仮装舞踏会(4)
続いて他のプレイヤーも手札を交換した。
ゲームがはじまってからずっと妙な違和感が消えなかった。皆、ポーカーが好きだと言う割にはプレイが雑で、勝つことに執着がないように見える。
(金持ちはこの程度の宝石に未練がないのか、あるいは他に――)
クレオパトラはすでにフォールド。エリザベス一世は手持ちの指輪を使い果たし、リタイア。オスマントルコはジョセフーヌの様子を横目で窺い、人差し指からサファイアを、薬指からクリソベリルの指輪を抜いた。
「レイズ」
テーブルの真ん中に軽やかに転がり出る、蒼と緑の光。
(――はったりだ)
ルネは自分の手札をふたたび確認した。
こちらはLe DameのLe carréだ。負けるわけがない。
「コール」
ルネは手持ちの三つの指輪のうち、ふたつをテーブルの上に差し出した。
その瞬間――
真紅の薔薇が綻ぶようにジョゼフィーヌの頬が緩んだ。ジョゼフィーヌは手元に山積みになっていた指輪を鷲掴みにし、テーブルの真ん中にぶちまけた。
「オールイン」
(――何だって?)
思わず驚きが顔に出てしまった。
ジョゼフィーヌは酒に酔い、とろんと下がった目許でルネを見返してくる。オスマントルコはお手上げとばかりにフォールドを宣言した。
ついにジョゼフィーヌとルネの一騎討ちだった。ジョゼフィーヌは紅いくちびるをすぼめ、短く口笛を吹いた。
「さあ、どうなさるの? シュリー伯爵夫人の指輪、ぜぇんぶ私に取られちゃうわよ」
はったりなのか、それともまさか――
「あなたの本気を見せてちょうだいな、坊や」
ルネを見つめるブルーの瞳が爛々と輝いている。
(さっき四枚も交換したんだぞ。俺よりも強い役なんて出るわけがない!)
手の中に、ただひとつ残った指輪の感触――ルネは神に祈るような気持ちで、それを指輪の山の上に置いた。
「オールイン」
そう宣言した瞬間だった。自分を取り巻く四つのくちびるが紅い新月の弧を描いた。
テーブルの中央で、ジョゼフィーヌの手札が扇子のように翻る――するとそこに〈溢れんばかりの愛〉が姿を現した。
CœurのLa quinte flush!
「……嘘だろ」
唖然とするルネの姿がおかしくてたまらないのか、夫人たちは大声で笑い転げている。
「ジョゼフィーヌったら、容赦ないわねぇ」
「可哀想な坊や。すっかり虐められちゃって」
「すっからかんになっちゃって、シュリー伯爵夫人にお仕置きされちゃうかもしれないわよ」
嬉々として自分をからかう夫人たちを前に、ルネはぐったりとソファに沈み込んだ。ジョゼフィーヌがにやりと自分を覗き込む。
「全部、返してあげてもいいのよ」
「……そうしてくれると、助かるけどな」
ルネは甘えた表情を作り、上目遣いに夫人を見上げた。ジョゼフィーヌはふふっと笑い、顔に落ちた金の髪を指で払った。
その顔が突然、鼻先に触れるような距離に迫る。
「あなたがキスしてくれたら、返してあげる」
思わずルネは吹き出した。
(そう来たか。さすがは悦楽を愛する侯爵夫人だな)
ルネは身体を起こし、その薔薇色の頬に軽くくちづけた。すると何がおかしいのか、こんどはジョゼフィーヌが吹き出した。
(――いったいどういうつもりだ)
怪訝な顔をするルネをジョゼフィーヌはじいっと覗き込んだ。
「こんなお友達のキスじゃなくて、愛のあるやつが欲しいのよ、王子様」
ジョゼフィーヌの人差し指が物欲しげにルネのくちびるをなぞる。気づけば周りの夫人たちも、爛々と瞳を輝かせルネの反応を窺っていた。
追い詰めた獲物を弄ぶ好奇の視線――
この異常な状況に晒され、ルネはずっと抱いていた違和感の正体にようやく気づいた。
(――なるほどね。ここまでは俺を追い詰めるための罠、ここからがゲーム本番というわけか)
そう気づいた途端、やはりさっきまでの勝負がいかさまだったことを確信した。
(見定めてやろうってわけだな、俺の価値がどれほどのものか。しかし、いたいけな少年をおちょくって遊ぶとはたいした貴婦人様だよ)
全身の血がどっと沸きかえった。金持ちの道楽の鴨にされたままでは気が収まらない。
(そっちがその気なら、こちらも容赦はしない。最高値をつけさせてやる)
ルネはジョゼフィーヌの指先を掴み、自分の方に引き寄せた。上目遣いに見上げる灰青の右目が、闇夜の猫のような光を帯びる。
「――ねえ、マダム。僕の愛は、それほど安くはないよ」
引き寄せた中指には、大きな指輪が輝いていた。隙間なく、ぐるりと一周埋め込まれた真紅の宝石の環が――
それがピジョン・ブラッド(鳩の血)と呼ばれる特別なルビーであることをルネは知らない。わかっていたのは、ジョゼフィーヌが一度もポーカーの賭け金に使わなかったこと、何度も自慢げにその指輪を撫でていたということ――
つまり、お遊びには使えない極上の品であるということだ。
血の結晶のようなその指輪に、ルネはそっとくちびるを寄せた。ふたりのあいだを駆け抜ける、焦げつくような緊張――
「本気で僕の愛が欲しいのなら、このとっておきのやつも出してくれなくちゃ」
一瞬、毒気を抜かれたようにジョゼフィーヌの瞳から圧が消えた。どこかしら無邪気にそのくちびるが弧を描き、白い頬が薔薇色に上気していく。
気づいたときには胸のすくような高笑いが天井に響いていた。周りで見守っていた夫人らも、ルネを称賛するように手を叩いて笑っている。
「驚いた! これはたいしたジゴロだわ! さすがはオーギュストの弟子ね」
ようやく緊張から解放され、ルネは静かに息を吐いた。ジョゼフィーヌは目尻に溜まった涙を拭い、機嫌よく真紅の指輪を引き抜いた。
「あなたの勝ちね。極上の愛を受け取って、王子様」
そう言ってルネの手をとり、ルネの中指にルビーの指輪を通していく。
この瞬間、愛の結晶は、孤児院育ちの少年に主人を変えた。
(――勝ったよオーギュ!)
ルネはジョゼフィーヌの頭を引き寄せ、深く、大人のくちづけをした。きゃああ、と周りの夫人たちから黄色い歓声が上がる。
「王子様、私の愛も受け取ってちょうだいな!」
「こっちにもいらっしゃい! 極上の愛をあげるから!」
「全部持っていって、王子様! 私は誰よりも愛情深いわよ!」
エリザベス一世とクレオパトラとオスマントルコも、自分の首飾りやブローチをつぎつぎと外し、神像に捧げるようにルネの身体を飾り立てていく。捧げ物を受け取るたび、ルネは夫人らの膝に跨り熱いキスをして回った。
最後にエリザベス一世と白粉まみれになりながらくちづけを交わしているときだった。突然見知らぬ男の声が耳許に響いた。
「さっきからずいぶんとお愉しみのようだけど何をしているのかな? その遊び、俺も混ぜてもらっていい?」
驚いて振り返ると、ひとりの青年がジョゼフィーヌの背後から両腕を回して抱きついている。
頭に白いターバンを巻き、全身を宝石で飾りつけたその青年は――
「アンリ!」
「もう、待ち焦がれたわよ」
「もっと早くにいらっしゃいよ!」
「とびきり面白いゲームだったのに」
ぶうぶうと文句を言いながらも、夫人らはアンリの登場に青い瞳を輝かせている。
――アンリ・ド・モンテスキュー。先ほど輿の上からルネを指差し、そしてルネが暴言を吐いた例の青年だ。
ルネはぎくりと身を強張らせた。
「遅くなってごめんね。ロチルドの奴に捕まっちゃってさぁ。でも金儲けの話より、俺はこっちの方がいいや」
「さっきまで私たち、こちらのルネ王子と〈愛の交換〉をしていたのよ」
エリザベス一世が白粉と口紅で汚れたルネの口周りをハンカチで拭ってくれる。
アンリは、へえ、と面白がるような声を出し、ルネの隣に強引に割り込んだ。ルネを吟味する目尻に悪戯な笑みが浮かんでいる。
「この宝石ぜんぶ、お前のキスと交換したのか」
その自信に満ちたヘーゼルの瞳。艶やかな鳶色の髪。すっと通った上品な鼻筋。健康的な大きめの口――
間近で見れば、男でも惚れ惚れするような容姿だった。しかも名門貴族の大金持ちときている。女性陣が大騒ぎするのも頷ける。
(当たり前のように、すべてを持って生まれてきやがって)
無言で睨みつけてやると、アンリは白い歯を見せて笑った。
「お前、やっぱり面白いな!」
アンリは突然頭からターバンを脱ぎ、そこに付いていた巨大な宝石飾りを取り外した。そしてルネの左胸に勲章のように留める。
何をされているのかわからず、ルネはぽかんとアンリの顔を見返した。
「俺の愛をお前の愛で返してくれよ、王子様」
突然、アンリの瞳がぐいっと目前に迫る。ようやく事態を呑み込んだルネは、慌てて後ろに飛び退いた。
「……何言ってんだよ。お前、男だろ!」




