不穏な手紙・1
朝から大忙しの切り株亭にその郵便が届けられたのは、ザックが王都に戻ってひと月ほどたってからだ。
郵便配達人を見つけたロザリーは、飛び上がるほど喜んで彼を迎えた。
ザックが王都に行ってから、週に一度は手紙が届く。時にはロザリーの返事より早い事さえあって、意外に筆まめなことに驚いた。そろそろこの間の返事が届くはず……と思っていたので楽しみに待っていたのだ。
しかし手紙を受け取り、ロザリーは誰の目にも明らかなほど元気を失っていた。
それはロザリー宛の手紙ではなかったのだ。差出人はオードリー・オルコット。受取人がレイモンドだ。
「……レイモンドさんにですぅ」
「オードリーから?」
レイモンドは、普段はあまり恋愛感情を顔に出すタイプではない。しかし今回はひと月ぶりの手紙とあって、手紙を受け取った瞬間、顔をほころばせた。
羨ましい気持ちも寂しい気持ちももちろんあったが、情けない顔をしてはレイモンドが気にしてしまう。
ロザリーは気を取り直して、レイモンドに笑顔を向けた。
「クリスさんからのお手紙があったら私にも見せてくださいね」
オードリーの娘であるクリスとは年の差はあれど友達だ。
「ああ、もちろん。……あれ」
勢いよく手紙を確認していたレイモンドから、急速に元気が失われていく。最後には顔色まで悪くなっていた。
ロザリーは心配になってレイモンドを見上げる。
「レイモンドさん、どうしたんですか?」
「……いや。……すまん、クリスの手紙は入ってなかった。さあ、仕事に戻るぞ」
「でも」
「いいから」
明らかにレイモンドは落ち込んでいる。けれど、他人あての手紙を許可なく見るわけにはいかない。困り果てていると、不審な空気を感じ取ったチェルシーが近寄ってきた。
「なにかあったの?」
「いま、オードリーさんから手紙が来たんですけど、なんかレイモンドさんの様子がおかしくて……」
仕事に戻ったはずのレイモンドは全く集中できておらず、フライパンに手を突っ込んで「あちぃっ」と騒いでいる。
「何やっているのかしら。あんなんじゃ仕事になりゃしないわ」
「ですが、手紙の内容を聞くのもはばかられて」
「遠慮することないわよ。ぶっちゃけレイモンドの腕にこの宿の未来はかかってるんだもの」
そういうと、チェルシーはつかつかと彼の傍に近寄り、彼が調理服のポケットにしまった手紙を引き抜いた。
「何するんだ、チェルシー」
怒鳴られてもチェルシーは少しも動じない。手紙をひらひらとさせたあと、彼の鼻先に突き付ける。
「レイモンド。読まれたくないのなら、何があったのか話して。今の状態のあなたが作った料理が、商品になるかどうか。……あなたにならわかるわよね。しっかりしてくれないと、私たち、路頭に迷ってしまうわ」
凄みのある笑顔で言われ、レイモンドは口もとを引くつかせた。
しかし、全幅の信頼を置いているチェルシーの発言はもっともで、レイモンドは諦めたように肩をすくめた。
「……分かった。読んでいい」
「じゃあ、失礼して」
とはいえ、レイモンドに失恋したチェルシーが、彼らの恋文を読むのは辛いはずだ。
心配になりながら、ロザリーは脇からのぞき込む。
「なにこれ……『別の縁談が決まったので、アイビーヒルには戻れません』ですって? さんざん人のこと振り回しておいてどういうこと?」
チェルシーの声音には、怒りがこもっていた。当たり前だ。チェルシーは七年もの片思いの相手を、オードリーに奪われたのだから。
でも、ロザリーにはオードリーがそんなことを言うなんて思えなかった。
結婚して夫を愛そうと努力してきたのに、レイモンドを忘れることができなかったオードリーの恋心は、そんなに簡単なものではなかったはずだ。
「ちょっとすみません」
ロザリーは便箋に鼻を押し付けるようにして、手紙の匂いを嗅ぐ。
前世の犬の記憶とともに取り戻した嗅ぎわけの能力は健在だ。ロザリーが“失せもの探しの令嬢”と噂されるのもすべてこの能力のおかげでもある。
紙のにおいとインクのにおい。誰かの体臭はついているが、オードリーのものではない。それに、この手紙にはクリスの匂いが全くついていない。
(なんか、……人の体臭が多すぎる)
いずれもロザリーが今まで嗅いだことのないにおいだ。少なくとも三人分。書き手である人物のにおいは均等についているが、残る二人分は、便箋の左右中央にのみ濃くついている。おそらく、内容を確認しただけなのだろう。
「……これ、本当にオードリーさんの筆跡ですか?」
ロザリーの問いかけに、レイモンドは眉根を寄せた。予想していなかった問いかけらしい。
「筆跡って言われてもな。……あ、以前の手紙ならある」
レイモンドは急いで地下にある自室に向かい、ひと月前にもらったオードリーの手紙を持って戻ってきた。
「これが前の手紙だけど」
この時は、クリスのロザリーあての手紙も同封されていたし、便箋に付いた香りも間違いなくオードリーのものだった。封筒の封蝋のあたりにふわりと立ち上るクリスの香りに、ロザリーは頬をほころばせる。
筆跡を見比べてみると、似せてはあるもののやはり違いがある。
「癖が違いますよね。オードリーさんだったら、ここの跳ねるところの角度がよくこうなっていますけど」
「本当だ」
オードリーが出したのではないのに、オードリーの名前で投函されている。
その目的が、レイモンドにオードリーのことをあきらめさせるためなのだとしたら、これを出した犯人はおのずと決まってくる。
彼女の再婚を阻止したいオルコット夫妻だ。
それを伝えると、レイモンドは眉根を寄せた。
「そこまでやるか? オードリーは彼らの娘なわけじゃないんだぞ? そりゃ息子が死んだのは気の毒だけど、いつまでもオードリーを縛る権利は、彼らにはないだろう」
レイモンドの怒りはもっともだ。
この時代、女の立場は弱い。家柄だったり夫の立場だったり、そういったものに左右される。
だから、夫が死んだ後も夫の実家の庇護を受けられるオードリーはある意味で幸せだと言えるだろう。しかし、再婚するとなれば、元の婚家とは他人になるのだから、彼らに口出しする資格などないはずだ。
オードリーだって、元の婚家とは決別する覚悟をもって再婚を言い出したはずだが。
「……決めた。手紙を書く。ランディ、しばらくかまどを見ていてくれ」
「ああ、いいけど。その調子でオードリーに手紙が届くとは思えないんじゃないか?」
「オードリー宛じゃない。隣町に行った両親に書くんだ。いい加減、帰ってこいとな。父がいれば、俺がしばらく店を空けても何とかなるだろう?」
レイモンドの発言に、チェルシーもランディも驚いて前のめりになる。
「まさか」
「そうだ。オードリーを迎えに行く」
決然と言い放ったレイモンドに、さすがにチェルシーは悲しそうな顔をしたが、それは一瞬のことだった。
「かっこいい。そうでなくちゃ、レイモンド」
にっこり笑って見せたチェルシーは相変わらず男前で、ロザリーとランディがひそかにときめいてしまったのは内緒だ。