5.アイビーは試食する
そこにいたのは、随分と奇妙な人物だった。
背が高く、長い黒髪を結い上げている。
金の刺繍が施されている白い衣服はおそらく上等なものだ。
何より目立つのは、手足にぶら下がったいくつもの紅い石だった。
(体格からして、男……なのかな?)
金に光る鎖に連なった紅色の石は、彼の動きに合わせてシャラシャラと音を鳴らす。
日の光に透ける大小の石が、首や耳元、手首や足首を飾っている。
「この子、ビー」
ココが僕の事を短く紹介する。
男は「あらあら」と頬に手を当てて微笑んだ。
仕草や口調は若い女性みたいだ。
「ビーちゃん? かわいらしいお友達ね」
「お腹減ってるって」
「あらそうなの! ちょうどいいわ。味見してもらいましょ!」
「他の二人は?」
「トトもモモも逃げたのよ。今回は美味しく出来たはずなのにっ」
「そのセリフ毎回言ってる」
はしゃいだ様子の男に対して、ココはずっと無表情だ。
とてつもない存在感を放つ鍋の中身は、どうやらシチューのようなものらしい。
男はいそいそと鍋の中身を深皿によそい、僕に差し出した。
「おかわりもあるからね。さ、食べて食べてっ」
いつのまにかココが椅子を持ってきてくれた。
(この空気だと、食べないわけにいかない……けど)
赤色とも茶色とも言い切れない目の前のシチューからは形容し難い匂いが漂ってくる。
(ええい、覚悟を決めよう!)
僕は目を瞑って、スプーンを口に運んだ。
「どうかしら? ね、感想を聞かせて? おいしい?」
紅い石をぶら下げた男が、キラキラとした目で聞いてくる。
鼻に抜けるシチューの香りをなんとかやり過ごしながら、僕は彼の瞳をじっと見つめた。
(よく見たらこの人、僕と同じ黒色の瞳なんだ……珍しい)
黒髪に黒い瞳というのは、あまりお目にかかった事がない。出身はこの辺りじゃないのかもしれない。
(いやいやいや、そんな事より)
強烈な味に、思わず現実逃避してしまった。
「あの、これ……」
「うんうん、どうだった?」
身を乗り出して見つめて来る彼の熱意に、僕は答えなければならない。
「美味しいか美味しくないかで言えば……」
僕は持っていたスプーンをビシリと掲げた。
「美味しくないです! 全くもって、口に合いません!」
男の表情が分かりやすく固まった。
横でココが、「正直者……」と呟いているけれど、構わず僕は椅子から立ち上がった。
「はっきり言って、料理への冒涜です。許し難いです。素材の良さを殺しています。何を考えてこんなものを作ったんでしょうか」
僕は湯気を立てている鍋を覗き込んだ。
「果実のすりおろしを入れてますよね? 隠し味のつもりかもしれませんが、全く隠れていません。前面に出すぎてて、酸味が鼻につきます。それからスパイス。その特性を理解して使っているとはとても思えません。香り付け? 臭みを消すため? なんでこんな量を入れる必要があったんですか? なんでもかんでもぶち込めばいいってもんじゃないんですよ? 舌触りが悪すぎます」
小さい頃から僕は屋敷お抱えのシェフの料理を堪能してきた。
父さんは何を食べても『うまい』しか言わないので、シェフのこだわりや気遣いを汲み取るのは僕の役目だった。舌は相当肥えている。
「ビー……その辺で」
ココが、僕の肩に手を置いて、首を横にふる。
「ミャーマ様、もう限界みたいだから」
「そう? わかったよ……って、ん?」
(ミャーマ様だって? どこかで聞いたな……確か……)
そこで、はたと思い当たった。
「あのう……もしかして《緋色の賢人》だとかいう――?」
僕の目の前で白目を剥きながら、料理へのダメ出しにプルプルと耐えている男は、ひきつった笑みを浮かべながら言った。
「そうよぉ。あたしがその《緋色の賢人》。自分で言うのも恥ずかしいけどね」
そして彼は「むーいむい」とはよくわからない言葉をつぶやいたのだった。