生活開始
ピンポーン
軽快な音がなり、善人と竜司はピタリと動きを止めた。
「なんですかこの音?」
リアティオスだけ変わらなかった。この音を聞いたのは初めてであろうから当然だ。しかし二人はリアティオスの問いかけに答えなかった。答える余裕がなかったと言っていい。善人はギクシャクとした動きで玄関まで行き、チェーンはつけたまま解錠して扉を開けた。
「あ、こんにち」
「ねえ、うるさいんだけど」
善人の挨拶は不機嫌な声に遮られた。その後は「前にも言ったよね?」「壁薄いんだから気をつけてよ」と不機嫌な声の説教が続き、善人の謝罪が続いた。一体何事かとリアティオスが玄関の方向と竜司を交互に見る。竜司は口元に人差し指を当てて黙っているようにジェスチャーした。
「あんまり酷いんだったら近藤さんに相談するから」
「はい、すみませんでした……」
頭を下げて扉を閉じる。善人は目に見えて落ち込んだ様子で戻ってきた。
「久しぶりにやっちゃった……」
「ほんまごめん」
「あの、さっきのは……?」
三人とも小声で話し始める。
「お隣さんだよ。ここ、壁が薄くて」
善人はそれだけいうと、はあ、とため息をついた。
「原さんっていう人なんだけど、よく迷惑かけちゃって怒られるんだ。最近なかったから油断してた」
竜司も両手を合わせて顔を歪ませた。
「主に俺の声がでかいのが原因やねん。ただ、あの人も神経質っていうか、ネチネチしとるっつうか……。最初に怒らせてからずっと目ぇつけられとってなあ。善人が」
「僕が悪いから仕方ないよ」
「でもそれにしたって……。なんかもうゴミ出しとかも口出しされてて、正直なとこ姑みたいになっとるやん」
「なんだか、気難しいかたがいらっしゃるんですね」
「理不尽なことでは怒ってこないし、基本的にはいい人だよ」
「だからリアティオスもうるさくしたりしなければ大丈夫」
「ちょお待て待て待て待て」
何故か隣人をフォローし始めた善人を若干呆れたように見つめていた竜司だったが、続く言葉に思わずストップをかけた。
「どうしたんだ?」
「いや、どうしたもこうしたも……ちゃっかり住まわせること前提みたいな言い方せんかったか、今?」
「そうだね、したかも」
「したかもちゃうねん!なんでそんなにホイホイオッケーだすねん!こんな喋る怪しさ満点のタヌキを簡単に信用すんなよ!」
思わず声が大きくなった竜司に、どん、と壁が鳴った。原が向こうの部屋の壁を叩いたようだ。
「……ほんまごめん」
バツが悪そうに肩をすくめて小声で謝る竜司に苦笑しつつ、善人は言った。
「心配してくれてるのはわかってる。ありがとう。でも困っているのを放っておけないし、拾ってきたのは僕の責任だから」
竜司は善人を睨みつけ、善人は穏やかな表情で見つめ返す。しばらく無言の時間が続き、リアティオスも余計な口は挟まずにことの成り行きを見ていた。
沈黙を破ったのは竜司だった、大きなため息を一つつき、「わかった」と言った。
「どうせ止めたって聞かへんのやろ。お前は言い出したら聞かへんとこあるし。このタヌキの世話すんねやろ?
わかった。俺も手伝うわ」
善人とリアティオスは驚いて竜司の顔を見た。
「ええ!?な、なんで?」
「善人はバイト漬けで大変やろ。俺も世話手伝うわ。それに、俺はこのタヌキのこと信用してへんからな。何かおかしいことがあればすぐに気づける」
「竜司、ありがとう……」
「そういう訳やからな、タヌキ。怪しい動きしたら保健所連れて行くから」
ビシっと勢いよく指を刺され、リアティオスは頭を下げた。
「この怪しい私を助けてくれただけでなく、今後の衣食住の提供と聖剣探しを手伝ってくださるなんて感謝しても仕切れません。
ですがこれだけは言わせてください。私の名前は『タヌキ』ではなく『リアティオス』です!」
「長いんよ」
「な、な、ななな!?」
リアティオスが憤然としたように捲し立てた。
「この名は最初に聖剣を扱えた聖人リアティオスのものです!
その清き心と善行を認められ、天上から魔力を授けられた魔術の始祖。つまりすごいお方のお名前なのです!それを長いなどと……!」
「かっこいい名前なんだね」
「いやいやそんな!かっこいいのは聖人リアティオスであって私は名前を借りているだけですので……」
「褒めたらめっちゃ謙遜するやんけ」
「まあまあ、これからどれぐらいの期間の付き合いになるのかはわからないけどさ、仲よくしよう?竜司もちゃんとこれからは名前を呼ぶんだよ?」
「あ〜わかったわかった。リアティオスな。んで、こいつ結局どないすんねん」
「こいつ呼ばわりも止めていただきたい!」
「はいはいリアティオスな。話戻すけど、ここで飼う訳にもいかんやろ。さっきこいつ……リアティオスが言ってた黙ってるって方法もあるけどさあ、隣はあの原さんやぞ?」
黙っているのは無理じゃないか?
竜司の意見はもっともだと、善人は神妙な顔で頷いた。
「俺のとこもペット不可やし」
「いや、竜司にそこまで迷惑をかけられないよ」
善人は竜司とリアティオスを見た。
「僕に考えがある」
その目には覚悟が宿っていた。
「――と、言うことがあったんです」
善人はその場で大家に電話をかけ、洗いざらい説明した。大家兼、善人のバイト先の店主でもある近藤は電話口で穏やかに相槌を打った。
『そうかいそうかい』
「だから、要は見た目は狸なんですけど人間なんで、ペット禁止なのはわかるんですがしばらく居候させてほしいんです」
善人は真剣な表情で説明した。リアティオスは状態を理解できておらずポカンとし、対照的に竜司はハラハラしていた。
――バカ正直すぎるやろ。これで許可が降りんかったら、どないすんねん!
しかし竜司の不安は杞憂に終わり、近藤の返答はあっさりしたものだった。
『いいよ〜』
「え!?いいんですか!?」
『ペットじゃないんでしょ?一時的なんでしょ?じゃあいいよ』
屁理屈すぎる。
『まあそもそも古すぎて空き部屋ばっかだし、ペット可とはいってないけど禁止とも言ってなかったしね』
近藤はあっさりと言った。善人も引っ張り出してきた契約書を見下ろした。確かにペット飼育可能とも記載はなかったが、逆に禁止とも明言されていなかった。これに賭けたのだが、まさか本当に許可がおりるとは思わなかった。
「あ、ありがとうございます!」
善人が電話口で頭を下げる。
『聖剣探し頑張ってね。よかったら店に連れておいでよ。何か見つかるかも』
近藤はそう言い、電話は終わった。善人は振り返り親指と人差し指で丸印を作った。
「OKが出ましたので、これで安心して過ごせますよ」
リアティオスは安堵のため息をついた。
「ほんまに上手くいくとは思わんかった……」
竜司が未だに信じられないようにぼそっと言った。
「言っただろ?近藤さんはオカルト好きなんだ」
「オカルト好きって……」
善人自身も半分賭けだったこと黙っておいた。信じてくれるとは思わなかったし、バイト先に連れて行くことも了承もらえるとは思わなかったのだ。近藤の心の広さに心から感謝した。
リアティオスは何度目かわからない頭を下げる。
「本当にありがとうございます」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ。リアティオスさんはとりあえず体を治すことに専念してくださいね」
「そんな敬語を使わなくて結構ですよ。私のことは呼び捨てで構いません」
「あ、そう?それじゃ……リアティオス。これからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
こうして善人と狸こと勇者リアティオスの奇妙な同居生活は始まった。