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事の真相・4


 ナサニエルは階段をのぼりながら、彼女との出会いを思い出していた。

 カイラに目を奪われたのはいつだったか。

 政務に慣れ、自分の意思を掲げて政治に臨もうとして、アンスバッハ侯爵に阻まれていたそんなころだったように思う。


 ふいに花のにおいが気になって、顔を上げると、侍女が花瓶の花を入れ替えていた。


「いい香りだな」


 そう、声をかけてしまったのは、その花の香りで頭がすっきりと冴えるような気がしたからだ。侍女はすっと頭を下げると、小さな声で告げた。


「気分を落ち着かせてくれる香りだと言われております。これで陛下のお気が慰められるとよいのですが」


 王として、ナサニエルは様々な人間の敬意と向き合ってきた。けれど、こういった気遣いを受けたことはなかったように思う。


 何日たっても、その花瓶の花が気になり、花が替えれていたときにはなぜか残念な気がした。ある日、再びその侍女が花を替えるところに出くわしたときは、胸が躍るのを止められなかった。


「この香りを、例えば服に焚きしめることはできるのか?」


 突然話しかけられ、彼女は驚いた後に彼を見つめた後、慌てて後ずさって頭を下げた。


「せ、精油を取ればできます。私の両親は交易商ですので、そういった商品は扱っていますが」


「ではそれを用意するように。名前は?」


「……カイラです」


「メイド長に言っておく。明日から私の衣裳係に回すと」


 ナサニエルは、強引な人事を強硬的に推し進めた。カイラは当初戸惑っていたが、慣れてからはいろいろな香りの香木や精油を入手して、ナサニエルの心を慰めた。


「さあ、今日は白檀の香りです。どうぞ、お召しになってください」


 カイラに用意してもらった衣裳は、いつもいい香りがした。何処に居ても、彼女と一緒にいるような、勇気づけられるようなそんな気持ちになる。


「カイラ……」


 強引に自分のものにしたのはわがままだった。

 妻がいる身で、彼女が逆らえるわけがないと知っていて彼女を愛し、後ろ指をさされる立場に落とした。


 それでも、ナサニエルは彼女が欲しかった。彼女のくれる穏やかな時間に、何より救われていた。だから、彼女に与えた立場が彼女を傷つけていたと知ったとき、もうどうすることも出来なくなってしまったのだ。


 鍵の閉まった扉の前に立ち、ナサニエルは一瞬躊躇した。

 中にはカイラがいる、無意識にさまようくらいに心を傷つけられ、ボロボロになった彼女が。手放すことさえできず、無理やり離宮に閉じ込めた自分には、弁明する言葉などありはしない。


「陛下、早く。ひとりで動いていては、カイラ様が怪我をされるかもしれません!」


 ロザリーに急かされ、思い悩んでいる暇などないのだと、慌てて鍵を開け中に入る。


 そこで、カイラはランプをもって何か探している仕草をしていた。


「カイラ……?」


 生気のない目でナサニエルを見つめた彼女は、ランプを窓の枠に置き、歩き出す。


 カイラは何か話しているように口を動かしているが、声は聞こえなかった。

 そして、彼に触れると、指先で腰のあたりを撫でた。何をされているのか分からない。けれど、ロザリーが言っていた「陛下のお仕度をしている」という言葉で思いついた。


 普段、自分は座った状態で髪を梳いてもらっていた。

 ナサニエルが近くにあった椅子に座ると、今度は正しく髪の毛を指で梳き始めた。

 かつては櫛でやってもらったものだが、これはこれで心地いい。これまで外にいて冷え切っていた彼の頭にもじわじわ熱がこもってくる。そこで、ふいにはっきりとした声が聞こえてきた。


「……二エル様?」


「え?」


「本当の、ナサニエル様?」


 彼が振り向いたとき、カイラの瞳の焦点は合っていて、しっかりと彼を映していた。


「カイラ」


「どうしてここにいらっしゃるの? それに……私、なにをしていたのかしら。まあ、アイザックまで。どうして、今はいったい何時?」


「正気に戻ったのか?」


 ナサニエルが、カイラの腕を掴む。懐かしい感触に、彼の衝動が止まらなくなる。気が付けば、彼女の体を思い切り抱きしめていた。


「……すまない」


「いえ……でも本当に夢ではないんですね? どうなさったのです。国王様ともあろうかたが……」


「お前の香りが恋しかった」


 彼女への好意を表に出すことは、彼女を不幸にすることだとずっと我慢していた。

 だけど、カイラが夢の中でまでしていることを知って、ナサニエルの心の中にあった堰は壊れてしまった。


「お前の人生を台無しにしたことは知っている。立場上正妃と離婚できない私を、お前が恨んでいることも。だが私は、お前が愛しい。……お前が良いのだ」


 カイラは目を見開いた。カイラはカイラで、とっくに陛下の寵など失われていると思っていた。

 たったあれだけの嫌がらせで心を病む妻など、王妃の座にはふさわしくない。カイラの両親は、アイザックが生まれたころに亡くなった。既に身寄りを失っていることを考えて、彼が同情でこの離宮に置いてくれているのだろうと思っていたのだ。


「う、恨んでなどおりません。元侍女の分際で、正妃様に嫉妬してしまう自分の醜さに辟易していただけですわ。私は弱くて、あなたに迷惑をかけるばかりです。なのにあなたは私に、離宮という住まう場所をくださった。もう私にできることは、ここでおとなしくしていることだと、そう思っていただけです」


「ならば。……傷つけることを承知で言う。もう一度、戻ってきてくれないか。私はひとりが、――寂しい」


「でも正妃様が」


「あれとの結婚は政治的な意味がある。だが、それがお前を傷つけるのなら、その勢力図を変えるのも厭わない」


「いいえ、いいえ、そんなことを望んでいるわけではありません」


 突如として始まったふたりの熱烈な告白タイムに、ザックとロザリーは真っ赤だ。


「しばらくふたりにさせておこう。見てられない」


 ザックに腕を掴まれ、ロザリーは隣室へと連れていかれる。


「あー、陛下もそろそろ戻らないとまずいんですけどねぇ」


 途方に暮れたように言うのがウィンズだ。ライザだけは、表情を変えないまま、まるで空気のようにその場に控えていた。



 物音に、ロザリーは目を開けた。

 そしてすぐ目の上にザックの寝顔があることにぎょっとする。

 ふたりはソファに並んで座り、肩を貸し合いながら眠っていた。身長差的に、ザックの肩にロザリーが頭を乗せ、その頭の上にザックの頭が乗ることでバランスがとれたのだろう。


「ざ、ザック様?」


「ん……。ああ、ロザリー……。……ロザリー?」 


 思わず立ち上がったザックのせいで、毛布が滑り落ちる。

 一体だれがかけてくれたのか。足もとに落ちたそれが無くなってはじめて、暖をくれていたことに気づく。


「ああ、起きたのか……起きられましたか、アイザック殿下」


 苛立たし気に歩き回っているウィンズは、ふたりに目をやり、初々しく恥ずかしがっている様子にため息をつく。


「なんだかあてられてる気がするのは俺の気のせいですかね。……それにしてもどうしましょうね。陛下が戻ってきてくれないんですよ。このままでは皆に不在がバレてしまうし、ここに来たことがバレればカイラ様への寵愛もばれてしまう」


 気の毒に、ウィンズは一睡もしていなさそうだ。


「おふたりとも覚悟を決めたようですし、よろしいのでは?」


 どこまでも落ち着いた様子で、彼をなだめに入るのはライザだ。が、ウィンズは食い下がった。


「何のために今までひた隠しにしていたと思っているんです。……マデリン様の執拗な攻撃を忘れたわけではないでしょう」


「でも今はお嬢様もいますし。アイザックお坊ちゃまも十分強くなっておられます」


「私ですか?」


 突然水を向けられて驚くロザリーに、ライザはなんてことはないという調子で言った。


「においで毒見ができるのでしょう? もう怖いものなどないではありませんか」


「確かに、そうだな」


 ソファに座り直したザックは、ウィンズやライザに気づかれないように、そっと彼女の手を握る。


「君がいれば、俺も無敵だ」


 赤面してしまいそうなことを、はっきりと言われて、ロザリーの胸は激しく高鳴った。



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