5年生編(4)
世間は何の変哲も無い朝を迎える。朝日が町に注がれ、小鳥たちが歌い始める。暖かな空気が弘前市を包み、植物たちも目を覚ます。
カーテンの隙間から注がれる一筋の光が、和樹を照らす。暖かな光に照らされ、ゆっくりと起き上がる。起き上がれたものの、いつもと違い、体に力が入らない。
(「泣き疲れて、いつの間にか寝てしまった……。まだ心の整理がついてないや。これからどうすればいいんだろう。まだ辛いけど、学校に行かないと……。」)
和樹の目元は赤く腫れ上がり、喉はカラカラに乾いていた。
(「こんな顔じゃ、学校に行ってもみんなに心配されちゃう……。とりあえず、顔を洗おう。」)
ゆっくりと扉を開け、外の様子を確かめる。昨晩とは打って変わり、家の中は何も無かったと思わせる程、静まり返っていた。
親に会う勇気がなかったため、音を立てないようにゆっくりと洗面所に向かう。誰にも会わないまま洗面所に辿り着くと、鏡を直視する和樹。
(「うわぁ……、本当に酷い顔だ。全然元気が出ないや……。」)
そんな顔をかき消すように、顔をいつもより強く洗う。そんなことをしても、気分は変わらない。何も変わらないことは分かっているものの、何か変わるかもしれない、そんな淡い期待を持ってしまうのでした。和樹には、そんなことしかできなかった。
洗顔を終え、リビングに向かおうとするも、足が重い。昨晩あんなことがあって、家族はどうなってしまったのだろう、リビングが険悪な雰囲気になっていたらどうしよう、様々な不安に襲われる。洗面所から全く動けなくなってしまった和樹。動こうにも体が言うことを聞いてくれない。不安だけが和樹を取り巻く。
和樹が動けずに佇んでいると、突然、洗面所の扉が開く。
「和樹、起きてたのか。おはよう。」
小さな声で父が話しかける。父はいつも通り振る舞おうとしていたが、明らかにいつもと違っていた。猫背になり、腕はだらりと垂れている。昨晩の疲れが残っているのが見てとれた。
「父さん。おはよう。」
一言だけ言葉を交わし、洗面所を後にする。
(父さんもやっぱり元気ないな。父さんのことも心配だけど、母さんは大丈夫かな。)
気分が晴れないまま、リビングに到着する。リビングには母の姿があった。朝ごはんの支度をしており、ちょうど食卓に食器を準備しているところだった。
「あら、和樹おはよう。もうちょっとでご飯の支度できるからね。」
母はいつも通り接してくれるが、どことなく元気がない。赤く腫れ上がった母の目は、和樹に昨晩の悲しげな姿を思い出させる。昨晩の出来事をなるべく思い出さないようにしながら、椅子に座り、じっと食事を待つ和樹。少しでも楽しいことを考えるために、正樹と何を話そうか考えることにした。
(「楽しいことを考えようとしても、何だかうまくいかないや……。」)
静かに俯き始める。和樹の肩から力が抜け、じっと机を見つめる。結局何も考えることができずに時が過ぎる。
リビングに父の足音が聞こえてくる。足音が近づいてくるたび、和樹の鼓動が早くなる。また口論が始まるのではないか、そんな不安が和樹を襲う。
(「また、父さんたちが喧嘩するなんて嫌だ……。早く学校に行きたい……。」)
リビングの扉が静かに開いた。父が黙って入ってくる。先程と変わらず肩から力が抜けきっていた。そのまま椅子に座り、朝食を待つ父。母は黙々と朝食の準備をする。2人が揃うと、重い空気が漂い始めた。和樹は何も起きないことを祈りながら、黙って座っている。
「さあ、できたわよ。食べましょう。」
朝食の準備ができ、皆それぞれの席についた。父母は会話をすることなく、朝食を口にする。和樹もケンカが始まらないことに安堵しながら、朝食を食べ始める。
目の前には和樹の好きなウインナーやスクランブルエッグが並んでいるが、全く食欲がない。いつもは朝食の良い匂いがし、食欲が掻き立てられるが、今日は匂いが全くせず、食欲も湧いてこなかった。朝食を残してしまうと、母に申し訳ないと思い、少しずつ食べ始める。無理やり食事を口に運ぶ和樹であったが、突然軽い吐き気に襲われた。戻してしまいそうになったため、仕方なく朝食を残すことにした。皿にはケチャップのかかったスクランブルエッグが綺麗に残されていた。
「ご馳走様……。」
一言だけ呟き食卓を後にするが、和樹に声をかけるものはいなかった。
(早く着替えをして、学校に行こう……。ここには居たくないな。)
早く着替えたかったが、心と裏腹に体は動いてくれない。ゆっくり着替えることしかできなかった。着替えの最中も不安の渦に飲み込まれそうになるが、何も考えないようにし、その場をやり過ごす。
着替えを終え、ランドセルを背負うも、いつもより重く感じる。
部屋の扉をゆっくりと閉め、玄関に向かい始める。学校に行こうとするものの、物足りなさを感じる。忘れ物をしたかと思うが、何も忘れていなかった。和樹は玄関を出る時に、足りないものに気がついた。それは自分の心であった。不安の渦に飲み込まれたせいで、和樹の心はいつの間にか空っぽになってしまった。どうすることもできないまま、学校への道を進んでいくしかなかった……。
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