イートン伯爵家の夜会・2
「マデリン様、どうなさったの?」
兄嫁に声をかけられ、思考の海を揺蕩っていたマデリンは我に返った。即座に口元を扇でおおい、目を伏せる。
「いいえ、ちょっと。息子のことが心配で」
「バイロン様はお気の毒だわ。まだお若いのに……。でもマデリン様にはコンラッド様もいらっしゃいます。どうかお気を落とさないで」
「そうね、ありがとう」
病床の息子を案じる母親を演じながら、マデリンは再び考える。
医師の見立てでは、バイロンはもう長くはないそうだ。
バイロンは父親の教えを真摯に受け止める子で、貴族議員内での評判も良かった。あの子ならば、誰もが認める素晴らしい王になるはずだったのに。
バイロンが死ねば、自動的に権利は第二王子に移る。このままでは、あの憎い女の息子が王太子になってしまう。
マデリンの心を憎悪の炎が包む。あの女に、女の息子に、何ひとつとして渡したくはなかった。
ふと、前方の騒がしさに、マデリンは目を止めた。
賑やかに歓談している一団がある。中心にいるのは、イートン伯爵とバーナード侯爵だ。
「イートン伯爵のところに、腕のいい料理人が入ったそうですな」
「おや、侯爵、お耳が早い。ですが、彼は期間限定の勤めでしてね。その腕が惜しいので、引き留めているんですが、故郷に帰って実家の宿を継ぎたいのだそうですよ」
「変わった男ですな。伯爵家の料理人なんて栄誉を捨てて、田舎の宿屋を取るとは」
兄の政敵でもあるバーナード侯爵派の貴族たちが、「それはぜひ食べてみたい」と盛り上がっている。
食べ物に罪はない。マデリンも少しばかり興味がわいた。
「それは実に興味深いですね。私も食べてみたい」
凛とした声は、第二王子アイザックのものだ。人の目を引く、母親似の容姿をしていて、マデリンはそれも気に入らない。
「おお、これはアイザック殿下。是非に食べていただきたいですよ。そうだ。我が家で夜会を催しましょう。殿下にお運びいただくには狭い屋敷ですが」
「なにを言うんです。イートン伯爵。ご立派なタウンハウスじゃありませんか。その絶品だという料理、ぜひ食べさせていただきたいものです」
アイザックの賛同に、我も我もと賑やかさが増した。兄嫁でさえ、「あら……」と羨ましそうにそちらを見ている
「ええ。良ければ皆さま、ぜひお越しください。招待状を出しましょう」
イートン伯爵の声に、わっと歓声が上がった。
とはいえ、招待されるのはイートン伯爵が所属するバーナード侯爵の派閥だけだろう。
マデリンは扇で口元を隠したまま、その一団を見つめていた。
卑しい身分の伯爵邸の料理人がもてはやされ、第二王子にお近づきになるのが目的なのか、それとも単に噂の料理人の食事が食べたいだけなのか、ここぞとばかりにイートン伯爵の周りに貴族が群がっている。
「田舎育ちの料理人の腕前なんてたかが知れてますわよ、ねぇ、マデリン様?」
「ええ。そうね」
負け惜しみのように兄嫁が言う。マデリンも同じ気持ちだ。
兄の政敵である彼らの派閥が盛り上がるのはおもしろくない。
どう考えてもイートン伯爵はアイザック第二王子を今後の旗頭として行くつもりなのだろう。
(いっそ、その夜会で問題でも起きればいいんだわ。そうすれば、イートン伯爵の名もがた落ちよ)
思いついて、それが存外いい案だと気づく。
王宮よりも、伯爵邸の方が警備は緩い。そこでアイザック王子になにかあれば、イートン伯爵、ひいては彼の属するバーナード侯爵の派閥は痛手を受けるに違いない。
あとは、イートン伯爵の夜会に呼ばれる人間の中に、自分の手駒になってくれる人物を見つけることだ。
「まあ、マデリン様、どうなさったの?」
「え?」
「とても楽しそうな顔」
兄嫁にそう言われ、マデリンはすっと扇を広げ口もとを隠す。
「いえ。ちょっと楽しいことを思いついただけなの」
バイロンがだめなら、コンラッド。そのために邪魔なアイザックを始末する方法を。
*
イートン伯爵邸にたぐいまれな才能を持つ料理人がいて、彼の料理を披露するために、イートン伯爵が夜会を開くという噂は、あっという間に広がった。
そこには第二王子アイザックも訪問するという噂がたち、適齢期の娘を持つ貴族たちは、にわかにイートン伯爵と交流をもち始めた。
イートン伯爵は厳選して招待状を送った。その中には、オルコット子爵とは別に、オードリー・オルコット個人へ送られたものもある。
先日の愚息の訪問の礼とともに、ぜひ小さなお嬢さんも一緒に、と招待したのだ。
通常、女性や子供がひとりで他家を訪問することはない。ぜひパートナーをお連れくださいと書き添えてもある。
「これで、ウィストン伯爵が呼び出せると思うんだ」
ひと通りの内容をケネスから聞かされ、ロザリーはぽかんと口を開けた。
「どうしてですか?」
「オードリーは頭のいい女性だよ。こちらがわざわざそう書いている以上、意図は察してくれるだろう」
「なるほど。でもウィストン伯爵がザック様を狙うとは限りませんよね。アンスバッハ侯爵との繋がりもはっきりしていないんでしょう?」
「そうだね。だが、毒は明確に彼の手元にある。第二王子を狙うにも絶好の好機だ。ここで毒物事件が起これば、彼とアンスバッハ侯爵の関係を洗い出すことができるだろう。造幣局へ取り調べも入れるようになるし、ひいては金貨偽造の件でも立件できるだろう」
「なるほど。むしろ事件を起こしてくれた方が、すべての解明に繋がってくるということですね」
「そう。警戒すべきはウィストン伯爵だけなのだから、こちらも楽だろう」
バーナード侯爵の派閥に属する人間には、ザックを狙う利がない。だからその関係者はある程度省けるはずなのだ。
「料理を監修しているのはレイモンドだから、信用できる。ただ念のため、君にもいてほしいと思ってるんだ」
「はい?」
「仮にこの夜会でザックに手をかけようとするならば、調理済みのものにあとから手を加えることになるだろう。ここで君の鼻が生きてくる。食べ物から、料理人以外の香りがするときは特に要注意だ」
「毒見役の本領発揮ですね!」
ロザリーは意気込んで拳を握り締める。
ケネスは、少し離れた場所でカイラと話し込んでいるザックをちらりと見た後、片目をつぶって見せた。
「俺がこんなことを頼んだってことは、ザックには内緒だよ。君に危険が及びそうとなると、すごい勢いで怒るんだから」
「でも私、香りを嗅ぐだけですよ。本当に食べて毒見するわけじゃないんですから、危険なんてありませんが」
「それでも嫌みたいだよ」
くすくす笑いなら、腕を組んだケネスは、おもむろにロザリーの頬をツンとつついた。




