エピローグ~とある第一王子のモノローグ~
王太子バイロンの寝室は、いつも静寂に包まれている。
毎日訪問するのは、医者と侍女くらいなもので、実母でさえ、週に二度ほどしか顔を見ない。実の弟はもっとひどい。月に一度顔を見せればいい方だ。
同じように週に一度程度しか来ないが、本当に多忙の合間を縫って来てくれると思えるのは、彼の実の父親であり、モーリア国王であるナサニエルだ。
そんな父の言葉で、ずっと心に残っているものがある。
『バイロン、お前は、自分の目で見たものを信じるんだ。正しさは数で判断するものではない。自分の中の真実から目をそらしてはいけない』
それを言われたのは、まだ言葉の意味を理解できないような幼い頃だ。
だけど、父の真剣な様子に気圧された気持ちになったことをよく覚えている。
母は弟のコンラッドが生まれてからそちらに夢中になった。もともと、第一王子として生まれたバイロンは早くから母とは引き離されており、親子といってもあまり親しい存在ではなかった。
そして初等学校に入る頃、母親違いの弟、アイザックが城にやって来たのだ。
美しい第二妃に似た、人目を引く相貌。落ち着いて見える黒の髪、父の息子であることを疑わせない緑の瞳。
見た瞬間に嫉妬した。父も、寵愛する妻の子をかわいがるのだろうと。
だから、来てすぐは彼にひどく意地悪をした。四歳違えば勝って当たり前なのに、ワザと見せつけるような態度を取り、アイザックを泣かせた。
母はそれを喜んでくれた。アイザックより上に立てと言い続けられた。
そんな時だったと思う。父が、件の言葉を告げたのは。
幼い自分にその言葉が正しく浸透するには時間がかかった。
しばらくは、やはり寵愛を受けるカイラ妃と彼が羨ましくて。
けれど、やがてカイラ妃が体調を崩すようになったころから、父の態度が変わってきた。
カイラ妃は部屋にこもるようになっていて、それまで彼女と過ごしていた時間を、父はバイロンに向け始めたのだ。
父から直接聞く、国政についての話は、彼に驚きと感嘆をもたらした。
それまで、伯父からの『私に任せておけば、お前は立派な王になれる』といった漠然としたアドバイスとは違い、父の話には彼の理想が詰め込まれていたのだ。
『何事も理想通りにはいかない。だが、そこを目指すことが正しい国を作ることに繋がると私は思う』
バイロンの周りにはいろんな人間が集まってきた。権力にすり寄る者や、単純に勝ち馬に乗ろうという者、あるいは、彼に自分の思想を植え付けようと躍起になる者。
その中で、一番心に響く言葉をくれたのは、いつだって父だったように思う。
父が、自分を王太子として優遇してくれたことは、バイロンの精神に安定をもたらした。
おかげで、学術院を卒業するころには、バイロンは冷静に自分の周りが見えるようになっていた。
母は、自分の興味のあることにしか関心を示さず、コンラッドも母に似た享楽主義者だ。
伯父は上手に政治を回しているように見えるが、強引なところがある。仮にも国王である父親の主張を数の論理で崩していくのは、見ていていいものではなかった。
そしてアイザックは国そのものを愛していないようだった。
能力で言えば、彼はおそらく自分よりも上だろう。学園時代も、仲間から好かれるのはアイザックの方だ。
だが彼には肝心の、国を愛する心が無かったのだ。
父が自分を選んだ理由も、自分なりに納得できて、バイロンは満足だった。
このまま、父の理想の政治をするための助けになる。そう誓って、しばらくした頃だ。
バイロンは突然、体調を崩した。
何が原因なのかは分からない。体が重く、時折呼吸が苦しい。それでも数年は執務に携わっていたが、二年ほど前からはずっと起きているのがつらくなり、政務からも遠ざかった。
バイロンに期待してくれていた父は肩を落とし、自らも国政への意欲を失った。
それを見ているのが、バイロンにはとても辛かった。
決して、彼の翼を折りたかったわけではないのに。
だが、自分の体もままならないバイロンには、なす術がなかった。ただ、ベッドの上で身動きも取れないまま、毎日思いを巡らすだけだ。
今まで自分は何をしてきたのだろう。
王子が三人もいるのは、国家としては恵まれているはずだ。なのにどうして自分たちは、協力し合うことができなかったのだろう。
自分で立つ力を失って、バイロンはそう考えるようになった。
父を助けたいという思いを、なぜ自分は弟たちと共有しようと思わなかったのか。
答えは簡単だ。バイロンは誰のことも信用していなかったからだ。
自分にすり寄ってくる人間はみな、権力狙いだ。側近も学友も下心が透けてみえた。王族とは孤独なものだと父も言っていたから、そんなものなのだろうと思っていた。
バイロンにとって、唯一の人が父だった。父にとっても、自分が唯一無二の息子でいたかった。
だがそんなのは、自分のエゴに過ぎない。それも、力を無くして初めて気づいたことだが。
(だがアイザックは違うな……)
アイザックには、イートン伯爵家のケネスという信頼できる側近がいる。
バイロンとすり寄ってくる貴族子息との関係とは違い、あのふたりは時折本気でケンカもする。きっと友と呼べる存在なのだろう。
アイザックは変に素直なところがある。特に療養から戻ってきてからは、バイロンの話にもよく耳を傾けてくれるようになった。信じてもいいかもしれない、とバイロンは思い始めている。
(もしアイザックに、協力してくれる気があるなら……)
自分はまだ、父の役に立てる。体が動かなくても、頭はまだ十分に働けるのだ。
バイロンはそれがこれ以上ない名案に思えた。
王太子としての知識を弟に与え、父王をふたりで支えていく。治らない体を恨むより、そのほうがよほどいい生き方だし、自分の証が残せるような気がした。
「バイロン、調子はどうだ」
ノックの音に、バイロンは思考を止め、扉に顔だけを向ける。入ってきたのは、伯父だ。
「これは、伯父上」
起き上がろうとしたバイロンを、伯父は右手で寝ているよう制した。
「恐れ入ります」
「様子を見に来たのだ。具合はどうだ」
体調を心配する言葉に、真意はどこかと思いを巡らす。
かつて目をつぶっていたバイロンの枕もとで、「死にぞこないなのだから、せめてあの妾の子を道連れにしてもらわんとな」と言ったのはたしかに彼だったのだ。
「よくも悪くもなってはおりません。伯父上が顔を出すなんて珍しいですね。どうされました」
「いろいろとごたごたしていたからな。そろそろ大きな動きが必要かと思ってな」
「……大きな動き、とは?」
「もちろん、すべては国のためだ。お前に薬をもらってきた。南方の、喉に効く薬だ」
「南方の?」
「ああ。取り寄せてもらったんだ。呼吸が楽になるぞ。寝る前に飲むといい」
「……ありがとうございます」
伯父の笑顔に妙なものを感じつつ、バイロンはそれを受け取った。
あとで、誰かに調べさせよう。伯父のもってくるものなど、信用できない。
小瓶に入れられた琥珀色の薬。銀色のスプーン。それを横目で見ながら、疲れを感じたバイロンは眠りにつく。
と、次に気づいたとき、バイロンは全身が汗だくだった。口の中は甘く、妙にべたついている。吐き気がひどいが、ベッドから起き上がることも出来ず、体の中を襲う痛みと違和感に、のたうち回ることしかできない。
「いったい、なにが」
チラリとベッドサイドを見れば、薬は無かった。誰かが寝ている自分の口の中に入れて、持ち去ったのかもしれない。
だとすればこれが毒なのか。伯父はそれほどまでに、自分を邪魔に思っているのか?
眠っていたからか、侍女も席を外している。通常ならば部屋の前に衛兵もいるはずだが、苦し気な息までは聞こえないのか、誰も入ってこようとはしない。
「くっ、……父上」
何も残せずに死ぬのか、と思えば、バイロンは怖かった。
父の力になることも、王太子として成果を残すことも出来ずに。
「俺は王太子だ。……それしかなかったんだ」
喉をかきむしりながら、バイロンは必死に叫ぶ。
「それさえも、奪うのか、あなたは……!」
……憎い。ままならない体も、権力だけを求める伯父も、快楽だけを求める母や弟も。何の役にも立てずに、死にゆく自分も。
「……頼む、アイザック。父上を」
父上を、守ってくれ……。
やがて絶叫したバイロンに、ようやく侍女が気付いた。彼女が聞いたのは、「アイザック」という単語のみ。
「きゃ、きゃああああ」
悲鳴に、衛兵も駆けつけてきた。
二十六年という短い人生で、誰よりも王太子という立場に固執し続けた彼は、その瞬間、ようやく王子という鎖から解き放たれたのだ。
【to be continued……】
こんな終わりですみません!
続きは「王妃様の毒見係でしたが、王太子妃になっちゃいました」という作品になります。
一緒にしようかとも思っていたのですが、先に他サイトで書いたタイトルと構成上、次作と合わせて前後編という形になっています。




