救助
挫けそうになった瞬間、原の苦しそうな様子を思い出した。
体を起こす。痛みと恐怖で震えが止まらない。それでも。
「私は勇者だ……」
今、彼女を救えるのは自分だけなのだ。
「助けてください!」
大声で再び鳴いた。
「ティアラさん!話を聞いてください!」
「なんだい?まだやろうってのかいクソガキ!?」
ティアラが再び威嚇をしてくる。耳は横にピンと伸び、背中の毛は逆立っている。いつでも引っかけるように右足を浮かせていて臨戦体制だ。
「私のことは後で何とでもしてください。耳だって引きちぎって構いません。ただ、貴方の助けが必要なんです!
私ではあの人を助けられない。でも、貴方だったら助けられるかもしれないとプリンさんがおっしゃっていたんです!」
「――何だって?」
その言葉を聞いた瞬間、ティアラの怒りが若干鎮まったのを感じた。耳は相変わらず横になっていて背中の毛も逆立ったままだが、浮かせていた右足を下ろしている。
「あんた、プリンの坊主の知り合いかい?」
「は、はい!そうです」
ティアラはしばらく黙った後、フーッとため息をついた。
「なんだい、それならそうと早く言いなよ」
言わせてくれなかったのは彼女なのだが、余計なことを言ってまた拗らせたくない。
「で?私にどうして欲しいんだい?」
「あ、あの、その、私を保護してくれている方のお隣さんが怪我をして倒れていて、誰も近くを通らないからこのままでは危なくて、そしたらプリンさんが貴方を頼ったらいいと……」
「――ちょっと待った。今、なんて言った?」
「え?だからお隣さんが倒れてて……」
「馬鹿野郎!」
ティアラがフシャー!っと威嚇した。
「なんでそんな大事なことを早く言わないんだい!」
「言う前に攻撃してきたのは貴方でしょう!?」
二度目は流石に我慢ができず言い返してしまった。しかしティアラは言い返したことに対しては怒らず、年齢を感じさせない軽やかさで数歩駆けると、「案内しな!」と叫んだ。
「こっちです!」
マンションの方向へ走り出す。背後は見なかったが、ティアラもついてきているだろうと確信した。
「ティアラちゃん!」
ほとんど悲鳴のような店主の叫びが聞こえる。店主の後には楽しそうな子どもの声と、焦ったように制止する大人の声が続く。
炎天下の中を駆け走る。途中、プリンのいる家が見えた。
「おう小僧!ティアラの姉御には会えたか!?」
「はい!」
「よくやった!頑張れよ!」
プリンが後おしするように力一杯吠えた。直後にプリン宅の窓が開き、「もう、プリンうるさい!今日はおやつ抜き!」と怒られ、プリンが絶望の悲鳴を上げたのは別の話である。
「あんた遅いねえ!早く足を動かしな!」
ティアラにドヤされながらリアティオスは短い足を必死に動かしてマンションへと舞い戻った。
やはり誰も通らなかったのだろう、出て行った時と同じ場所で原は気絶していた。
「あそこです!」
「なんてこった!あんた大丈夫かい!?」
原から返事はない。緊急事態だと理解したティアラは息を吸うと思いっきり鳴き叫び始めた。
ぎゃわわわわわ〜!!
小さい体から発しているとは思えないほどの絶叫で、思わずリアティオスも後ずさる。そして幾分もしないうちに、ティアラを追いかけていた本屋の店主が到着した。
「ティアラちゃん!」
恐らくリアティオスにティアラが襲われて絶叫したのだと思ったのだろう。ティアラの無事な姿を見つけると安堵で腰が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
「ちょっと!何休んでんだい!こっちだよ!」
ティアラは変わらずに野太い鳴き声を上げ続ける。続いて小学生の兄弟と、その二人を追いかけてきた商店街の人々が到着した。
「なんで猫ちゃん鳴いてるの?」
「怪我してるのかな?」
「あ!こら!危ないってば!」
子供達が無邪気に駆け寄ってきて、ティアラとリアティオスをマジマジと眺め、そして遂に倒れた原を発見した。
「あ!おばさんが倒れてる!」
「え、なんだって?」
子供の言葉に半信半疑な表情で近づいてきた大人たちだったが、本当に人が倒れていることに気づくと大騒ぎになった。
「しっかりしてください!今、救急車を呼びますから!」
一気に騒がしくなり、原を助けるために慌ただしく動き始めた。子供達は空気を読んだのかティアラを抱き上げると隅に移動して様子を伺っていた。ティアラも自分の役目は終わったとばかりに腕の中で大人しくしている。
救護をされている原を見て、リアティオスは肩の力が抜けた。と、思い出したかのように引っ掻かれた鼻がジクジクと痛み出す。
肉球も痛い気がする。もしかしたら火傷したのかもしれない。体のあちこちが痛みだし、引きずるようにして子供達の隣に並んだ。
隣の少年がチラチラと見てきた。視線に気づかないふりをしていたが、やがて小さい声で、
「ねえ、キミ、あのおばさん助けたくてみんなを呼んだの?」
少年の方を向く。興味津々といった表情でこちらを見ている。その後の自分の行動について、リアティオスは自分でもどうしてしてしまったのかわからない。何となくいたずら心が浮かんだのもある。しかし、一番大きな理由は誰かに自分のがんばりを知って欲しかったのかもしれない。引っ掻かれて、火傷をして、それでも諦めずに頑張った自分を褒めてほしかったのだろう。リアティオスは、うっかり少年の問いに頷いてしまった。
少年はポカンとした後、目がキラキラと輝き出した。
しまった、と思った時にはすでに遅く、興奮しながらリアティオスを抱き上げる。
しかし小学校低学年のため、リアティオスを完全には抱き上げられず、半ば引きずられるように大人の輪の中に連れて行かれた。
「ねえねえ!この子すごいよ!おばちゃん助けるためにみんな呼んだんだって!」
大人たちは急に突拍子もないことを言い出した子供に狼狽えつつ、場所を離れるように促した。
「何を言ってるんだ?ちょっとあっちで待ってなさい。あ!何タヌキを抱き上げてるんだ!危ないだろ!」
騒めきに混じって救急車のサイレンが聞こえてくる。
「ほら、救急車が来るから離れて、タヌキは離しなさい!噛まれるぞ!」
「あのねあのね、おばちゃんを助けるために頑張ったんだって」
周囲の制止を聞かず、少年は一生懸命原に声をかけた。すると原が意識を取り戻したのか、うっすらと目を開けた。
「あ、大丈夫ですか!?今救急車が来ますからね!キミはあっち行ってなさい、そのタヌキは離しなさいってば!」
「タヌキ……」
原が掠れた声を出した。
原の目線が揺れ、リアティオスと目が合った。
「あれは、隣の子が飼ってるペットのタヌキなんです……。だから乱暴しないでやってください」
「え、そうなんですか!?」
「この子がおばちゃん助けるためにみんな呼んだんだよ!」
少年が一際大きな声を出した。
救急車のサイレンが大きくなる。こっちです!と誘導する声も聞こえてきた。
原とリアティオスの目線はあったままだった。
原は苦しいそうに、だが僅かに目を細め、
「そうか、ありがとうね」
その瞬間、リアティオスは自分の体に魔力が戻るのを感じた。