イートン伯爵家の夜会・1
月に一度の王家主催の夜会。
そこでいつも話題になるのは、第一王妃マデリンの衣裳の素晴らしさだ。
国の流行を牽引するように、彼女は月一の夜会には毎回違ったドレスで登場する。
特に本日の衣裳である深緑地に黒のレースが付いた妖艶なドレスは、マデリンお抱えの仕立て師に三ヵ月かけて作ってもらった、彼女が待ちに待っていたものだ。
最近はデビュタントの挨拶を受けるとすぐに退座してしまう夫に合わせて退出せざるを得なかったが、今日だけはごめんだ。この新しいドレスを世に知らしめたいのだ。
「マデリン様、こちらですわ」
兄に相談すると、兄嫁と行動を共にすればいいと提案してくれた。『王妃殿下が夜会に色を添えなくてどうする』と言って。
全く兄の言う通りだと思う。
マデリンにとって、兄は間違うことのない確かな道しるべだ。
王の妻となり、彼女は王国の第一王妃としての立場を手に入れ、望む限りの贅沢をした。なにせ王の子を産んだのだ。それも男の子を。それだけで、王妃としての務めは果たしたと言える。
(なのに、あんな女にうつつを抜かすなんて)
カイラ。元は下働きで、異国の血が混じった娘だ。
交易商だったという彼女の父親をひいきにしていた貴族が、彼女が両親を失った際、不憫に思って王城のメイドに推薦したと聞いている。それが夫の目に止まり、衣装係として取り立てられ……気が付けば腹に彼の子を宿していた。
その事実を知ったマデリンは、兄に夫の不実を訴えた。もちろん、人にばかり任せていたわけではない。ことあるごとにカイラへ嫌がらせをし、彼女を追い出そうと画策した。
すると彼女に地位をもたせようと、夫は彼女を第二妃として娶ったのだ。
『仕方ないだろう。王にはその権限がある。法で許されているんだ。こればかりは私も止めることはできない』
なんでも自分の望みを叶えてくれた兄が言う。
直系男子を残すための法だというが、この国にはちゃんと自分の産んだ嫡子がいるというのに。
マデリンの頭の奥で、何かがプツリと切れた。
カイラが憎い。カイラが産む子が憎い。居なくなってしまえばいいのだ。
マデリンは彼女を陥れるために手段を選ばなかった。
冷めた料理を運ばせたり、彼女の衣類に虫を仕込ませるといった、侍女を巻き込んでの小さな嫌がらせから、夜会中に彼女に男を差し向け、国王に疑惑をもたせたり。
しかし、元来メイドでおとなしい性格のカイラは、反応を表に出さない。国王に訴えるでもなく、ただ耐え忍ぶ姿に、マデリンのいら立ちは頂点に達した。
姿を見ているだけでも不愉快だ。そう考えたマデリンはついに彼女を殺害しようと思い立った。
自分がやったと知られずに殺すには、どうすればいいだろう。一番手堅いのは毒だ。出来れば、食してから時間のかかるものがいい。
だがそんな都合のいい毒があるだろうか。
マデリンは、視察と称して学術院へと行った。
毒の手掛かりが欲しくて、図書室へと向かう。そこで、一心不乱に本に向かう青年を見つけた。
正妃の来訪で沸き立つ他の人間たちとは違い、盲目的に目の前の学術書に向かう。それが、夜会でよく会うオルコット子爵の息子だと分かったのは、面差しがあまりにも似ていたのと、彼らから優秀な息子の話をたびたび聞かされていたからだ。
『お前、オルコット子爵のご令息?』
『へ? うええっ、王妃様っ』
今初めて存在に気づいたというように、ジェイコブ・オルコットは直立した。
『勤勉ね。専門は何?』
『こ、鉱物学です。ご存知ですか、王妃様。あなたの白い肌を彩るその宝石たちは、元はこのような岩石の塊だったのです』
空気を読まず自分のテリトリーに連れ込もうとするその強引な話術。
なるほど、オルコット子爵が『もう少し貴族の嫡男としての自覚を持ってほしい』とため息交じりに言っていたのも頷ける。まさに鉱物馬鹿、である。
『そう。では、今度私に宝石の話を教えてちょうだい。サロンを開くわ。そこにお前も招待しましょう』
『へ』
ジェイコブは、思いもかけない展開に言葉もない様子だった。
その後、サロンと称して親しい友人を呼び、宝石についての話をさせた。
『本当に宝石は美しいわね。でも、美しいものには棘があると言います。そんな表裏一体な話はないの?』
『そうですね。こんなのはどうでしょう。例えば銀。銀はヒ素と反応し変色するので、食器の飾りによく用いられます。ところがあるところで、銀器を使った王族がこぞって変死する事件があったのです。そうして調べてみるとなんと……』
『なんと?』
集まった女人たちが、息を飲んでジェイコブを見つめる。
ジェイコブは楽しそうに続けた。
『それは銀ではなく、輝安鉱と呼ばれるものだったのです。銀はそのもので存在することはあまりありません。化合物として存在するのが常です。そのため、銀と間違えて使用されてしまったんですね』
女たちは恐ろしさに悲鳴を上げ、扇で口元を覆った。
マデリンもだ。しかし彼女の場合は、口もとの笑みを隠すためだが。
そうしてマデリンは何度かジェイコブとやりとりをし、やがて味方につけた。
『その、輝安鉱というのを手に入れてごらん。調査にかかる費用は全部出してやろう。お前がやりたがっている鉱物の発掘のための費用も、研究費も、名目をつけて援助してあげましょう』
その代わり、輝安鉱を何に使用するかは聞かないように、という約束を、ジェイコブはあっさり受けた。もともと、自分の研究にしか興味のない男だ。
そうして、マデリンはひそかに銀に似た毒を手に入れ、それを使って、カイラを殺害しようとした。しかし、それを止めたのは兄だ。
『今カイラ殿を殺害したら、疑われるのはお前か俺だ』
『ですが! 私の王妃としての地位を脅かしているのはあの女です』
『いいからこれは預かる。カイラ妃のことは考えているから心配するな』
兄の言うことは、しかして正しかった。
間もなく、カイラ妃は離宮へとその居場所を移したのだ。
その離宮はあまり手入れがされていないことで有名だ。カイラが住み始めた後も、手入れされた形跡はない。人々の間で、国王の馬鹿げた寵愛は冷めたのではと噂された。
マデリンは安心して、夫の御渡りを待った。けれど、彼は一向にマデリンのもとを訪れない。
やがて風の噂で、カイラ妃が男の子を産んだと聞いた。マデリンの中に殺意が芽生え、ひそかに離宮へ人を送った。しかし実際には離宮には誰もいなかった。どうやらカイラは、陛下の命によりイートン伯爵領へと隠されたらしいのだ。マデリンには絶対に手出しができない場所へ。
マデリンは、夫を愛しているわけではない。
だが自分は第一妃で、大事にされるべき存在だとは思っている。王太子も産んだ自分がないがしろにされるのは許せない。
愛情とは違う執着が、彼女の中に生まれた瞬間だ。
いつしかなくなってしまったふたりの夜の睦言を、取り戻そうと躍起になった。
カイラを呼び戻せば、なにをするか分からないと言外に告げながら、女としての自分を放っておくのは夫の怠慢だと責めたて、彼を揺さぶった。
あまり言葉多く語ることのない王は、しかして意思の力だけは固かった。
膠着状態が数年続き、だがマデリンは妊娠した。王には、記憶のない朝が何度かあった。そのとき、隣には必ず正妃がいたのだ。
王は思い悩んだようだが、正妃の妊娠に疑いをはさむことはできない。そして思い立ったように、カイラとその息子を呼び戻した。
どういうつもりだったのか、マデリンには分からないが、彼女が戻ってくるとマデリンの興味は色事よりも復讐に向かう。
やがてカイラは心を壊し、国王との不仲も囁かれ始めた。彼女が離宮に引きこもるようになって、ようやくマデリンは心の安息を手に入れたのだ。
……王太子であるバイロンが、病に倒れるまでは。




