第12話
マルダー村の代官の館が改装され、いよいよフィオレ姫がマルダー村の領主として着任することになった。
そして村に姫の悲鳴が響く。
「ええい、この汚らわしい虫けらどもめ!」
姫が泣きそうな顔をしながら剣を振り回しているので、俺は仕方なく止める。
「虫に剣が通用する訳がないでしょう。それと畑の虫は全てが害虫とは限りません。害虫を捕食する益虫もいます」
「どっちがどっちだかわからぬ! もう両成敗でよかろう!」
「ダメですよ」
俺は溜息をつきつつ、野菜の葉っぱの裏側をめくった。
「こっちの大きいカメムシは茎や実の汁を吸う害虫です。で、こっちの小さいカメムシは虫の体液を吸う益虫ですね」
「カーメームーシー!」
苦手らしい。いくら王族の女の子とはいえ、こっちの世界は虫だらけだ。もう少し耐性があってもいいと思う。
なんせ網戸すらないから、ちょっと窓を開ければそこらじゅうから虫が入ってくる。焼いたパンに混ざっていたり、朝食のスープに浮いていることも珍しくはなかった。
「虫は貴族の紋章にも多く用いられていますから、カメムシぐらいで大騒ぎされては……」
「絵と実物では話が違うであろうが! なんかゾワゾワするのだ!」
「わかりますけど……」
まあいいか。カメムシを紋章にしている貴族は、俺の知る限りでは近隣諸国にもいない。蜂とか蝶とか蜘蛛ならそこそこいる。この辺りだと虫系のレア紋章はムカデだ。
などと考えていると、今度は姫が畑を取り囲む草むらに剣を向けた。
「だいたい雑草が伸び放題ではないか! ああも草ぼうぼうでは虫も湧くというものだ! サボっとらんと刈り取れ!」
「ああ姫、それも誤解です」
俺は慌てて説明する。
「あの草は肥料にするために植えているんです。それともうひとつ、虫避けのためでもあります」
「どういうことだ?」
首を傾げて剣を下ろした姫に、俺はもう少し詳しく説明する。
「外から来た害虫の多くは、畑の手前であの草に足止めされます。それが呼び水となって、害虫を食べる益虫も多く集まってきます。益虫は畑の中も掃除してくれますので、全体としては虫害が少なくなるんですよ」
もちろん加減を間違えると害虫も畑の中になだれ込んでくるので、素人が適当にやってもダメだ。その土地ごとに知恵と工夫があり、それはその土地で代々農業をやっている農民しか知らない。
「俺の故郷にもああいう草の防壁はありました。こことはかなり違いますが、やっていることはたぶん同じでしょう」
「なるほど、ちゃんと意味があって生やしている訳か」
姫は納得し、剣を鞘に収める。
そして畑のあぜ道にぺたんと腰を下ろした。
「では王侯貴族が出る幕ではないな。ここは農民たちの戦場だ」
「そうですね。仰る通りです」
俺もよそ者なので、ここでは出る幕がない。平地と山奥では作物も農法も異なるようだ。
「俺たちは俺たちの仕事をしましょう」
「うむ、そうだな」
姫が力強くうなずいたとき、近くで作業をしていた老人が俺に話しかけてきた。
「あんた、お役人なのにずいぶん畑に詳しいんだね」
俺は本能的に平民訛りで答える。
「いやなに、俺も農民の生まれだからねえ。こんななりはしちゃいるが、元々は山奥で土ばっかいじってた貧農の小せがれだよ」
「ほう、じゃあ大出世だ。大したもんだな」
老人は汗を拭い、草刈り鎌を置いて笑いかけてくる。
「あんたがいてくれるおかげで、細かい説明を全部やってもらえるのが助かるよ。それに年貢にも詳しいんだって?」
「紋章官の前は徴税官の助手をやってたからね」
年貢は主に穀物で納められるので、農業に詳しくないと徴税官助手は務まらない。収められた穀物をダメにしたら責任問題になる。
つまり俺の目が光っているところで脱税しようとしても無駄だ。
それが通じたのか、老人は首をすくめてみせる。
「おっかねえなあ。お手柔らかに頼むぜ、お若いの」
「無茶な取り立てはしないよう、王女殿下には俺からお願いしておくよ」
にこやかに応えたところで、その王女殿下がふくれっ面をする。
「聞こえておるぞ。そういう話は私のおらぬところでするがよい」
「すみません」
俺が謝ったとき、村の方から勇ましい声が聞こえてきた。
「一列横隊! 構え!」
「おう!」
「いい調子です! 一歩前進! 突け!」
「おうっ! うおりゃあっ!」
カナティエが農民兵たちを訓練しているようだ。
「カナティエ殿が張り切っていますね」
「さっき見たときは十人以上おったが、ここの兵役割り当ては三人であろう?」
「招集がかかったときに病気や家の事情で行けないことがありますから、余裕をもって訓練しておくのは必要ですよ。それに村の防衛となれば全員が戦いますし」
嘘は言っていないが、「気の強い美人にしごかれるの最高」という物好きな連中も混ざっているのは秘密だ。訓練してくれるのなら動機なんか何でもいい。
「では縦三連いきますよ! 打て! 打て! 打て!」
「おおっ! うおおっ! うおうっ!」
可憐な号令と野太い雄叫びが聞こえてくる。あれは槍で敵を叩き伏せる訓練だな。槍は攻防一体、突いてよし、叩いてよし、払ってよしの万能兵器だ。
「あっちも精が出ておるな」
特殊な性的指向については無知な姫が、うむうむと満足げにうなずいている。余計なことは言わないでおこう。
「そういえばメステスはどうした?」
「ここにいると村の女性たちが無限に寄ってくるので、王城との連絡役をしています。ついでに道中で情報収集をしてくれるそうです」
メステスは神官なので信徒からの情報が集まりやすく、聖職者限定の人脈も持っている。外回りにうってつけだ。
フィオレ姫は俺の顔をじっと見ている。
「メステスだけか?」
「何がです?」
「いや、おぬしは村の女どもから言い寄られてはおらんのか?」
「御冗談を」
メステスやウルリス王太子に比べたら、俺なんか畑の芋同然だ。見向きもされない。
「生まれてこのかた、女性に言い寄られたことなんか一度もありませんよ」
「ふーむ……そういうものか?」
妙に真剣な顔をして、フィオレ姫は何か考え込んでいる。
「確かにメステスが隣におれば、多少は見劣りするかの……」
「そうなんですけど、そういうのは口に出さない方が尊敬されると思いますね」
地味に傷つく。いや、これでも前世よりは少しハンサムになってると思うんだけどな。今の顔も結構気に入っている。
「まあよいではないか、それを聞いて安心したぞ。いずれおぬしにも良縁が舞い込むであろう。さて、執務室に戻るぞ。今の私の戦場は、書類の中にこそある! ついて参れ!」
やけに上機嫌な姫に背中をバンバン叩かれ、俺は溜息をついた。
でも、なんで姫は安心してるんだろうな……?




