第10話
こうしてフィオレ姫がマルダー村の領主になることが決まった。
俺の部屋でメステスが紅茶を飲みながらつぶやく。
「マルダー村の代官を輩出していたヘッツァー家にとっては痛手だけど、不祥事をお咎めなしにしてもらう代償としては安いものだろうね」
「傷ついた名誉がそのままだけどな」
俺がそう言うとメステスは皮肉っぽく笑う。
「でも例の代官の処罰を出家で済ませたんだから、それぐらいは甘んじてもらわないとね。神殿はゴミ捨て場じゃないんだよ」
神官だけあって、この手の出家には思うところがあるらしい。だがそういった「俗世からの避難所」も神殿の重要な役割だ。さもないと牢獄かあの世に行ってもらうしかなくなる。
メステスは紅茶を飲んだ後、どうでもよさそうな口調で尋ねてくる。
「それで姫は?」
「年貢で兵を養うんだと張り切ってるよ」
「あんな村で常備兵を維持するのは無理だよ。せいぜい五人ぐらい?」
「兵役の割り当てが三人だから、五人はちょっと無理かもな……」
労働力の九割ぐらいが食料生産に従事しないといけない時代だから、常備兵を捻出するのは並大抵のことではない。技師も神官も商人も官僚も、残り一割の枠内でしか維持できないのだ。おかげで文明が遅々として発展しない。
メステスは頬杖をつく。
「全く、面倒事を押しつけられたもんだよ。あの村には礼拝所しかないけど、改築して神殿にするんだってさ」
「王女の領地となれば、あまり貧相にもできないだろう。代官の屋敷も改装して、格式だけは高くするそうだ」
さすがに全面改築とまではいかないが、王女の所有する建物となれば相応の格式が求められる。
「ちなみに諸費用は姫持ちで、労働力はマルダー村から王令で徴発するとのことだ」
代官を追い出した報いとして、農閑期にただ働きしてもらう。それで落とし前をつけるということらしい。
メステスはフッと笑う。
「俸禄が収入源の代官と違って、王女殿下は年貢が収入源だ。今後は年貢の減免も通りづらくなるだろうね」
「それも処罰の一環だろうな」
年貢の減免申請を処理するのも代官だが、年貢が減っても代官は困らない。また多少の目こぼしは人心掌握のために黙認されているので、減免は無理でも代納が認められることが多い。よくあるのが道の整備や城館の修繕といった、賦役での代納だ。
だが今後はフィオレ姫が相手だ。姫は諸々の改築費用で借金持ちになるので、賦役での代納にも限度がある。
メステスはやけに色っぽい流し目で俺を見つめてくる。
「君の配慮で誰も死なずに済んだ。穏便な処理だよ。でも領地経営としてはマイナスからのスタートになった。ここからの舵取りは難しそうだね」
「仕方ない、王太子の命に背いて勝手に飛び出したんだ。姫にもそれぐらいの責は負ってもらわないとな」
そんなことを話していると、ドアがノックされて王太子付の侍従が入ってくる。
「失礼。ジュナン・エンド殿、王太子殿下がお呼びです。今すぐ修練場まで参られよ」
「承知しました」
王太子の命に背いた件は、俺も責任があるんだよな……。
半地下の修練場に行くと、稽古着姿の王太子ウルリスが木剣で演武をしている最中だった。
「はっ! とうっ!」
鮮やかな太刀筋で長大な木剣を振るう王太子。時には刀身を握って棒術のような動きもするが、これは甲冑を着込んでいるのが前提の介者剣術だからだ。フルアーマーの手甲があれば、刀身を握っても手を切る心配はない。
一方、俺が前世で習った剣道は防具こそ着けるものの、動きとしては素肌剣術に近い。そのため構えも足捌きも全く異なる。
介者剣術は重い鎧を想定しているので、腰を落とした低い構えが特徴だ。ぶっちゃけ王子様の剣術としては見栄えが悪すぎる。
だが王太子であれば、甲冑を着て戦うのが仕事の一部だ。
「せいっ! むぅんっ!」
一連の動きを淀みなく終えて、木剣の切っ先を石畳に向けるウルリス。倒れた騎士の喉元に突きつけているのがわかる。名のある騎士はああして降伏させ、親族に身代金を払わせるのだ。
しばらく残心した後、ウルリスは俺を振り返った。
「ああ、来ていたか」
「紋章官ジュナン・エンド、お召しにより参上いたしました」
恭しく一礼した後、お世辞を言っておく。
「見事な太刀筋のあまり、恐ろしくてお声掛けできませんでした」
「ははは、世辞はよせ。そなたも平民出身の割には結構な使い手だと聞いているぞ。一試合してみるか?」
俺のはしょせん部活レベルなので、ガチで殺し合いをしているプロには遠く及ばない。返し技のバリエーションひとつ取っても、俺と王太子では歴然の差があった。
試合なんかしたら俺がボコボコにされるだけなので、とりあえず事実を述べておく。
「お戯れを……。私のは平民の嗜みでございます。それよりも殿下、私にどのような御用でしょうか」
すると王太子は苦笑した。
「聡明なそなたならわかっているはずだ。そなたがどういう考えだったのか、聞かせてはくれないか?」
口調は柔らかいが、これは事実上の査問会だ。
修練場には稽古着姿の騎士たちが数名。あくまでも鍛錬の体裁で木剣を持っているが、全員が俺をじっと見ている。王太子の命令ひとつで俺をどうにでもできるだろう。俺の背後は冷たい石壁で、逃げ場はどこにもない。
俺は緊張しつつ、王にしたのと同じ弁明を繰り返す。
「他の側近と共に姫をお引き留めしたのですが、このままではお一人でマルダー村に向かわれてしまうと感じました。お引き留めできないのであれば、命懸けでお守りする以外にないと肚をくくった所存です」
「ああ、フィオレは頑固だからな……。ミオレも頑固だが……そういえば父上と母上も相当に頑固だな……」
一家全員頑固者なんだな。お兄ちゃんかわいそう。
コホンと咳払いし、ウルリスは木剣を侍従に預ける。
「苦慮の末の決断ということはわかった。そなたは忠義者だな。だが」
ウルリスがスッと歩み寄り、俺の背後の石壁に手を突いた。
美形、それもリアル王子様の壁ドンだが、もちろん嬉しくない。汗の滴が採光窓からの光でキラキラと煌めくが、もちろん嬉しくない。この手の美形ならメステスで見慣れている。
壁ドン王子は俺に顔を寄せつつ、威圧的に言った。
「その忠義、今後は私にも示してはもらえまいか?」
壁ドン王子の顔が近すぎるので、俺は目を伏せておしとやかに答える。
「もちろんです。私は王家に忠誠を誓い、その忠誠によって禄を食んでおります。フィオレ王女殿下だけが特別ということはありません」
「そうか。ならばよい」
フッと微笑んでウルリスが離れる。あんた、もしかして誰彼構わずにこんなことやってるの? こういう強引さはフィオレ姫と少し似ている。
ウルリスは汗を拭きつつ、俺に笑顔を見せる。
「父上がそなたをお赦しになった以上、私から言うことは何もない。今後もフィオレの力になってやってくれ。頼むぞ」
「ははっ」
恭しく頭を下げる。
すると侍従がスッと近寄り、ウルリスに古びた稽古着を差し出す。ウルリスがそれを受け取ったとき、微かに金属音がした。
「これは私が幼少の頃に使っていた稽古着だが、フィオレにはちょうど良い寸法であろう。今後は体も鍛えねばなるまいから、これを渡して稽古に励めと伝えてくれ」
「はい、お伝えいたします」
拝領したとき、やっぱり金属音がした。剣術の稽古着といっても、綿をぎゅうぎゅうに詰め込んだキルティングの服だ。鎧ではないから金属音がするのは不自然だ。
触ってみると、綿の中にメダル状の何かが入っているのがわかった。この小粒ながら頼もしいほどの重さ、おそらく金貨だ。
「殿下、これは……」
「ああ、古いものだから綿を入れ直させたのだが、綿以外にも何か入ってしまったのかもしれないな。フィオレの好きなように使わせるがよい」
精一杯さりげなく言っているつもりだろうが、顔が少しにやけていた。
ははあ、なるほど。借金まみれになった妹のために、お兄ちゃんがこっそりお小遣いをくれたということか。
大人っぽく粋な計らいをしてみたかったんだろうが、これを命じられた針子の侍女は大変だっただろう。もっとスマートな方法が絶対にあると思う。
初々しい兄妹愛に微笑みながら、俺は頭を下げる。
「かしこまりました。これほどまでに兄君に愛されておられるフィオレ殿下は、本当に幸せな御方ですな」
「うん、そうか」
頑張って無表情を装っているけれど、ウルリスの口元がにやけている。父王といい、親子でそっくりだ。
ウルリスはすっかり明るい表情になり、親しげな口調で俺に話しかけてくる。
「エンド卿よ、そなたはなかなかに面白い男だな。今後は何かあれば遠慮せず私に相談するがよい」
「ありがたき仰せ」
なんとかうまいこと切り抜けた俺は、ずっしりと重い兄の愛を抱えてフィオレ姫の部屋へと向かう。
……この一家、すごくめんどくさい。




