3.アイビーは街に着く
「ここがオルレアかぁ」
「ビー様、はぐれちゃダメですよ」
ようやく辿り着いた街を前にして呆けている僕に、クローが釘を刺す。
ここはカールリンネ領内の街、オルレア。
立ち並ぶ屋台。
威勢の良い呼び込み。
土埃が舞う中、色彩豊かな旗が風にはためいている。
オルレアの街は活気に満ち溢れていた。
「ビー様、もし迷子になったら、あの仮設ステージ前で待ち合わせましょう」
クローが示す方に、一段高くなった小さな野外舞台が組み立てられている。
何かの催し用なのだろう。
「さて、ではこれから買い物するので――」
そう言ってクローは満面の笑みを浮かべた。
「まずは賭場に行きます」
「なんで?」
真顔で聞き返す僕に、クローは馬鹿にしたような表情を向ける。
「決まってるじゃないですか。まずは賭場で所持金を増やします。それから必要な物を見て回るのが、冒険者ってモンですよ」
「聞いた事ないけど」
「それはビー様が世間知らずだからです」
そう言われると僕は黙るしかない。
絶対おかしい気がするけれど。
「そういえばクロー、こんなとこで『ビー様』なんて呼んでいいの? 人前では僕らは姉妹って事にしとくんだろ?」
「あぁ、そうでしたな」
するとクローは意地の悪い笑みを浮かべた。
「なぁ『ビー』。人混みが怖いなら、姉さんと手を繋ぐか?」
そんな事を言いながら手を差し伸べて来る。
「いらないってば。子どもじゃないんだから」
「あぁ、大変だ。あたしの妹は反抗期だ。新しいドレスでも買ってやらんとな」
「もう! やめてよ!」
僕は口を尖らせながら、クローについて行く。
「カールリンネ侯爵家は秘密主義で謎も多い。けど、領地がこんなに活気づいてるって事は、当主が優秀なんだろう」
クローはそう言って「ビーも見習わなきゃだな」と僕の頭をポフポフ叩く。
「わかってるよ! 僕だって――」
「ビー? 『僕』じゃなくて?」
クローが鼻先をぐいっと近づけてくる。
僕は「はいはい。『わ、た、し』でしょ? クロー姉さん」とため息をついた。
服装も言葉遣いも、身分を隠すためとは言えなかなか慣れない。
変装を見破られるんじゃないかとドキドキしながらも、自然と立ち並ぶ店先へと視線が吸い込まれていく。
僕らのいる庶民街は、所狭しと屋台が並び、頭上を大きな声が飛び交っている。
店の種類も様々だ。
しっかりと骨組みが組まれている大きな屋台も有れば、板切れとぼろ布でなんとか体裁を保っている吹けば飛ぶような代物まである。
キョロキョロと通りを眺めていると、妙なものが目に止まった。
「あれはなんだろう?」
それは、赤色の布がはためく屋台に並べられた小型のロッドの様なものだった。
先端にはガラス玉が取り付けられていて、持ち手の部分は赤く塗られている。
(一体何に使う物だろう。ロッドにしては短いよな)
すると、店の男が話しかけてきた。
「おや、嬢ちゃん。まだ《ペンライト》買ってないのか?」
なんの迷いもなく『お嬢ちゃん』と呼ばれた。
変装が怪しまれないのはいい事なんだろうけど、嬉しくはない。
「ペン……ライトですか? このロッドが?」
僕が首を傾げると、男は見本を手渡して見せてくれた。
「ここを握るだろ。そうすると、先端が光るんだ。ほらな」
持ち手に付いている小さな突起を押すと、先端のガラス玉が赤く光り出した。僕はその様子をまじまじと見ながら男に問う。
「あの……これ、一体何に使うんです?」
「何って、決まってるだろ!《ミャーマの一座》のステージで使うんだよ」
「えっと……ミャーマ……ですか?」
僕がきょとんとした顔をすると、男は「はーん」としたり顔で言った。
「さてはお嬢ちゃん、随分と田舎から出てきたな? 今をときめく《ミャーマの一座》を知らないとはね」
男はグググっと拳を握りしめて「だったらなおのこと、今日のステージは見るべきだよ」と熱く語り始めた。
「笛吹きのトト、竪琴のモモ、そして歌手のココ。三人の素晴らしいハーモニーを感じる事が出来るはずさ」
「ああ、楽団の事でしたか」
「楽団じゃねぇ! 吟遊詩人の一座だ!!」
男がズイと身を乗り出したので、僕は思わず半歩下がった。
「いいかい、彼女たちのバックには、あの《緋色の賢人》ミャーマ様が付いているんだ」
「緋色の賢人……?」
「なんだい、ミャーマ様の事もご存じないのかい。相当な田舎もんだなぁ。三賢者の一人であるミャーマ様を知らないなんてなぁ」
店のおじさんは自慢話をするように、鼻の穴を膨らませながら、声高に説明する。
「吟遊詩人として各地を旅しながら、民に知恵を授け、困難から救うミャーマ様――《緋色の賢人》だとか《知の英雄》なんて呼ばれてるお方だ。赤ん坊でも知ってるぞ」
ため息まじりの男の口調にムッとして、僕は思わず言い返した。
「それで、その人達とこのロッド、どう関係があるんですか?」
「そんなの決まってるじゃねぇか」
男は得意げに言った。
「こいつは彼女達を応援する時に使うんだ」
「応……援……?」
僕は首を傾げる。
「そう。彼女達の演奏中に、観客がこいつを振って応援するんだよ。まぁ、こんだけファンがいるぞ、頑張れっつーメッセージを伝えられるってわけだ」
「メッセージ……ですか?」
飲み込みの悪い僕に業を煮やしたのか、男は「ほら周りをごらんよ」と顎をしゃくる。
言われるがままに周りを目線をやると、行き交う人達が皆、ペンライトとやらを持っている事に気がついた。
キョロキョロと辺りを見回した僕は、そこでハタと動きを止める。
(まずい……まずいぞ)
青ざめる僕の事などお構いなしに、男は説明を続ける。
「な、みんな持ってるだろう? 今日は彼女たちのステージがあるから、あちこちからファンが集まっているんだよ。こいつを光らせて、客席から『観てるぞ〜応援してるぞ〜』っていうアピールが出来るっつーわけさ」
今はまだ日が高いけれど、夕暮れの中これを光らせたらさぞかし目立つ事だろう。
「このロッドはな、辺境の地に暮らす天才発明家が作ったらしいんだがな。元々はミャーマ様が発案したらしいんだ。さすが賢人様だよなぁ。こんな事を考えつく人間なんか、世界中探したってミャーマ様たった一人だけに違いねえ」
男は腕を組んでしみじみと頷く。
「嬢ちゃんも、せっかく街まで来たんだから、一座のステージを観ない手はないぞ」
「はぁ……そうですか」
僕は顔をひきつらせて曖昧に笑った。
自分の置かれている状況に気がついてからは、男の説明はほとんど頭に入らなかった。
(しまったなぁ。あんなに言われてたのに)
当たり前だけど、クローの後ろ姿はとっくに見えなくなっている。
珍しい杖に気を取られていたせいで、僕は護衛とはぐれてしまったのだった。