イートン伯爵家の夜会・4
その日、料理の采配を任されたレイモンドは、昨晩からほとんど寝ないで仕込みをしていた。
ようやくオードリーに会えると思うと、心が浮き立つのを止められない。
主菜は一晩たれに漬け込んだチキンの照りやき、赤ワインで作ったソースを絡めたローストビーフ。副菜として、温野菜の彩サラダとポテトサラダ、ポテトチーズガレット、サーモンのラザニア、サンドイッチとスタッフドバゲットに、オニオンスープ。デザートはシフォンケーキとチョコレートムースだ。
もちろん、伯爵家の料理人たちは総出でこの料理作成を手伝っている。
新参者であるレイモンドが、メニュー作成を任されるのは非常に珍しいことで、当然やっかみなども懸念されるところではあるが、そこに事情があることは、ケネスがさりげなく伝えてくれているらしい。
レイモンドが、毎日のように会いに行っては追い返されている恋しい女を取り戻すための夜会だと知らされた料理人たちは、それまでの苦労を目の当たりにしていたことから、みんな我が事のように親身になってくれた。
「でも、もしそれで女を取り戻せたら、本気で帰っちゃうのか? レイモンド。お前なら、どの屋敷でも雇いたがると思うけどな」
「俺の夢は、好きな人とあの店を守っていくことです。親父がずっと守ってきた店ですしね」
「でもその親父さんとも血は繋がってないんだろ?」
「それもケネス様が教えたんですか?」
予想以上に事情通な先輩に驚いたレイモンドは、改めて切り株亭のことを思い出す。
幼いときに父が死に、なにも出来ないレイモンドはそこに仕事終わりの母を迎えに行くことを日課としていた。ある日、犬のリルが店主に拾われたときは嬉しかった。何せ忙しい切り株亭の人間は散歩ができない。
『レイモンド、頼んだぞ、リルの散歩はお前の仕事だ』
お金のもらえるような仕事ではなかったが、なにか役に立つことがうれしかった。
のちの義父となる切り株亭の亭主は、母と再婚する前から、レイモンドにとって父親同然の人だったのだ。
だから、再婚という話になったときも、自分だけの母ではなくなることに葛藤はあったが、相手が彼であることに不満はなかった。
「……そういや、あの人俺と血がつながってないんだっけ、って感じですね。そのくらい、実の息子のように育ててもらいました。血のつながりよりも、一緒にいた時間や、大切に思う心。それがあるから、家族なんじゃないかと思ってます」
それは心からの本心だ。例えばクリスに対しても、他の男の子供だという事実よりも、あの子が自分に懐いてくれているという事実が、レイモンドの心を満たしてくれている。
「お前、いいやつだなぁ」
肩をぐっと組まれて、しみじみと言われるのは嬉しいが、手が止まってしまう。
「まあそんなわけなんで、協力お願いします」
「もちろん。お前の一途な恋を俺たちがかなえてやるよ。なあ! その代わり無事奥さんになった暁には、友人を紹介するよう頼んでくれ」
妙に協力的な料理人の面々は、実は半数以上が独身だ。お屋敷の料理人というのは、思った以上に出会いが無いのである。
*
夜会の日、ロザリーは迎えに来てくれたケネスと一緒に、離宮を出た。
ドレスはカイラの見立てである。髪も化粧も丁寧に施し、「これ以上かわいい子はいないわ」と太鼓判を押されて出てきた。
「今日は特別可愛らしいね。ロザリー嬢。先に俺が拝んだと知ったら、ザックが機嫌悪くするなぁ」
ザックは王城から直接イートン伯爵邸に向かうことになっている。
隠し事をしているせいで、どこかぎこちなくなってしまっているロザリーは、ほんの少しだけホッとしていた。
やがてイートン伯爵の屋敷についた。
馬車を止める場所がそれほど多くないので、基本は送ってきた馬車は一度離れた場所で待機となる。次々入れ替わる馬車で、屋敷の前はごった返していた。ロザリーたちもその列に並び、順番になったところで降りる。
「さあ、お手をどうぞ」
ケネスのエスコートに、ロザリーははにかみながらも手を取った。
既に来ている招待客たちが、微笑ましいふたりを見て頬を緩める。
「あら、ケネス様。いつの間にご婚約なされたの?」
「残念ながら、婚約者ではないのですよ。うちで預かっているロザリンド嬢です。可愛いでしょう?」
邪推する人たちに断りを入れながら、会場となる広間へと向かっていく。
そこには、正装でクロエと話し合っているザックの姿があった。ロザリーはかしこまった声で、うやうやしく挨拶をする。
「お久しぶりでございます。アイザック王子殿下。本日はお姿を拝見でき、光栄でございます」
「やあ、ロザリンド嬢。今日は一段と可愛らしい」
「お久しぶりね、ロザリンドさん」
「クロエ様もお元気そうでなによりです」
他人行儀な挨拶をして、ロザリーはその場を辞す。
主催者であるイートン伯爵と訪問客の中で一番身分の高いアイザック王子は、次々と訪れる客の挨拶に対応しないといけないのだ。
久しぶりにレイモンドの顔も見たかったが、今、厨房は戦場のようだと聞き、自重する。
顔なじみの給仕が、「ロザリンド様がいらしていることはレイモンドに伝えておきますよ」と言ってくれた。
この夜会には、バーナード侯爵をはじめとした貴族議員が夫婦で参加している。王城で開かれるものとは違い、入り切る人数は五十人が限度だ。その人数で収まるようにと、招待状は二十五通に厳選したと聞いている。
ロザリーはできる限り招待客の香りを記憶した。ロザリーがこの屋敷を出てから、新しい料理人は増えていないので、彼らのにおいはしっかり記憶できている。
やがて、入ってきた招待客に、ロザリーは顔を上げた。
先に入ってきた老夫婦は、オルコット夫妻。その後に続くのが、少し小太りな紳士と、派手さのない理知的な顔の女性、それと小さな子供だ。
(クリスさんとオードリーさん! ……そして、あの人はたしか……)
一緒にいた男性は、ロザリーも前に別の夜会で一度だけ見たことがある。
「ロザリー。あれがウィストン伯爵だよ。挨拶に行くから、香りをしっかり覚えてくれるかい?」
ケネスに耳打ちされ、ロザリーは小さく頷いた。
クリスは、大人ばかりの中に来たからか、いつもの元気さはなく、オードリーにしがみつくようにしてあたりを窺っていた。
先日のことがあるからか、もしくはオードリーが言い含めてきたからか分からないが、ロザリーを見つけても、一瞬口を開いたものの、そのまま目を伏せてうつむいてしまった。
「ケネス様、本日はご招待いただきありがとうございます」
「やあ、オードリー殿。先日はすっかり世話になったからね。こちらが娘さんだね。今日は料理を楽しんでもらうための夜会だから、たくさん食べておくれ」
ケネスの手に頭を撫でられ、クリスは上目遣いで見つめる。
「クリス、ご挨拶なさい。教えた通りに」
オードリーが促すと、彼女はぴょこんと体を前に出し、ドレスの裾をつまんで礼をした。
「クリス・オルコットです。お招きありがとうございます」
かわいらしくもきちんとした仕草に、ロザリーはすっかり見入ってしまう。
(可愛い! クリスさんお人形さんみたい!)
「かわいらしいお嬢さんですね。……ところで、ウィストン伯爵はどうして? 失礼だが本日は招待は……」
「実は私とオードリー殿は婚約中でしてね。オルコット子爵にも頼まれまして、今日は彼女の同伴者として参りました」
「そうでしたか。それはおめでとうございます。当家自慢の料理人の味をじっくり堪能してください。ああ、ご紹介します。こちらはうちでお預かりしている令嬢で、ロザリンド・ルイス男爵令嬢です」
そこから、ロザリーはウィストン伯爵に型通りの挨拶をする。
さりげなく近づきながら、彼の体臭を嗅ぎ取り記憶する。役に立つか分からないが、自分にできることはこれしかないのだ。




