王都からの珍客・4
どうしてロザリーが頷かないなんて思えるのだろう。ザックのような魅力たっぷりの人から恋情をぶつけられて、いやな人間などいるわけがないのに。
ロザリーは、思わずくすっと笑ってしまった。ザックの心配なんてただの杞憂だと分かってもらうために。
「でしたら、この扇に誓いますね。私はザック様のお帰りをずっと待っています。ザック様のことを、……ずっと好きです」
ザックからもらった扇を見せて微笑むと、ザックは微笑を浮かべ彼女の耳元にキスをする。
「ああ……いっそ連れていければいいのに」
頭が爆発するようなことを平気で言われ、ロザリーは足もとがおぼつかないような気持ちになる。
でも頭のどこかでちゃんと分かっているのだ。ロザリーが王都に行ったところで、ザックの役には立てないことくらい。
「頑張ってきてください。国のためですもの」
寂しさを隠して笑うと、ザックは彼女の頬を優しく撫でる。
「国のためを思って動けるほど愛国心があるわけじゃない。今回戻るのは……君のためだ」
「私……ですか?」
「君が安心して暮らせる国にしたいと思っているだけだ。でなければ、……逃げ続けている」
ロザリーの脳内に一気に血が巡ってくる。
今日の彼の言動は甘すぎないだろうか。胸がドキドキしすぎて、おかしくなってしまいそうだ。
ロザリーは自分を立て直すために、コホンと軽く咳ばらいをする。そして、彼を勇気づける言葉を探した。
「ザック様は私がいなくても国を見捨てたりしません」
「どうしてわかる」
「ザック様を必要としている人がたくさんいるからです。あなたはそういう人たちを見捨てるような人ではないでしょう?」
「……参ったな。寂しいのは俺ばかりか」
彼が零した小さなつぶやきに、ロザリーは胸がえぐられたような気持ちになった。
途端に我慢していた涙が浮かび上がってくる。
「……それはさすがに……ひどいです。私だって…」
寂しいのに……、と思いながら一生懸命涙を止めようとしていると、ザックが焦ったように目の前で手をアワアワと動かす。
「な、泣くなよ。言い方が悪かった。俺が寂しいから。ロザリーが平気そうに見えて、つい悔しくなっただけだ」
「平気なんかじゃないです」
「そう見えたんだって! ……でも。ごめん。……泣くほど寂しがってくれるのを嬉しいと思ってる。別れの寂しさを一瞬上回るくらいに」
あまりにも素直な返答に、ロザリーは笑ってしまいそうになった。
けれど、一度流れ出した涙はそう簡単には止まらない。元々、空元気だったのだからなおさらだ。
「少し泣かせてください」
ロザリーは自分からザックにしがみついた。彼の香りも、声も、肌の温かさもすべて覚えておきたくて。
ザックはそろそろと背中に手をまわし、やがて力を込めて抱きしめた。
「可愛いな、くそ」
彼の服を涙で濡らしてしまうことを申し訳なく思いつつも、ロザリーはザックの白檀の香りを思い切り吸い込んだ。
次に彼に会うときまで、絶対にこの香りを忘れないように。
*
翌朝、ザックとケネスは出立の前に切り株亭に寄った。荷物は別に馬車で送り、ふたりは護衛とともに馬で移動する予定だ。普段の軽装に防寒具として毛皮のローブを着た状態だ。
ロザリーとレイモンドは、仕事を中断して見送りに出た。
「ケネス様も行ってしまうんですね」
「まあ僕は今、議員でもないんだけどね。王都に行ってやることがあるわけじゃないんだけど、ザックの力にはなれるかもしれないから。イートン伯爵家のタウンハウスは王都にあるから、君たちも機会があれば訪ねておいで」
ザックがいなくなることだけでも寂しくてたまらないのに、ケネスまでもと思ったら、ロザリーは言葉が出なくなる。
耳とおしりあたりがむず痒い。尻尾があったらぺたんと垂れているはずだ。
寂しいなんて言ってはいけないけれど、寂しい気持ちを上手に隠せるほど、ロザリーは大人じゃないのだ。
そんなロザリーを横目に、レイモンドは大人として寂しさを表に出さずに笑いかけた。
「毎日来てくださったケネス様がいなくなるのは寂しいですね。……っていうか経済的に打撃です」
「君の料理が食べられないのは本当に不満だよ。できればうちの料理人として連れて行きたかった」
「はは。切り株亭がつぶれたら雇ってくださいよ」
レイモンドとケネスが軽口をたたき合う脇で、ザックはロザリーをじっと見つめている。
「手紙を書くから」
その言葉にロザリーはぱっと顔を上げる。
「本当ですか……! わ、私も書いていいですか? お返事、出しても大丈夫です?」
「ケネス経由で出してくれればいい。時間がかかるかもしれないが、ちゃんと俺のもとまで届くから」
「……はい!」
ザックは用意していたのであろうイートン伯爵のタウンハウスの住所を彼女に渡す。ロザリーはそれを、まるで宝物のようにギュッと抱きしめた。
「ロザ……」
「ザック、そろそろ行くよ」
もう一度髪を触って……などと考えて伸ばしたザックの手は、ケネスの無情なひと言により動きを止める。
「……ああ、分かった」
ザックは名残惜し気にロザリーと視線を絡ませながらも、ひらりと馬に乗り、護衛に前後を守られる配置で遠ざかっていった。
見送っていたロザリーの視界が潤んでくる。耳のあたりがむず痒く、力を抜いたら声を出して泣いてしまいそうだ。感情を取り戻したロザリーにとって、この別れは身を切られるような痛みを伴っていた。
「まあ、元気出せよ」
レイモンドが励ますように肩をたたく。彼は彼で、遠ざかる馬車を羨ましそうに見つめていた。
彼の思い人であるオードリーは、今も王都のオルコット邸にいる。迎えに行きたいと願うのは当然のことなのだろうが、彼にも仕事があるのだ。
「ふたりとも、仕事よ」
優しくも厳しいチェルシーの声に、レイモンドとロザリーは我に返る。
そうだ。ザックだって早く帰れるように頑張ると言ってくれたのだから。
ロザリーはそれを信じて待つしかないのだ。