない。
「わ……わかりました。参りましょう……」
法衣が肩からずり落ちた。
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