仕掛けられた罠・1
結局、ナサニエルが城にたどり着いたのは、朝の七時だ。城の衛兵たちが王の不在に気づき、慌てふためいて捜索隊が編成されている最中のことだ。
清々しい顔をした彼は、離宮に行っていたこと、カイラを城に呼び戻すつもりだということを宰相や他の重臣に告げた。
その事実は噂となって、一気に王城内を駆け巡る。
国王の自室の近くの部屋が改装されはじめると、そこに第二妃が戻ってくるのではないかと使用人たちは色めきたった。
それまで、第二妃と国王の仲は冷めきっていると思っていた人々は、途端に離宮のカイラにご機嫌伺いを立て始めるようになった。
それに不満をあらわにしたのは、当然ながら第一王妃のマデリンだ。
「どういうことなの!」
「落ち着け、マデリン」
彼女のもとには兄であるアンスバッハ侯爵が顔を出している。
なだめつつも、侯爵自身、してやられた思いである。
これまで資金調達のために必要だったとはいえ、足もとをすくわれかねない輝安鉱の採掘に絡む一連の懸念事項を、うまくウィストン伯爵に罪をなすりつけることができた。
ついでにアイザック王子を始末できなかったのは残念だが、イートン伯爵家で騒ぎを起こせたことで彼の派閥の勢いをそぐことはできた。まあ上々だろうと思っていたところでのこの騒ぎである。
「まさか、あのふたりが今更よりを戻すとはな。そうなればアイザック王子にすり寄る貴族も出てくるだろう」
議会政治で、一番相手にするのが難しいのが中立派という名の日和見議員たちだ。彼らは自分たちの主張は持たず、その時の第一勢力にすり寄ろうとする傾向がある。せっかく寄ってきた日和見議員たちが、またすぐ離れていくのを想像し、侯爵は頭を抱えた。
「バイロンの体調はどうなんだ?」
「あの子は相変わらずです。悪くもなっていませんが、よくなることはないとお医者様はおっしゃっています」
自分の子のことなのにすました調子でマデリンは言う。
生まれてすぐ、引き離されて乳母によって育てられたことも起因しているのだろうが、彼女にはあまり母性というものが育っていない。
マデリンの今の立場を保証するものは、王であるナサニエルの存在だ。だが、寵愛を受けているかといえばそれは否だ。第二妃との不仲がささやかれているときさえ、ナサニエルがマデリンのもとを訪れることはほとんどなかった。
だが、彼女が王子たちの母である以上、離縁という話にはならない。
「バイロンが治るのが、本当ならば一番だったのだがな」
「お兄様?」
「いや。第三王子を生んだのはお手柄だったな。バイロンだけでは成しえなかった手が使える」
「なにを考えておられるのです? 私の立場を揺るがすようなことになれば……」
気色ばむマデリンを、侯爵は視線だけで黙らせる。
「落ち着け。私がお前のためにならないことをしたことが一度だってあるか?」
「いいえ。お兄様は私を王妃に、そして国母にしてくださった」
「だろう? 私が考えているのはいつだって、お前の幸せと安泰だ」
そう言うと、侯爵は薄く笑う。いつもなら、それを頼もしいと感じるマデリンだったが、その日はなぜか、空恐ろしい気持ちがした。
*
その日、ロザリーはイートン伯爵家を訪れていた。
レイモンドとオードリーがついにオルコット子爵から結婚の許可をもらい、クリスを連れてアイビーヒルへと帰るという報告を聞き、見送りに来たのだ。
「本当に行ってしまうのか、レイモンド」
彼を惜しむのは主に厨房の面々だ。
「短い間でしたがお世話になりました」
「いつだって、戻ってきていいんだぞ。なんなら王都で店をだしゃいいんじゃないか。娘さんだって、ここの方がいい学校に行けるじゃないか」
オードリーとクリスは、三日前からイートン伯爵邸で世話になっているらしい。
家を出ることを決めた今、子爵家にいつまでも世話になるわけにはいかないと、レイモンドと揃って挨拶し、出払ってきたのだという。
「クリスさん、せっかくまた会えたのに離れ離れは寂しいですが、レイモンドさんとオードリーさんと仲良くしてくださいね」
「ロザリーちゃん。アイビーヒルに遊びに来てね。クリスがケーキを焼いてあげる」
クリスはニコニコと笑っている。メイドの話を聞くと、この屋敷に来てから彼女はレイモンドの後ばかりついていくのだそうだ。
だから、厨房の面々もクリスのことをかわいがってくれているらしい。
「楽しみにしてます」
ロザリーはクリスをギュッと抱きしめる。そして、今度こそ途切れないように手紙を書く約束をする。
「レイモンドの料理が無くなるのは寂しいなぁ」
「何言ってるんですか。ご立派な料理人をいっぱい抱えているくせに」
ケネスの惜しむ声に、レイモンドが笑う。
「彼らの料理はもちろんおいしいよ。だが俺の舌は君の料理がどうにも忘れられなくてね」
「うわあ、すげぇ殺し文句を言いますね」
まんざらでもない様子のレイモンドだが、「でも、帰りますよ」とはっきりと言った。
「今度領地に戻るときは、結婚祝いを持っていくよ。なにか希望はあるかい?」
そんなふたりの会話を横目に、ザックは思わずぼそりとつぶやいた。
「結婚か。……いいなぁ」
耳ざとくそれを聞きつけたケネスとレイモンドは、顔を見合わせ、ロザリーには聞こえないように小声でザックに話しかける。
「なんだ、結婚したいんですか。ザック様」
「したい」
「はっきり言いますね」
からかうような口調のレイモンドに、ザックは重めのため息で返す。
「ずっと前からしたいと思っている。アイビーヒルと違ってここだとあまり顔を合わせることができないし、離れていられると心配だ。ただ……ロザリーがまだ十六だというのを考慮して言わなかっただけだ。だが、そこまで悠長にしていられる感じでもなくなってきたからな。こんなことは考えたくないが、第二王子でいられるうちに最低限婚約まではしたい」
断言するアイザックに、ケネスが肩を叩いて同意する。
「まあそうだね。君が王太子になってからでは、辺境の男爵令嬢はちょっとねじ込むのが難しいもんなぁ」
「今なら大丈夫なんです?」
第二王子だってそう変わらないのでは……とレイモンドが聞けば、「まあな」と言いつつ苦笑する。
「だが今なら、第二王子のわがままで済むだろう? 王太子妃となれば、彼女がどんな嫌がらせをうけるか分からない」
「まあそれは今でも変わらないんじゃない? バイロン様があの状態なんだから、君に狙いをつけている貴族はいっぱいいるだろう」
「良くも悪くもアンスバッハ侯爵のせいで、今のところは落ち着いてるな。俺につくのはイコール侯爵を敵に回すことになるから」
ザックは苦笑する。そう。今ならば周りの反対を押し切ってでも結婚できるのではないかと彼は考えている。
下手に第一王子になにかあった後では、面倒が増えるというものだ。
まあそうなったからといって、彼女をあきらめるという選択肢は、もうザックにはなかったが。




