悪夢の果ては水の底
子供の頃懐いていた父を、いつから私は苦手意識を持ち始めたのか。
心境の変化の道筋を整理すれば、楽になるのだろうか。
中国では、家族の待つ家のことをしばしば安心できる港湾にたとえられる。こどもが海を行く船なら、家が船の休む港であると。
するとふと考えてしまう。家が港湾なら、さしあたり母の存在は心の憩いの場を提供する宿屋だろうが、父の存在とは。
船を繋ぐビット?ふ頭?桟橋?どれもしっくりこず、どれにも当てはめることはできない。
そもそも私は、父を「安心できる港湾」の一部として認識したことがあっただろうか。
女の子は父に懐く、とよく言われているが、私の子供時代もそうだった。
いや、正確に言うと、そうだったように見えたのだと思う。
世話焼きの母の小言に辟易し、父と娘は「やれやれ」と呆れ果てた眼差しを交わす――同じ相手をあざ笑うことで、三人しかいない核家族の中で同盟を結び、仲間を増やす行動だった。
こどもは(我ながら)ずる賢い生き物で、父と母のどちらを味方につければより大きなメリットを得られるか計算し、本能的にそれを行う。
憎たらしい程ずる賢いクソガキだった私も、多少踏みにじったところで変わらず愛情を私に向ける母より、物理的にも社会通念上も力を持ち、機嫌を損ねたら損害の予想がつかない父を味方に引き入れることにした。
大人になった今だから分かる。それは父に懐くのではなく、媚びていたに過ぎなかった。
成長するにつれ、少しずつ母の苦労が分かるようになり、親であるはずなのにいつまでもわがままで気まぐれな悪ガキのまま成長しない父とも、そのうち距離を置くようになった。
といっても距離を置いたのはあくまでも心の話で、表は父を尊敬し、程よく懐いている娘を演じ続けていた。
このまま一生演じ続けていくかと思っていたが、私も自分が思うほど辛抱強く、器用ではなかった。
最初の違和感は、大学卒業後、留学や就職でバタバタして、三年ぶりに家に帰った時に感じた。
念願のマイカーを入手した父に、ドライブに連れて行かれたが、お世辞にも乗り心地が良いとは言えなかった。
急発進でぐいっと座席に沈められたと思いきや、今度は急ブレーキでベルトが腹に食い込んで終えっと吐きそうになる。アシストグリップから手が離せない私は、ただひたすら「なぜ事前に生命保険に入っておかなかったんだ」と後悔し、恐怖心と戦っていた。
荒い運転スキルよりさらに荒いのは、運転中の父の喋りだった。
「見ろよあいつ、へたくそでよくもまあ公道に出られたんだな」
「ウインカーをとっとと出せよ、あほ」
「おいおいそんな運転恥ずかしくないのか笑」
自分のことを棚に上げて、すれ違うすべての車に文句を垂れる姿があまりにも滑稽で、これが大人の男――私の父親――の姿なのかと、愕然した瞬間だった。
ゆらゆらと、足元が揺らぐのを感じた。
翌年、年末の親戚の集まりに参加した時の出来事だった。
男衆が十人以上集まれば、大概ろくでもない飲み方をしてしまうわけで、つい先日急性アルコール中毒で死人が出たニュースの忘れて、父もその輪に飛び込んで、かなりハイペースでぐいぐい酒を仰いでいた。
「さすがに…ちょっと加減したら…?」
父の飲みっぷりを心配した母は小声でやんわり注意すると、興を削がれた父はかっと目を見開き、どすの効いた声で咆えた。
「K家の俺らに口を出すな!!」
(中国は夫婦別姓で、Kは父の姓、Mは母の姓である)
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが爆ぜた音がした。
三十年以上あなたに寄り添い、家庭を支えてくれた妻に吐く言葉がそれか。
てめぇの父の介護を背負い、心身を削りながら最後まで看取った嫁が、所詮はよそ者扱いなのか。
口を閉じた母と、鷹揚と酒を仰ぐ父を見て、怒りと呼ぶにはあまりにも冷たく、失望と呼ぶにはあまりにも刺々しい何かが、私の喉に流れ込み、息ができないほどだった。
その次の日、両親は仕事で日本に戻る私を空港まで送った。
父は私に「大事なことを伝える」といい、別れを惜しむ母親から引き離した。一緒に話を聞こうとした母に、ご丁寧に
「これはK家の二人だけの話だ」
と言い放った。
子供の私だったら、「お父さんと二人だけの内緒話~」と舞い上がっていただろう。だがアラサーとなった私は、ただ冷めた目で独りよがりの台詞を吐く父を見ていた。
お父さん、それ分かってて言ってる?あなたの娘も誰かと結婚したら、その家にとってのよそ者になるよ。あなたの娘も「K家の分際で口出すな」と言われる日が来るかもしれないのに。
その二人きりでないと話せない内容も、結局は「父親として忠告してやる、お前ももういい年だから結婚しろ、K家の為にも」というもので、家系に固執して家族をないがしろにする男が何言ってんだ以外の感想はなかった。
そうか、私の父親って、こういう人間だったんだ、と諦めに似た発見だった。
しかしどうやら諦めがつけば、いちいちがっかりせずに済む……というわけでもなかったようだ。
近所の家族と一緒に食事する時の出来事だった。その家の長女は大学に入ったばかりで、父は席上で彼女に向って意気揚々と説教を始めた。
「いいか、よく聞け。これは命令だ。大学で彼氏を作れ、恋愛しろ。でなければ行き遅れるぞ」
家長制度の煮凝りのような父親だとは思っていたが、よその家族の、赤の他人の女性に向かって「命令だ」とかほざく無神経さが私の想像をはるかに超えた。
家の中で三十年も王様気分でい続けたから、世界中の人間が自分の臣下であるとでも思ったのか。
冷たい何かに全身を浸したような錯覚に囚われ、私はふと「家は港湾である」たとえを思い出した。
あぁ、父は、港湾に蠢く海水だ。
その水は船を浮かばせるものではなく、常に渦巻き、船を飲み込もうとしている。
私はふらふらとぐらつく舳に立ち、バランスを取ろうとする努力も虚しく、つい水の中に落ちてしまった。
落ちて初めてその冷たさと非情さを痛感し、息ができないほど溺れてしまう。
私の目に沁み、耳を塞ぎ、鼻を詰まらせる感情の正体は――
嫌悪だ。
私は嫌悪の水の中にいる。
父の吐く言葉が、抱く考えが、現る行動が、足掻いてもまとわりつく暗い流れのように、私を水底へ引きずり込む。
親戚の家の娘さんが話題に上がったことがあった。
高校生の彼女は頭が良くて頑張り屋で、人を思いやるいい子と周りから一目置かれていた。
私の父は鼻で笑って言った。
「でも出っ歯だろ、そんなブスを嫁にもらうところねぇよ」
そうか、父にとって女性の価値は、すべて父系制度の贄になれるかどうかに集約されているんだ。
ごぼごぼと、水の泡の音がする。
また少し、水底へと沈み行く。
つい最近、帰省してきた叔母から、私の両親と食事をした話を聞いた。
叔母には娘が二人いて、二人とも同席していたのに、父は彼女らの前で叔母を責めた。
「女児なんて、一人で十分。二人も要らないだろ」
叔母は怒りを抑えて答えた。
「二人とも私にとっては大切な娘です。私が神様に願って授かった宝物です。お義兄さん(私の父)だって、立派な娘さんをお持ちでしょう。異国まで行って夢を叶えて、立派に生きてるじゃないですか」
すると、私の父はこう答えた。
「いくら立派だって、所詮は女だ」
泡音すら遠のく水の中。
ゆらゆらと。
くらくらと。
ここは、暗い暗い水の底。
実は、三日連続で父に結婚を催促される悪夢に魘されてきた。憑き物落としの意味も含めて、ここに吐き出していく。
王様の耳はロバの耳。
私の父は――。