銀色の毒・4
「どうやら料理人の登場だ」
テラスの向こう側。白の調理服を着た男性が現れる。レイモンドだ。
オードリーが感極まったように口元をおさえるのが、ザックからも見えた。
「本日、夜会の料理を担当いたしました、レイモンド・ネルソンです」
多くの貴族が、彼に拍手を送る。レイモンドはその喝采に深々と礼をした後、オードリーとクリスに向けて腕を伸ばした。
「俺がここに来たのは、愛する人を迎えるためです。オードリー、クリス! 迎えに来たんだ。一緒に帰ろう!」
その宣言に、途端に会場はざわめきだす。オードリーの周りにいた人間がじりじりと場所を開け、レイモンドとの間に、一本道が出来上がる。
彼女の傍についていたオルコット子爵夫妻は、先ほどまでと表情を一変させ、オードリーの肩をがっちりつかむと、レイモンドをにらみつける。
「駄目よ、オードリー、あなたには婚約者が……」
「ママ、行こう!」
オードリーを引っ張ったのは、他でもない娘のクリスだ。
「クリス、レイと一緒にいたいの! お金持ちじゃなくなっても構わない!」
オードリーの瞳から涙がこぼれた。クリスはそんな母親を必死に引っ張り、走り出す。彼女たちを全身で抱きしめてくれる腕の中へ。
すごい剣幕でオルコット子爵が怒りだしたが、イートン伯爵とケネスが間に入ってなだめている。
テラスから覗いていてさえ、ものすごい騒動だ。
「……っ、なにが起こって……」
広間に戻ろうとするウィストン伯爵の腕を握り、引き留めたのはザックだ。
「伯爵、造幣局で見た鉱物について、調べさせてもらいました。あれは、輝安鉱ですね。調べてみましたが、造幣局に採掘許可は出ていないと思います」
金属が床に落ちたような音が響く。実際に落ちたのは、ウィストン伯爵が持っていたデザートの皿だ。
明らかに動揺をあらわにしたサイラスに、ザックは憐みの感情さえ湧いてきた。
広間の真ん中で抱き合う料理人と未亡人とその娘。扉ひとつ隔てただけなのに、まるで別の世界のようだ。
だがサイラスは今、婚約者のその場面より、ザックの放った言葉に怯え、震えている。
ザックは口端を曲げ、通告するように感情のこもらない声で言った。
「……俺はこの皿かフォークのどちらかに、毒があるのではないかと思っています。確かめていいでしょうか」
「くっ……離せ!」
サイラスはザックの手を振り払うと、すぐに身をひるがえし、広間を駆け抜けた。
オルコット子爵は、彼が怒り出したのだと思って慌てて弁明しようとしたが、サイラスは見向きもせずにその脇を走り抜けていく。
「誰か! 彼を捕まえろ。毒を仕込まれた!」
そう鋭い声で叫んだのは、ザックだ。広間にいた人々は先ほどまでの料理人のロマンスから、打って変わった殺伐とした雰囲気にどよめきだす。
ザックはまず、証拠となるはずの皿とフォークをケネスに預けた。そして、廊下を駆けだす。
「待ってください」
後を追ってくるのはロザリーだ。
「危ないから広間にいるんだ」
「危ないのはザック様も同じです。もしウィストン伯爵を見失ったとしたら、私はにおいで探すことができます。絶対役に立つはずです」
走りながらそう言い切る彼女を、ザックは頼もしく感じた。
(こんなに小さくてか弱くても、ロザリーは守られているだけの令嬢にはならない。彼女となら、こんな風に一緒に走って行けるのか)
揺れるふわふわの髪。小さくて、頼りなげな少女なのに、彼女はどこまでも自分の心を支えてくれる。
どうしても離したくない。
こんな緊急な状況なのに、ザックは強く思う。
身分が釣り合わないとか、そんなことどうでもいいのだ。ただ、自分が自分らしくあるために、前を向いて生きていくために、彼女の存在が必要なのだ。
「分かった。ついてきてくれ」
ザックが彼女の腕を掴み、引っ張ってくれる。笑顔で頷いたそのあとは、ロザリーは何も語らなかった。何せ身長差があるのだから、ザックに追いつくのは大変なのである。
*
走りながら、サイラスは頭の中が真っ白になっていた。
第二王子に、毒殺のことを見破られていた。早く、早く、逃げなければ。立ち止まるわけにはいかない。
廊下にいる使用人は、まだ自分が捕まえる対象だと思ってはいないようだ。
みな、走り抜けるサイラスを怪訝そうに眺めてはいるが、捕まえようという態度は見られない。今ならば、逃げられるはずだ。
息を切らしながら、サイラスはそう結論付ける。しかし頭の奥では、警告のように相反する声も聞こえてきた。
(しかし逃げてどうなる? すでにアイザック王子には目をつけられている。証拠も残してきてしまった。後で調べられたら、どちらにしろ終わりだ)
「お客様? 馬車はまだ……」
玄関に控えていたイートン伯爵家の使用人が、走り行くサイラスを追ってくる。
広い庭を走り続けていると、行く手を阻むように周りの衛兵とは違う格好をした男がひとり立っている。
「どけっ」
しかし男は彼の力では動かなかった。代わりに、サイラスの腹に鈍い感触が走った。
「……っぐっ」
倒れ込むサイラスを、男は抱え耳打ちする。
「失敗ですね。ウィストン伯爵。でも大丈夫、あなたはあのお方のお役に立てます」
「お前は……誰だ」
「さあ?」
サイラスの体が崩れ落ちる。男が口笛を鳴らした途端、伯爵家の外から、アンスバッハ侯爵率いる一団が入ってきた。
追ってきたザックとロザリー、イートン伯爵家の面々は、言葉もなくそれを見つめる。やがて、家長であるイートン伯爵がやって来ると、使用人は道を開け、侯爵の一団と伯爵は、倒れたサイラスを間に挟んで向かい合うこととなった。
「これは……どういうことです? アンスバッハ侯爵」
アンスバッハ侯爵は血に濡れたサイラスを衛兵に抱え上げさせて、口端で笑った。
「造幣局での不正が発覚しました。彼には多くの容疑がかけられています。通貨偽造、禁止された鉱物の採取と密輸。それと、……アイザック王子、あなたの殺人未遂です」
アンスバッハ侯爵の指が、汗で肌を湿らせたザックを捕らえる。
「ご無事だったようでよかった」
心にもないことを笑顔で言ってのける侯爵に、ザックは言葉も出ない。
(……しっぽ切りか。侯爵はすべての罪をウィストン伯爵になすりつけるつもりなんだ)
「あなたは、記念硬貨の金属配合について、彼に意見していたそうですね。そして彼はそれに身に覚えがあった。バレる前にあなたを殺害しようとしたのでしょう。失礼ですが、夜会の食事、食器、すべてを調べさせていただきます。……ああ、ほら、王国警備隊もやってきました」
王国警備隊は王都の安全を守るための独立組織だ。
こうなれば、イートン伯爵がいくら屋敷の主人であっても、立ち入りにNOとは言えない。
「分かりました。夜会に出席した人々はお帰りいただいても?」
「いいえ。一通り話は聞かせてください。もしくは身元の確認を。まずは中にいれていただきましょうか」
楽しかった夜会は一気に騒然とし、聞き取りを終えた人間からぽつりぽつりと帰って行く。
その場は、警備隊の主導のもととはいえ、完全にアンスバッハ侯爵の独壇場だった。




