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イートン伯爵家の夜会・6


 厨房は、やはり戦場のようだった。

 次々と出来上がる料理が、入れ替わり立ち代わり入ってくる給仕によって運ばれていく。


 ロザリーとクリスは、邪魔にならないように壁に張り付くようにして厨房を覗き込んだ。

 今日の料理はレイモンドに任せたというが、実際にレイモンドひとりで全員の食事を作れるはずはなく、彼が中心になって指示を出して、伯爵家の料理人全員で作っている。突然入ってきた新入りが仕切れば軋轢も起きそうなものだが、料理長までも積極的に動いているところを見ると、レイモンドはずいぶんうまくやっているのだろう。


 ワゴンには、これから持っていくとりわけ用の皿が載せられていた。白磁の皿と銀の皿が用意されている。

 銀器は毒に対して変色反応を起こすので、王族を招待したときなどに使われる。カトラリー類も、全てではないが銀製である。ザックは必ずこの銀器を使うことになっている。


「よし出来た。次はこれを運んで……」


 大皿に盛られた料理を手に、レイモンドが一瞬こちらを向いた。扉の陰からぴょこりと飛び出しているふたつの頭を見て、驚いたように目を見開き、動きを止める。


「おいレイモンド?」


「悪い。少しだけ代わってくれ」


 ロザリーの隣で、クリスが身じろぎをした。まっすぐこちらに向かってくるレイモンドを凝視しながら、ロザリーにしっかりとしがみつく。


「……クリス。クリスだろ?」


 彼はふたりを入口から少しずれたところにまで誘導し、膝をついて、呆然としているクリスと視線を合わせた。


「俺だよ、レイモンドだよ。クリス、元気だったか?」


「レイ。……レイ!」


 手を伸ばたクリスを、当然のように受け止めて抱きしめたレイモンドに、クリスは渾身の力でしがみついた。


「心配してたんだぞ、クリス。手紙も届かなくてお前たちになにかあったんじゃないかって。オードリーは元気にしてるのか?」


「レイ。……ママは」


 クリスの瞳には涙が盛り上がっている。でもこれは悲しみの涙ではなかった。


 クリスは安心したのだ。

 みんな頭上から怒ったりなだめたりしてくる中で、レイモンドだけはちゃんと目線を合わせてくれたこと。

 オードリーだけじゃなくて、クリスのことも心配だと言ってくれたこと。

 それが嬉しくて、心の中にため込んでいた思いが、堰を切ったようにあふれ出してくる。


「ママは、お家を出れないの。クリスがいるから。レイからの手紙が届かなくなって、毎日泣いているのに、クリスには笑ってくれるの。大丈夫よって。でも全然大丈夫じゃない。お願いレイ、ママを助けて」


「あたり前だろ。俺はオードリーを連れ帰るためにここに来たんだから」


 レイモンドがにかっと笑って見せると、クリスはふいに不安そうな表情になる。


「……クリスも一緒に、助けてくれる? ……ママと離れたくないよ」


「クリス。そんな心配してたのか?」


「クリスさん……」


 話しているうちにワンワンと泣き出したクリスは、たじろぐレイモンドの首にしっかりとしがみつく。


「ママのいないお家なんて嫌。でも、ママが笑っていないのも嫌だよ。クリスも一緒に連れてって」


 オルコット子爵夫妻が執着しているのは、クリスの方だ。オードリーひとりなら、家を出ることは可能だったろう。クリスはそれに、ちゃんと気づいている。それを母親にも言えず、小さな胸を痛めていたのだ。


「あたり前だろ。俺はオードリーとクリス、ふたりを迎えに来たんだ。お前は俺の娘になってくれるんだろ?」


 レイモンドが、クリスを強く抱きしめ返す。


「絶対に、諦めない。もう二度と」


 決意を固めるように、レイモンドが誓いを繰り返す。

 クリスは涙を止め、少しばかりしゃくりあげながら、レイモンドの耳元に小さくつぶやいた。


「ありがとう。……パパ」


「……!」


 それは消え入りそうなほど小さな声で、レイモンドは一瞬空耳じゃないかと疑って、クリスの顔を覗き込んだ。

 クリスはまっすぐレイモンドを見ていた。ようやくその口もとに微笑みを浮かべて。


「ああ。絶対に取り戻すからな。それまでクリスは、俺の代わりにオードリーを……ママを守っていてくれ」


「うん! 頑張る」

 

 クリスの涙を拭いてやり、レイモンドはロザリーに彼女を託した。


「ロザリー、クリスを頼むな」


「はい。あの、……今日はオードリーさんも来てるんです」


「知ってる。ケネス様から聞いたよ。俺は今日来る招待客をうならせることで、彼女の前に立つ資格を得れる。そのために全力を尽くすのみだ」


 ケネスとレイモンドの間でどんな話し合いがなされているのかロザリーには分からない。それでも、決意に満ちたその目を見ていたら、信じて待とうと思えた。


「頑張ってください、レイモンドさん!」


 ロザリーは広間へと戻ることにした。クリスも、憂いが少し腫れたのか足取りが軽い。


「レイがパパになったら、やりたいこといっぱいあるの。まずはお料理を教えてもらうんだ!」


「いいですね。私もクリスさんの料理、食べてみたいです」


 元気を取り戻したクリスが笑うから、ロザリーの心も軽くなっていた。


 子供は希望に満ち溢れていなければならない。幸せな未来を信じられなければならない。

 大人はそのために、どこまでも尽力しなければならないのだ。





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― 新着の感想 ―
[一言] 未来ある少年少女のために。 この国で私利私欲のために動くような汚い大人にはすぐに退場してもらわねばッ。
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