夫婦げんか
私の前ではそれなりにうまくやっていた両親。
私が知らないだけで、とっくに溝が開いていたのかもしれない…
今年の1月29日は春節の日だった。
春節は年によって繁忙期にあたる2月になることが多く、数年間帰省ラッシュを避けていたが、上の世代のじいさんばあさんたちがぽろぽろ欠け始め、孝行の一環として二週間の休暇を取り、家族と一緒に春節を祝った。
四方八方から集まってくる遠縁の親戚たちに「この人誰だったっけ」と心の中で繰り返しながらひたすら愛想笑いを振りまき、食事会に次ぐ食事会で胃もたれに苦しめられ、残りHP1点しかない体を引きずってやっと羽田空港に降り立った。
よし、ひとまず「ミッション:家族団らん クリア」
……と思いきや、帰還したその夜に異変あり。
恋人のように毎晩のお休みメッセージを欠かさない母より
「今日からおばあちゃんの家に泊まるよ、おやすみ♥」
とのメッセージが届き、どきりとした。
「なんで?おばあちゃんの体調が悪くなった?」
と慌ててビデオ通話を繋げて聞くと、そうではないとの答えが返ってきた。
おばあちゃん――母の母、つまり私の外祖母――は88歳で足腰が悪く、そのお世話は兄弟姉妹かわりがわりしている。
母の番になると、私たちの家に連れ帰ってお世話をしてたが、なぜ古くて設備も老朽化している外祖母の家に泊まり込みで世話をしているか分からなかった。
母に聞くと、何か言いたげな表情を見せながら、ぐっと言葉を飲み込み、
「……聞かなくていいわ、明日も仕事が早いんでしょ?」
母はいつもこうだ。心配させまいと何もかも自分で背負い込もうとするし、教えないと決めれば頑なに口を閉ざす。
しかし、この状況は流石に察しが付く。
家に連れて行かないのではなく、連れて行けないのだろう――
とりあえず納得したふりをして通話を切り、すぐに父に音声通話をかけた。
父はちゃんと家に一人でいるようで、それとなく探りを入れたら「やっと聞き手が現れた!」という勢いで喋り出した。
父曰く、外祖母には子供が何人もいるのに、介護の面倒は半分以上うちに押し付けられている、それが気に入らない。
外祖母が一番溺愛した末の息子(私の叔父)が孫の世話を言い訳に介護にノータッチの上、私の母を邪険にし、あろうことか「俺ん家の問題にお前が口出すな」と暴言を吐いた。
母は外祖母の世話ばかりで、妻として、母親としての責務を疎かにして、自分の夫をいつも蔑ろにしている、しかも年を追うごとにどんどん傍若無人になっていく。
外祖母の介護はやぶさかではないが、母方の兄弟たちが自ら外祖母を私の家に連れてきて頭を下げてくれたら中に入れてあげる。そうでなければ敷居は跨がせない。
父も相当腹を立てているのか、途中から母のことを馬鹿だとか、メンツを立ててくれないとか、自損事故で傷付いた顔が醜くてしょうがないなどと愚痴り始め、それ以上聞くに堪えないので、なんとか宥めすかし、共感の言葉をいくつか投げて通話を切った。
なるほど合点した。
つまりは介護の問題を巡って夫婦げんかし、母は介護も兼ねて実家に戻ったという次第だ。
子は鎹というが、こういう時こそ娘である私の出番だろう。とはいえ、片方の言い分だけ鵜呑みする訳にもいかず、次の日に再度母とビデオ通話した。
「ごめん、ちょっと気になって父さんに聞いてみた」
と母に打ち明けると、彼女はすぅと息を吸い込み、努めて平静を保とうとしているように見えた。
「お父さんは何て言ったの?」
父が挙げた問題点をかいつまんで――できるだけマイルドに変換しながら――伝えると、母はわなわなと唇を震わせた。
「ほんとに……好き勝手に事実を曲げて……噓ばっかり……」
父にも兄弟がいるが、遠く離れた地に住んでいるため、彼の両親――つまり私の祖父母――の介護は、実質全て私の家うちが引き受けていた。もちろんそれは父親ではなく私の母がこなしており、祖父が大病で亡くなる前は、おむつの交換など下の世話もしていた。
それを棚上げにして、母方の兄弟の数を引き合いに出して、きっかり割り当てないと気が済まないらしい。
外祖母は娘に負担をかけている負い目から、毎月私の家に食事代と称して相当な額のお金を入れていることも、この時初めて母の口から初めて知った。
叔父の「俺ん家の問題に口を出すな」も実は介護の問題ではなく、叔母側の家族の話の流れで(ちょっと言葉は過ぎたのは確かで)私の母と兄弟げんかしただけで、その後はちゃんと和解している。なのに父はそれをすり替えて、悪者に仕立てた。
「お父さんは介護の割合とかいうけど、私を産んだ母親なのよ、娘の私が世話をして何がいけないの……それを『兄弟ともども頭を下げに来ないと敷居を跨がせない』なんて、人が言う言葉?彼のお母さんも年に半分の時間は私たちの家にいるし、食事代どころか、私のお小遣いから金を持っていくわ。私が一度でも文句を言った?」
いつからか頭の中がぐあんぐあん鳴り、ほかにも母が何か言っていた気がするけれど、十年ぶりに見た母の涙だけが目にこびりついて離れなかった。
「おばあちゃんの家は湿気が強いから、エアコン代ケチらずにちゃんとつけてね、人に腹を立てて自分の体を壊したら損だよ」
かける言葉が見つからず、精一杯ひねり出した言葉がこれで、我ながら情けなかった。
ごめん、やっぱ私は鎹になりそうにないや。なれるとしたら誰かの脳天をかち割ってその思い込みや傲慢さを粉々にするドリルくらいだ。
通話を切ってしばらく、母から短いメッセージが届いた。
「医者にドライアイと診断されたけど、きっと嘘ね。だって涙がこんなに出るんだもの」
私は凡人です。
平凡な家に生まれて普通に育ち、きっと波風立たずに生きていくだろうとぼんやり思っていた。
ありふれた悩みだろう。大した問題ではないだろう。
飲み込んで飲み下して飲み干して、なのにふとした瞬間にせりあがってきて叫びたくなる。
ロバの耳を叫んで埋めれば、すっきりするだろうか。




