バイト終わり
善人がアルバイトを終え、更衣室代わりの部屋に入ると、仕事用のカバンであるトートバッグから小さな光が見えた。見ると買い替えたばかりのスマートフォンが通知を知らせる点滅をしている。早速ロックを解除して中を見ると、竜司から連絡が入っていた。
『実家から野菜が山ほど届いて食べきれんから持っていっていい?』
善人の経済状況を知ってのことだろう、竜司は実家から仕送りが送られてくると、よくお裾分けしてくれる。
最初の頃は他にも大学時代の友人が援助をしようとしてくれていた。しかしそれはあまりにも心苦しく、友人に同情されることも援助されることも非常に辛かった。自分が情けなくなり、断るのを続けていると段々と疎遠になってしまった。
竜司だけなんだかんだ続いているのは、彼が善人に劣等感を抱かせなかったのが大きい。『野菜の調理がわからん』等と理由をつけてはお裾分けを持ってきては当然のように食事ををねだった。
善人も段々と意固地になるのを止め、今回のような誘いの時は素直に甘えるようになった。
『ありがとう。バイト終わって今から帰るところ』
送ったメッセージはすぐに既読になり、OKのスタンプと共に『三十分後に行く』と返事が来た。
リアティオスも家に帰って自分の帰りを待っている頃だろう。急いで帰宅準備をしていると、ドアがノックされた。
「田中くん、入っていい?」
「あ、はい」
ドアを開けて顔を覗かせてきた近藤に「どうしました?」と尋ねると、
「まだいてくれてよかった。あのね、アパートの庭のところに雑草が生えてきたから今度草抜きしようと思ってね、悪いんだけど除草剤を持って帰ってくれないかな?」
「あ、わかりました。大丈夫です。いつ草抜きしますか?手伝いますよ」
「ありがとうね、本当に助かるよ。来週は都合悪くてね、再来週ぐらいを予定しているから、日程決まったら相談させてもらうね」
「わかりました。それまでこれ、預かっておきますね」
近藤から渡された除草剤をリュックに入れ、善人はバイト先を後にした。
今日の夕飯は何にしよう等と思いながら家路を急いでいたが、アパートの前まで来て、やたら人が集まっている事に気づいた。
どうしたのだろう、と思っていると、近所の商店街の人だった。本屋の店主が猫を抱っこしながら警察官と話している。
何かあったのだろうか、と恐る恐る近づいていくと、見知った声が聞こえてきた。
「ここから私は大活躍でした!あのティアラさんの猛攻に耐え、説き伏せたんです!」
「そうか〜」
興奮したようにまくし立てる声と対照的に、どこか棒読みのような相槌。その二つの声の主は善人の部屋の前にいた。
一人は玄関前のアスファルトにしゃがみ込み、持ってきた段ボールを机がわりにして両肘をついている。そしてもう一人――正しくは一匹が熱弁をふるっていた。
「そして私は見事ここの場所に人を呼ぶことに成功、原さんはキューキューシャーに乗って病院に向かいました!」
「すごいやん」
「なんかさっきから投げやりな返事じゃないですか?私の話、聞いてますか?」
「聞いとる聞いとる」
「竜司!リアティオス!」
善人が声をあげると、二人は同時に振り向いた。
「おお、善人」
「あ、善人さん!おかえりなさい!」
善人の姿を認めると、竜司はのんびりと右手を挙げ、リアティオスはどこか浮かれたように跳びはねた。
「ごめんお待たせ。なんか人が多いけどなんかあった?」
近づいてリアティオスの頭を撫でつつ竜司に問うと、竜司は曖昧な頷きを返した。
「俺も今来たとこでなあ、何があったんかよくわからんねん。コイツが知っとるらしいから話聞いてたとこ」
「善人さん聞いてください!」
リアティオスは竜司への不満を愚痴った。
「竜司さんが聞いてきたから一生懸命説明しているのに、真面目に聞いてくださらないんです!」
「いや聞いとったよ。野犬に囲まれての大立ち回りとかすごかったよ」
「あ、すみませんそこは脚色しました」
「脚色しとんのかい」
「話は多少誇張した方が面白いでしょう?」
「いや、事実だけ話せよ」
「善人さんも聞いてくれますか!?」
「おい無視か」
どうやらリアティオスは今日何かしらの冒険をしたようで、それを話したくて仕方ないらしい。善人はリアティオスに頷こうとしたが、そこで第三者から声をかけられた。
「あの、すみません」
「はい?」
声のした方向に向くと、先程まで本屋の店主と話していた警察官だった。「ちょっといいですか?」と聞かれ、狼狽えながらも頷くと、予想に反して爽やかな笑みを浮かべて礼を言われた。
「こちらのアパートにお住いの方ですか?」
「そうです……」
「お部屋は?」
「あ、ここです」
そう言って目の前の部屋を指さす。警察官は頷くと、事情を説明した。
「本日、こちらのアパートに住まわれている方が怪我をして倒れているのを発見されましてね」
「えっ……」
その後「倒れた瞬間を見ていませんでしたか」「最近誰か様子のおかしい人は見ませんでしたか」と質問されるが、どれも心当たりはなく、首を横に振るしかなかった。
「そうですか……。何か思い出したり、変なことがあれば教えてください」
特に善人に追及することはなく、そう言って爽やかな警察官は去っていった。
「怪我して倒れてたって、原さんのことよな?」
竜司の問いに頷いた。そもそもこのアパートには原と善人しか住人はいない。
「何があったんや?」
竜司の戸惑いに答えられる人は、この場にはいなかった。