仕掛けられた罠・2
「だったらすればいいじゃない。ロザリーも社交界デビューも終わったしさ。陛下に許可を取ればいいだけだろう」
さらりと言うケネスに、辟易したような顔でザックが答える。
「母上が意外と厳しい。自分のときのことを思い出したんだろうな。ロザリーが貴族社会の中で困らない程度の令嬢教育を施すから待てというんだ」
「でもそれはカイラ様が正しいんじゃない?」
「ふたりきりになるのも邪魔されるから困る。元気になったのはいいが、元気すぎだ」
ナサニエルとの関係が修復したカイラは、夢遊病の症状もすっかり治った。……のはいいのだが、今度はロザリーを教育しようと躍起になっている。
自分が王妃になったときに、相当思うところがあったのだろう。
それまで間違いを起こさないようにと、離宮での監視は一層ひどくなっている。
ザックとしては、アイビーヒルにいたときのように、気軽にロザリーと散歩したり穏やかな時間を楽しみたいだけなのだが、その時間すら取らせてもらえないのだ。
「君が見かけによらずこらえ性が無いのが分かってるんじゃない? さすがカイラ様じゃないか」
「俺のどこがこらえ性が無いんだよ」
「はっきり結婚したいとか言っちゃうところじゃないですか? たまに無駄にスキンシップ多めだったりするじゃないですか」
レイモンドにもそう言われ、さり気に落ち込むザックだ。
「さあ、そろそろ出ないと夜までにたどり着けないかもしれない。行こうか」
イートン伯爵領アイビーヒルまでは馬車で六時間。乗合馬車を使えば一泊二日の旅になる。しかし今回はイートン伯爵が馬車を貸してくれるため、一日移動だ。
「ロザリーちゃん、手紙書くね!」
「はい。レイモンドさん、オードリーさんもお元気で。ご主人……お父様にもよろしくお伝えください」
懐かしいご主人を思い出して、ロザリーは笑った。
リルだった時の記憶。もうすでに遠い記憶になりつつあるが、それが無ければ、きっとレイモンドともザックとも出会えなかった。
ロザリーをここまで連れてきたその記憶に、今は感謝している。
「じゃあ名残惜しいけど、行こうか」
レイモンドが片手に荷物、もう片手にクリスを抱き上げる。それを見上げるオードリーはとても幸せそうだ。
だが、屋敷を出ようとしたそのとき、突然玄関で執事と誰かが言い合う声が聞こえてきた。
「何事だい?」
「ケネス坊ちゃま。実は」
「こちらにアイザック王子がお越しですね」
そこにいたのは、王国警備隊だ。
よくよく見れば、庭にずらりと並んでいる。ザックが乗ってきた馬車の御者は、馬車から下ろされて、警備兵の脇で小さくなっていた。
急に不穏な空気に包まれ、その場にいる皆が顔をこわばらせる。
やがて警備隊のひとりが前に出る。ザックは皆が飛び出さないよう手で下がっているように指示し、ひとり、前に出た。
「ずいぶん物々しいが何事だ?」
「アイザック王子殿下ですね。私は警備隊隊長を勤めております、アンガスと申します」
ザックは無言で頷いた。先日のウィストン伯爵の逮捕劇のときにも見たことのある男だ。
しかし、彼が続けた言葉に、ザックは平静を保っていられなくなった。
「あなたに、バイロン王子殺害の容疑がかかっています。速やかに王城にお戻りください」
「は? 兄上が死んだ?」
それは晴天の霹靂だった。
バイロンの体調はたしかに悪かったが、こんなに突然終わりを告げられるほどじゃない。
しかも容疑などと物騒な単語まで飛び交っている。
「ちょっと待て。兄上になにがあった。死因はいったい……」
「病死に見せかけた毒殺です。毒物も特定できています。……輝安鉱です」
「なっ……!」
警備隊隊長は、オードリーにも目を向ける。
「そちらの女性は、故オルコット教授の奥方ですね。あなたにも毒物採取の容疑がかけられています。ご同行願います」
「え?」
オードリーも寝耳に水だ。驚きすぎて身動きさえできないうちに、クリスから引きはがされ、警備兵に腕を押さえられる。
「ママ!」
「オードリーを離せ!」
すぐにレイモンドが引きはがそうとしたが、多勢に無勢、頬を殴られ、地面に転がされる。
「レイモンド! ……やめてください。彼に手を出さないで」
「お前がおとなしく来れば、他の人間には手を出さない」
警備兵の言葉に、オードリーは渋々頷いた。
「オードリー!」
「大丈夫よ、レイモンド。私は何もやっていない。バイロン様に会うどころか、城にも行ってい無いんだもの。なにかの間違いよ。それを証明してくるわ」
「なかなか、賢明な女性だ。では参りましょう。アイザック王子も、……よろしいですね」
罠だ、とザックはすぐに分かった。
それでも、正式な手順を踏んで同行を求めてくる警備隊に反抗すれば、それだけで罪に問われる可能性がある。
「わかった。行こう」
「ザック様」
ロザリーは思わず彼の背中にしがみついた。不安から、その手は小刻みに震えている。ザックは彼女の不安をなだめるように、体の向きを変え、彼女の背中を撫でる。
「大丈夫だ。容疑を晴らしに行くだけだよ。オードリー殿もすぐ帰れるようにする。待っててくれ」
「でも……」
それでもなお、不安を顔に覗かせたロザリーに、ザックは彼女の心を支えるための約束を残した。
「大事な話があるんだ。帰ってきたら、話すよ。約束だ」
持ち上げた彼女の手の、薬指の付け根に口づけし、ザックはケネスを振り仰いだ。
「ケネス、ロザリーを頼む」
「分かった」
「レイモンドも……しばらくは王都を抜け出すのは無理だろう。ここでしばらく預かってもらうといい」
レイモンドが頷いたのを確認すると、ザックは憲兵のもとに歩き出した。
同時に引っ立てられるオードリーに向かって、「ヤダっ、ママぁ」と叫ぶのはクリスだ。
「クリスさん。大丈夫ですよ。大丈夫……」
ロザリーはクリスを抱きしめる。自分自身、なにか頼れるものを探していたのかもしれない。
「ご協力感謝します、では」
警備隊はザックとオードリーをそれぞれ別の馬車に乗せ、連れていった。
潮が引いたかのように、そこにはいつものイートン伯爵邸の庭が広がっている。
ロザリーとクリスは彼らが立ち去った後を、ただ茫然と見つめていた。




