第1話
異世界で第二の人生を歩んできた俺は今、王城の広間で喜びを噛み締めていた。
第三代ユナト国王、オルバ・シュテンファーレンが重々しく宣言する。
「かねてより内示の通り、お前たち六名を我が王室の紋章官に任命する」
紋章官。
敵味方の紋章を識別し、捕虜や戦死者の身元確認を行う役職。戦場では敵方との交渉役も務め、平時は外交官として活躍する。
やった、やったぞ。ついにここまで登り詰めた。頭の中で「立身出世」「悠々自適」「天下泰平」「君臣豊楽」などの言葉がぐるぐる回る。
思えば長い日々だった……。
日本で言えば戦国時代ぐらいの異世界で山奥の農村に生まれ、電気はもちろんティッシュすらない生活にずっと耐えてきた。
徴税官助手を皮切りに地道な役人生活を続けて数年。働きぶりが認められ、ついに紋章官に任命されたのだ。これで貴族としての待遇を得られる。
国王の訓示がまだ続いている。
「本来は五名の予定であったが、事情があって六名となった。順に拝命せよ」
俺の隣には同年代の青年が五人。俺と同じで、この王城に勤務している若手の役人たちだ。どんな人かは知らないけど。
彼らの名前が順に呼ばれ、国王の前で臣下の礼をする。最後は末席の俺だ。
「リンネン村の住人、ジュナン」
「はっ」
俺が進み出ると、国王は俺の肩に王錫で触れた。
「農民からここまでの出世は前例がないが、だからこそ今日ここに新たな前例を作ることを喜びとしよう。お前を本日付で王室紋章官に任ずる」
無言で一礼が正式な作法なので、おとなしく頭を下げておく。
「一代限りの貴族としての地位を与え、望み通り『エンド』の家名を許す。今後はジュナン・エンドと名乗るがよい」
前世の姓が遠藤だったので、ユナトの姓で一番近いのを希望しておいた。だいたいの農民には姓がなく、さっきみたいに出身地で呼ばれる。
王錫を離した後、国王は厳つい顔で俺たちを見つめる。
「これでお前たちは王室紋章官だ」
「はい!」
「逃げられんからな」
「はい?」
どういう意味だろう。小国とはいえ王室紋章官なら高級官僚だぞ。逃げる訳ないじゃん。顔を見合わせて困惑する俺たち。
「逃げられんからな?」
大事なことなのか二回言われた後、国王は振り向いて声をかける。
「フィオレよ、入ってまいれ。そなたの願いを叶えてやるぞ」
なんだ? 何が始まるんだ?
広間の大扉が「バーン!」と開いて、十代半ばぐらいの少女がずかずか入ってきた。小柄で細身だが、顔立ちは凜としていてとても格好いい。王子様っぽさがある。
背後に女騎士みたいな人もついていた。
「はじめまして、ものども!」
間違ってはいないけど、もう少し言い方ってもんがあるだろ。
「私がフィオレだ! ユナト王オルバが長女、フィオレだ! 見知りおくがよい!」
二回言うのが好きな親子なのかな……。
俺は他の新任紋章官たちと顔を見合わせるが、ここで国王が二回も言った言葉を思い出す。
――逃げられんからな。
ちょっと嫌な予感がしてきた。ろくでもないことが起きそうな気がする。
そんな俺を尻目に、国王は軽く溜息をついた。
「で、我が姫よ。どの者にするのだ?」
「しばし待たれよ父上、今から見定めるので……」
俺たちの顔を順番に見ていくフィオレ姫。
「この者は?」
「近衛騎士ベルネイ卿の四男だ」
「おお、確かにベルネイ殿によく似ているな。末永く父上に仕えてくれ」
お言葉をかけ、横を通り過ぎる姫。
「こっちの者は?」
「王室御用達の火薬商、ブレンダン家の次男だ」
「ふむ、さようですか。ブレンダン商会の火薬は信頼の証だ。そなたも励むがよいぞ」
横を通り過ぎる姫。
そんな感じで次々と通り過ぎていき、最後に俺の前に来た。
こうして見ると、まだ子供のあどけなさが残っている。微笑ましい。というか本当に微笑んでしまう。
「ふーむ……」
やけに熱心に見てくるな? さっきまでとは視線の粘っこさが違う気がする。
下からの視線に耐えきれなくなってきたとき、姫が国王を振り返った。
「では、この者は?」
「リンネン村の農民だ」
「なんと、農民から紋章官に!?」
俺をじっと見る姫。俺もなんだか視線が吸い寄せられるような感じがして、姫をじっと見つめ返す。
顔立ちにあどけなさは感じさせるが、とても真剣な表情をしているな。それに賢そうでもある。不思議と印象に残る子だ。
「おぬし、家は豊かであったか?」
「いえ、小作農です。とても食べていけないので猟もしていました」
「では読み書きをどこで覚えた?」
「独学です。村の礼拝所に一冊だけ教典がありましたので、薪を薄く削って何度も書き写しました」
日本語でメモができるので、ゼロから覚えるよりずっと簡単だった。日本語のメモは誰にも読まれる心配がないので、今でも重宝している。
俺の前世など知らないフィオレ姫は感心した様子だ。俺の顔を見上げてニコッと笑う。
「よいな、実によい! 見事である! 同じ紋章官なら、最も低いところから上がってきた者が一番優秀であろう!」
それはそうかもしれないけど、言い方ってものがあるだろ。他の紋章官が俺を睨んでるからやめてくれ。何なんだこの子は。
後でどんな嫌がらせを受けるかわからないので、安全のために自分を卑下しておく。
「ですが他の方々と違い、私には紋章官として必要な人脈も後ろ盾も一切ありません」
しかし姫は動じない。
「案ずるでない、そのようなものは後から勝手についてくる。むしろ余計なしがらみなど、ない方が使いやすかろう。うむ、我ながら慧眼である」
興奮気味の姫は、バッと国王を振り返る。
「この者にします! よろしいですか、父上?」
「無論だ。約束は違えぬ」
何かが決定されたようなのだが、何がどうなってるのかわからない。
すると国王が俺を見て、やや気の毒そうに告げた。
「本当に申し訳ないが、お前がフィオレ王女付の紋章官となった。心を強く持て」
「承知いたしました。誠心誠意お仕えします」
よくわからないまま俺は恭しく一礼したが、国王の心底気の毒そうな視線がやけに気になっていた。
隣から他の紋章官たちのヒソヒソ声が聞こえてくる。
(あいつ、もう出世できないな)
(ああ。だが助かったよ……)
なんて?
そちらに視線を向けようとしたが、それよりも早くフィオレ姫が俺にニカッと笑いかける。
「光栄に思うがよい! おぬしは今日から私の直臣である!」
「恐悦至極に存じます」
俺はよくわからないまま一礼する。
王女の側近なら従軍はしないだろうし、難しい外交問題を担当することもないだろう。給料が同じなら仕事は楽な方がいい。どうせ姫が嫁ぐまでの一時的なポストだろうし。
なんてことを考えていると、横から会話が聞こえてきた。
「陛下、ようございましたな」
「うむ。増員したのは正解であった。では残りの五名は余の執務室に参れ。面談の上、配属先を決定する」
国王と側近たち、それに他の紋章官たちがゾロゾロと広間を出ていく。心なしか全員、ホッとした表情だ。
もしかして俺は、何かとんでもない役目を仰せつかってしまったのでは?
その予感を裏付けるように、フィオレ姫が俺に言う。
「ではこれより、私の外交を手伝ってもらうぞ。ついて参れ」
「ええと、その……姫様の外交ですか?」
王太子ならわかる。次期国王だから外交実績を作っておくのは当然だ。王太子でなくても王子ならわかる。
でも王女様だぞ?
こんな乱世では政略結婚の道具でしかない。重臣や他国の王室に嫁ぐのが仕事だ。
しかしちっこい王女様は俺を見上げながらふんぞり返り、首を傾げる。
「それが紋章官の職務であろう? おぬし、ちと察しが悪いのではないか?」
「そんな気がします」
俺は新品の紋章官の服を整えると、コホンと咳払いをした。
「姫様、少々よろしいでしょうか」
「よいぞ。申してみよ」
鷹揚にうなずくフィオレ王女殿下に、俺はなるべく丁寧に説明した。
「紋章官は外交官の一種ではありますが、軍事的な役割が強い役職です」
「うむ、存じておる」
「戦場で敵味方の識別を行ったり、敵方への交渉に赴いたりするのが仕事です」
「それゆえ、戦地においては紋章官は戦いに参加せぬし、紋章官を攻撃することも許されぬ。そういう職だな?」
「はい」
しっかり理解しているようだ。
「それを確認した上で質問しますが、姫様はまさか戦場に立つおつもりなのですか?」
するとフィオレ姫は目を輝かせ、満面の笑みで腰に手を当てて胸を張った。
「いかにも!」
いかにもじゃないよ。王女が戦場で兵を率いるなんて聞いたことがないぞ。
どっかおかしいんじゃないか、このお姫様。
すると姫は何かに気づいたように、ポンと手を打った。
「ああそうか、なるほどな。おぬしの困惑は理解できたぞ。王女が戦場に立つなどありえぬからな」
「そうです」
異世界でもやはり軍事の男女差はあり、女性は戦場に立たないのが普通だ。
だが姫は手をひらひら振って苦笑すると、スタスタ歩き出した。
「そのような些事を気にするでない。その辺りも順を追って説明するゆえ、ひとまずついて参れ」
子供特有の身軽さでスタスタ歩き出し、くるりと振り返って手をぶんぶん振る姫様。
あんなお子様が戦場に?
困惑しまくっていると、女騎士みたいな人が軽く咳払いをする。
「参りましょうか、ジュナン様」
「わかりました」
俺はうっすらと不安を抱きつつ、姫の後を追って歩き出した。




