1.アイビーは旅に出る
「いやぁ、アレは傑作でしたな」
ニヤニヤと笑いながら、クローが僕を振り返った。
誕生日の騒動からふた月と三日。
僕は――いや僕らは、屋敷から離れた街道にいた。
「あそこで絞り出した言葉が『大っ嫌い』とは。ビー様はとことん育ちが良いようで」
クローは堪えきれないように、喉の奥でクックッと笑った。
皮の鎧に身を包んだ彼女は、僕の旅の護衛だ。
鳶色の髪。
細身の長身。
いつもニヤニヤと薄い笑みを浮かべているけれど、赤みがかった虹彩は鋭い。
「結局お父上に言われた通り、こうして旅に出てるんですからね。素直にもほどがありますよ。ま、ありがたいっちゃありがたいですがね」
「ありがたい? どういう意味?」
「屋敷の傭兵仲間と賭けてたんでね、ビー様が素直に旅に出るかどうかって。だいぶ儲けさせてもらいましたよ」
「……って事は、クローは僕が家を出る方に賭けたって事?」
「当たり前じゃないですか。ビー様の馬鹿正直な所は、よく存じておりますんでね」
「馬鹿は余計だ!」
(自分の主人を馬鹿呼ばわりする護衛がどこにいるんだ)
賭け事好きのクロー。
これでも腕の立つ剣士だ。
年齢は確か二十三歳。
屋敷の傭兵の中から、父さんは彼女を旅の護衛に任命した。
僕の父さん――バッチオーク伯爵は『元冒険者』だ。
本来は平民から貴族になどなれるはずもない。
けれど、父さんはその功績と、各地を旅して手に入れた金銀財宝を寄付した事により、爵位と共に辺境の地バッチオークを賜った。
そんな我が家だから、屋敷で雇われている傭兵は、荒くれ者の集まりで、女性のクローも例外ではない。
口も態度もそこそこ悪い。
(とは言え、護衛にクローが選ばれたのは、正直すごく嬉しいんだよな)
物心ついた時から今に至るまで、クローはずっと僕のそばにいた。
『ビー様』という愛称も、呼んでくれるのは彼女だけだ。
「ビー様には刺激が強すぎましたかね」
楽しげな様子のクローをひと睨みし、僕は深々とため息をついた。
「隠し子が十九人だよ? どうして父さんは今まで黙ってたんだ!」
「お年頃の息子には言いづらいでしょうな」
クローの言葉に僕は頭を抱えた。
母さんがこの世を去ったのは、僕が五歳の頃だ。
寂しくないと言えば嘘になる。
それでも父さんと僕はずっと上手くやってきたと思っていた。
(こういう温かい居場所こそ『家族』ってものなんだって、そう思っていたのにさ)
まさか、姉が十九人もいるなんて思いもしなかった。
「ま、ため息ついててもしょうがないですし。ほら、早く先を急ぎますよ」
クローにそう励まされたけど、僕は簡単には誤魔化されない。
僕は彼女を睨みながら言った。
「まだ納得出来ない事があるんだけど――」
そう言って僕は、皮のコートの下に着た薄緑色のワンピースをつまみ上げた。
「よりにもよって、なんでこんな格好しなくちゃいけないんだ!」
クローは「やれやれ」と言った様子でわざとらしく肩をすくめた。
柔らかな生地であつらえられたそれは、丈の長さが膝下まである。
さらには、控えめなレースが裾に丁寧にあしらわれているのだ。
(動きにくい事この上ないよ……)
「ビー様。そんなに風に持ち上げたら、はしたないですよ」
クローがヘラヘラと笑う。
「何度も説明しましたがね。万が一、ビー様の身元がバレたら誘拐されちまうんですよ」
「それは……」
「バッチオーク伯爵の大事なご子息だってバレないためですよ。我慢してください」
「でも……」
「あたしも警護しますが、まあ念のため変装してもらった方がいいでしょうな」
「にしたって……」
「旅の間、あたしらは姉妹って事にしましょうって言いましたよね? 忘れたんですか?」
続け様にそう言われ、僕は「うぐぅ」とうめく。
(忘れたわけじゃない。そうじゃないけど、承諾出来るかどうかは別問題だ!)
「大丈夫です、ビー様。その格好似合ってます。賭けてもいいですよ?」
「やめてよクロー……全然嬉しくない……」
ニコニコと笑うクローを力なく睨み、僕はがっくりと肩を落とした。