落とし物
「あ!それです!何か違う臭いがします!」
「これ、近藤さんのでもないし……」
二人で話していると、ちょうど近藤が襖を開けた。
「どうしたんだい二人とも?」
「あ、近藤さん。ちょうどよかったです。これって近藤さんのものですか?」
近藤はそう問われ、一瞬不思議そうな顔をしたが、善人の手にしてあるものを見て目を見開いた。
「それ、さっきのお客さんのだ」
「え!」
近藤は眉を顰めた。
「しまったなあ。途中で気づいて帰ってきてくれるかなあ……」
「連絡先を聞いてはいませんか?」
「鑑定の相談の電話がきた時に聞いたけど、固定電話だったんだよ」
近藤と善人は顔を見合わせてしばし沈黙した後、同時にため息をついた。
「仕方ない。お客さんが気づいて連絡をくれるのを待とう。来店が難しければ住所を伺って郵送しよう」
「わかりました……」
そう言いながらも善人は手帳をハンカチで包んだ。
「あの僕、まだ近くにいないか念のためちょっと外に出てきます」
「え、そんな、休み時間なのに……」
「休憩終わりまでには帰ってきます!すみませんがリアティオスにお水あげておいてもらっていいですか?」
善人の表情を見て、近藤さんは苦笑した。
「こう言う時の田中くんは譲らないからなあ。わかったよ。お店に戻ってきてから休憩しな」
善人は「ありがとうございます!」と一礼すると、リアティオスに向かって言った。
「じゃあ、ちょっと外に行って来るから。近藤さんの言うこと聞いてね」
リアティオスはしかし、善人が店の扉を開けると一緒に外へと飛び出してきた。
「私もお供します!」
「え、でも疲れてるだろう?」
「大丈夫です!それに私は今、獣ですから!臭いを辿れます!貸してください」
善人は少しの間逡巡したが、
「わかった。任せるよ」
そう言うとリアティオスに手帳を差し出した。
リアティオスは熱心に手帳の臭いをかぎ、そして地面の臭いを嗅ぐ。何度か鼻を手帳と地面を往復させた後、顔を上げた。
「こっちです!」
駆け出したリアティオスを善人は慌てて追いかけた。
少し進んでは地面を嗅ぎ直しつつ、そうして二十分ほど経った時だった。
「あ、あの人だ!」
前方を歩く女性の背中を見て、善人が声を上げた。
そう言うと、彼は「すみません!」と大きな声を出した。
何事かと数人が善人達を見やり、目的の女性も同様に立ち止まって振り返った。
善人の顔を見て「あら!」と、手を口元にやった。
「さっきのお店の店員さんじゃない。あと……え?タヌキ?」
「いえ、犬です」
「犬!?」
善人の返事に女性は素っ頓狂な声を上げると、まじまじとリアティオスを眺めた。
「ポメラニアンかしら?」
「あの、ところでこの忘れ物をしてないですか?」
善人が包んでいたハンカチを開き、出てきた手帳を見て女性は息を呑んだ。
「まあ、私のだわ」
そう言って手帳を大事そうに受け取った。
「さっきお邪魔した時に落としたのね。気づかなかったわ」
そう言いながら手帳を開いた。中には古ぼけた写真が挟まっている。若い頃の女性と、同年代ぐらいの男性が並んで写っているものだ。
「この写真、ネガがなくなっちゃってこれしか残ってないの」
愛しむようにその写真を撫で、大切そうに胸に抱いた。
「もし間に合わなかったら予約の際に伺ったお電話番号に連絡して郵送しようと思っていたんです。大事なものだったんだったら直接お渡しできてよかったです」
善人の言葉に、女性は微笑んだ。
「そうだったのね。私、実は再来週には娘夫婦のいる海外に引っ越す予定で、明日にでも固定電話解約する予定だったの。追いかけてくれなかったら、もしかしたらこのまま受け取れずになくしてたかも。そうなったらきっと後悔していたわ。
本当にありがとう」
女性の言葉に善人が微笑んだ。
「ワンちゃんもありがとうねえ」
善人の犬発言を信じたのかどうかはわからないが、女性は屈むとリアティオスにも礼を言った。どういたしましてと言いたいところだが、流石に反応してしまったら大事になるだろう。どのように反応するのが正解なのかと思ったその時だった。
――その瞬間、少し自分に魔力が戻った気がした。
何度もこちらに頭を下げる女性を見送っていた善人は、呆然とした様子のリアティオスに気づき声をかけた。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ……なんでもないです」
「そう?なんでもないならいいけど……」
リアティオスの様子に一瞬首を傾げたが、善人は特に追求せずにおいた。
「じゃあ店に戻ろうか」
人の少ない道を選びながら歩き、人気がなくなった事を確認すると、善人はリアティオスに言った。
「一緒に探してくれてありがとう。リアティオスのおかげで無事に渡すことができたよ」
「そんな、私はあまり大したことはできませんでしたよ」
いやいやそんなことないよ、いえいえそんな、と互いに謙遜し合いながら道を歩く。
「でも本当に、私の鼻は多少役に立ったかもしれませんが、善人さんが探しに行くと言わなければ無事に渡せませんでした。
……あの、一つお伺いしてもいいですか?
「何?」
「善人さんはどうして人を助けるのですか?」
リアティオスの質問は予想外だったのだろう。善人はキョトンとした顔をした。
「あ、あの、今日家を出発した時から思っていたんです。何かお困りの方を見つけると迷わずに助けに行かれます。
今回もそうでした。何故ですか?」
その問いに、善人は少しの間考える仕草をした。
「なんでだろうね」
考えて最初に出た言葉はそれだった。考えた末に出た言葉がそれで、リアティオスは少し拍子抜けした。もっと明確な言葉が出てくると思っていたのだ。
「理由はないのですか?」
リアティオスの疑問に善人は曖昧な笑みを浮かべた。
「理由かあ……。理由がないとダメなのかな」
「え、いや、そんなことはないとは思いますが」
「自分でも馬鹿馬鹿しいと思うことはあるんだ。損してばっかって竜司にも花凛にもよく言われる。助けたと思ったら騙されることもあるし。嫌になったこともある」
善人はそう言って自嘲した。しかしすぐに首を横に振って、明るい声を出した。
「あのね、僕が生まれてくる時に、僕のお母さんは天啓を受けたんだって」
「天啓……ですか?」
善人は頷き、母から耳がタコができるほど聞かされたあのフレーズを言った。
『人を慈しみ、人の弱さを愛せ。善き人と――なれ』
「天よりそのようなお告げが?」
「そう。だからなのかな。目の前に困っている人がいたら、見過ごせないんだ。それこそ慈しむっていうのかな……。なんかそんな感じ」
途中で恥ずかしくなって茶化すようにまとめたが、対照的にリアティオスは納得したように何度も頷いた。
「なるほど……。善人さんは天より使命を授けられているのですね」
善人は目を少し見開いた後、破顔した。
「リアティオスはまっすぐ信じてくれるね。この話を信じてくれたのは君が二人目だよ」
「え、そうなんですか?ちなみにお一人目は……竜司さん?」
「いや、近藤さん」
「そっちでしたか〜」
「近藤さんはね、オカルト好きなんだ。だからあのマンションを契約するときに『何か自分の経験した不思議な体験を教えてほしい』って言われて、さっきの話ともう一つを披露したんだ。そしたら家賃が二百円安くなってバイトも雇ってくれた」
「それは……良かったですね?」
「うん、近藤さんがオカルト好きで本当によかったよ」
実は、リアティオスの事を話したら家賃が更に三百円安くなったのだが、それはまた別の話だ。
「ちょっと気になるのですが、披露したもう一つのお話というのは?」
「ああ、これも僕が生まれた時の話なんだけど、生まれた時に右手にビー玉なのか真珠なのかわからないけど、そう言うもの持ってたんだって」
「真珠?」
「そう。これくらいの」
そう言って善人は指で小さい丸を作った。
「なんなのかわかんないけど、天啓もあったから我が家の神棚にずっと飾ってたんだ」
そうそう、と善人は鞄から小さい巾着を取り出した。
「大学に合格して家を出るときに、父さ……家族がそれを半分に割って僕に持って行けって。妹がそれ見て『罰当たり!』ってすごく怒っちゃってさあ。大変だったんだ」
当時の光景を思い出したのか、善人は遠い目をした。
「この中にその半分が入ってる。本当はうちにも神棚を置くべきなんだろうけどね」
「善人さんは何かものすごく特別な方なんですか?」
リアティオスが真剣に問うと、善人は思わず吹き出した。
「いや、違うよ。普通の家庭に生まれたちょっとだけお人好しなやつだよ」
二人で和気あいあいと笑い合いながら店に戻る道を歩く。
先ほど感じた魔力の回復について、結局善人には言わなかった。