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出会い

 小学生の頃、名前の由来を知りましょうという宿題が出た時の話だ。

 帰宅後に母に名の由来を聞いたところ、せきを切ったようにたように話し始めた。曰く、自分を出産する際に脳内に声が聞こえたという。

 男とも女ともつかないその声が、母に言ったそうだ。


 人を慈しみ、人の弱さを愛せ。善き人と――……。


 出産中の激痛と戦っている際の事だったため、後半は覚えていないが、確かに声が聞こえた。あれはいわゆる天啓というやつだと思う、と母は興奮気味に語った。

「だから、アンタは人を慈しみ、愛する『善き人』になったのよ!」

 それが善人(よしひと)の名前の由来だった。


 発表後、担任の先生は「難産だったのかな?」と同情気味だった。どうやら疲労が原因で幻聴が起こったと思ったようだ。


 名は体を表すというが、田中善人は名前に負けず立派なお人好しに育った。

 道で困っている人がいれば助けに行き、悩んでいる者がいれば話を聞く。飢えている者がいれば食べ物を分け与えた。

 それだけであれば良かったのだが、彼のお人好しは度を超えていた。

 バイト先では休みを代わってほしいと度々相談され、試験も近かったのに20連勤した。

 友人だと思っていた人には気付けば金をたかられるようになった。

 絶対に迷惑はかけないから、と頼み込む父親を目の前にし、連帯保証人欄に自分の氏名を記入した。


 ――――その結果。


 土砂降りの中、善人は帰路を急いでいた。

 水を大量に含んでしまった靴が、歩くたびにガポガポと音を鳴らす。思わずため息が出た。

 数日前からニュースでしきりに大雨注意と言っていたが、確かにこれは尋常ではない雨量だ。

 前々から悪天候と言われていた日だったが、複数勤めているアルバイト先の一つであるコンビニ店でのシフトがなかなか埋まらなかった。困ってるんだよ〜と店長が困り顔で言ってきた時、本当は断りたかった。だが、自分が断ったら誰かが代わりに出なくてはいけなくなる。店長も困っている。気がついたら首を縦に振っており、感謝された。

 ぐちゃぐちゃになった足元を見る。

 周囲は自分をお人好しだと評するが、ただ単に都合のいい人間なだけなのではないだろうかと思う時がある。

 昨年立て続けに人に裏切られ、善人の生活は一変した。

 今まで自分は周囲の人間に恵まれていただけの世間知らずだったと痛感した。それだけ自分にとっては衝撃的で辛い出来事だった。

 妹に言われた言葉を思い出す。

 先日、久しぶりに母と妹に会った。父にあとをつけられていたらと思うと不安でなかなか二人に会いに行けず、実に半年ぶりだった。

 ――みんなお兄ちゃんのこと馬鹿にしてるよ。都合の良い財布でパシリだって。悔しくないの?私はお兄ちゃんの妹で恥ずかしい。

 胸がギュッと痛んだ。あの時、自分は何も言い返せなかった。事実だと思ったのだ。

 その後、母に叱責された妹を咄嗟に庇ってしまい、二人ともに呆れられたのも込みで自分が情けない。

 本日何度目かのため息が口から漏れ、善人は首を振った。悪天候で自分の心もつられて落ち込んでいる。早く帰ろう。

 そう思い、自宅への近道である公園の中を横切ろうとした時だった。

「ん?」

 立ち止まり、周囲を見回す。何か聞こえた気がした。しばらく耳を澄ますが、聞こえるのは雨の音だけ。気のせいかと思い再び足を動かそうとした時だった。

 ――たすけて。

 今度こそ聞こえた。善人は声の聞こえた方向に走った。

 心臓が早鐘を打つ。かすかに聞こえたのは助けを呼ぶ声だった。

 公園はフェンスで囲まれており、フェンス周りは草木を植えられている。声はその茂みの中から聞こえた。

「大丈夫ですか!?」

 善人は勢いよく草をかき分けた。しかしそこには誰もおらず、ボロボロの布の塊のようなものが落ちているだけだ。

 声がしたのは気のせいだったのか?いや、気のせいではなかったはずだ。こちらから聞こえてきたと思ったが気のせいだったのだろうか。

「誰かいますか!?」

 大声で呼びかけていると、目の前にあった布の塊がモゾりと動いてギョッとした。

 よく目を凝らし、そして自分の認識が間違っていることに気づいた。

 狸だ。死んでいるのかと思ったが、微かに胸の辺りが動いているのがわかる。

 生きてはいるようだがだいぶぐったりとしている。よく見ると周囲の水たまりがピンクに染まっている。どうやら出血しているらしい。

 動物が弱っているのを見ると心が痛む。しかし猫や犬ならまだしも、野生の狸だ。勝手に触れていいものなのかわからないし、助けたとしてもその後どうするべきかわからない。

 何か狸などの野生生物について保護方法が載っていないだろうか、とポケットからスマートフォンを取り出していると、狸がうっすらと目を開けた。目が合う。

 ……たすけて。

「え?」

 手に持っていたスマートフォンを思わず取り落とした。足元の水たまりに水没したそれに気づくことはなく、善人は狸を凝視し続けた。

 狸の目はすでに閉じられている。

 体が震えているのは寒さのせいではない。

 気のせいではない。誤魔化しようがない。

 助けを呼ぶ声は、狸の口から出ていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしくて興味深いプロット!! [一言] これからも更新楽しみにしてます
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