王都からの珍客・3
客もはけてきた午後八時半。レイモンドは深く大きなため息をつく。
「どうしたんですか?」
ため息を聞き取ったロザリーはふわふわの髪を揺らしながらレイモンドに近寄った。
食堂は大方片付いていて、残った洗い物をレイモンドがすすいでいる。
チェルシーとランディは先ほど「お先に」と宿を出て行ったところだ。
宿の客は、時折風呂に行く人間が出入りするくらいで、基本は自らの部屋にこもっている。
レイモンドはきょろきょろとあたりを見回し、ロザリー以外に人がいないのを確認すると、気恥ずかしそうに目をそらした。
「オードリーからの連絡が途絶えていてな」
オードリーはレイモンドの年上の幼馴染だ。
レイモンドは子供のころから彼女に恋愛感情を持っていたが、彼女は自身の上司である学者と結婚した。
が、夫は四年前に事故死。今は五歳の子供を持つ未亡人なのだ。
前回のオードリーの里帰り中に、レイモンドは長年の恋心を実らせた。
とはいえ、オードリーは世話になった亡き夫の両親に報告なしにここで暮らすわけにはいかないと、一度王都に帰って行ったのだ。
その後、手紙が一度来た。
内容は、夫の両親が反対していて、すぐに家を出ることは難しいとのことだった。
レイモンドはそれに対し、信じて待っていると返事をした。……が、そこからひと月ほど経っても返信が無いのだ。
「説得に難航しているなら、オードリーひとりに任せるのも違う気がしてな。俺も王都に行こうかな」
「はあ、でもお店はどうするんです?」
「親を呼び戻そうかと思ってる。大分ばあさんの調子も良くなったようだし、いっそ介護が必要な人間ごと連れてきてしまえばいいと思うんだ。宿なんだから部屋はある」
レイモンドの両親は、母の両親を介護するために隣町に行っているのだ。
ずいぶんと強気な発想をし始めたレイモンドに、ロザリーは驚いてしまう。
「……レイモンドさん、オードリーさんに会いたいんですね」
クスリと笑っていってみたら図星だったようだ。耳のあたりを赤く染めて、レイモンドは嫌そうな顔でロザリーを見つめる。
「そりゃそうだろ。……せっかく気持ちが手に入ったんだ。傍にいてほしいだろうが」
「そうですよね」
普段、淡々と厨房仕事をこなしていくレイモンドの照れた顔は新鮮だ。十以上年齢が上の人でも、そんな風に思うんだなと思うと少しほっとした。
好きな人には、傍にいてほしい。
それは誰もが持つ感情だ。ロザリーとて例外ではない。だから、ザックが王都に行くというのなら、それが必要だと分かっていてもやはり寂しい。
無意識にため息を出してしまったとき、切り株亭の扉がノックされ、ザックが顔を出した。
「ロザリー、仕事は終わったか?」
「ザック様」
「ちょっと出られるか? レイモンド、彼女を借りるぞ」
「ええ。ちゃんと送り届けてくださいね」
レイモンドはザックの正体には気づいていないが、ロザリーとの関係については薄々感づいている。恋人たちの邪魔をする気はないので、快く送り出した。
ロザリーはザックの少し後ろをついていくようにして歩いている。
昼間とは違い秋の夜の風は冷たく、ロザリーは身震いをした。冬が訪れ雪が降れば、アイビーヒルと王都の行き来はどんどん難しくなる。
「寒くないか? これを着るといい」
ザックは羽織っていた上着を脱ぎ、ロザリーの肩にかける。ふわりと香る白檀に、条件反射のように胸の鼓動が高鳴った。
「でも、ザック様が寒いです。風邪でも引いたら大変ですよ」
「俺は大丈夫。これでも鍛えてるし。それより、……あのな。急なんだが明日、王都に戻らなければならなくなった」
「明日?」
予想よりあっさりと切り出された本題に、ロザリーはショックを受ける。
いつかは戻るのだろうと覚悟していたがそんなに急だったとは。これでは思い出を作る時間も何もない。
返事をしようと思ったが、まるで喉が詰まったように声が出ず、ロザリーは泣きたい気持ちでうつむいた。
「そんな顔するなよ」
ザックの手が顎にかかり顔を上げさせられる。
泣かないようにと踏ん張ると、どうしても睨むような顔になってしまった。
「そんな……すぐなんですか」
「まあ、ここに来て一年以上経つ。十分のんびりさせてもらった」
ザックはふにふにとロザリーの頬を軽くつねる。優しい手つきに涙腺が決壊しそうだ。
思わずふっと自分から離れた。
「ロザリー」
「はい」
「できるだけ早く戻ってくる。だから待っててくれないか」
待つとはどういう意味で?
疑問に思った瞬間に、彼は左腕にロザリーのお尻をのせるようにして抱えあげた。
急に高くなる視界。うつむいていてもザックの顔がすぐ近くに見える。緑色の瞳がまっすぐにロザリーを見つめていて、見とれているうちに、唇をふさがれた。
「……ん」
いつまでたってもキスは慣れない。どう呼吸していいのかわからないし、離れてすぐに見えるザックの色っぽい視線に心臓が貫かれたような気分になってしまう。
いつもは照れたように視線を外す彼が、今日はまっすぐに見つめたまま、彼女の手を握った。
「俺は君を、いつか妻に迎えたいと思っている」
キスだけでも動転しているというのに、その熱いまなざしを向けられて、ロザリーはアワアワするばかりだ。
「でも、ザック様」
好きだと言ってくれた。ロザリーももちろんそれは嬉しい。
ただ、ザックは王子様だ。彼は気にしないと言ってくれても、辺境の男爵令嬢を妻にすると言っても誰も賛成などしてくれないだろう。
「分かってるよ。君はまだ十六だ。結婚なんて考えてもいないだろう。それはそれでいい。俺は待つ気もある。だけど、……俺がいない間にほかの男にかっさらわれるのはごめんだ」
だから約束が欲しいのだと、彼は言う。
どうやらザックが心配しているのは、ロザリーの心配とは別のことのようだ。