標的は誰?・2
ザックは、城の執務室で書類を目を通しながら、ふとケネスにといかけた。
「ところでレイモンドの様子はどうだ?」
「あー。とりあえずオードリー殿の手紙で少し復活してたかな。あと、クリスを心配していたな。人がいいって言うか……あれはいい父親になるね」
自分との子どもではないクリスに、あそこまで愛情をかけられるレイモンドの心情は、正直ザックには分からない。
ザックは侍女から取り立てられる程の寵妃であったカイラとの息子だ。それでも、実の父親である国王から愛情を受けた覚えはない。
父が愛情を向けていたのは、第一王子バイロンだ。そしてバイロンが病に倒れた途端、自らも何か糸が切れたように腑抜けてしまった。
(俺が父親になったら、父上のようになるのだろうか)
ふと、脳裏をロザリーがかすめ、不埒な想像をあの純真無垢な少女にしてしまったことに軽く落ちこむ。
「ところで、……造幣局にあったアレが毒を生み出すものだと仮定して考えてみたんだ」
ザックは気分を変えるように、これまで入手した情報を元に仮説を立ててみることにした。
「うん」
ケネスも書類仕事の手を止め、ザックの話を聞く体勢になる。
「入手経路はオルコット教授から。対価は金。硬貨製造の金属配合を変えれば金をピンハネすることは可能だから、ウィストン伯爵が毒物を欲しかった張本人だと仮定できる。……じゃあ、そうして入手した毒を彼はどうしたと思う?」
「まっとうに考えれば、使うか売るかだね」
「そうだよな。だが、王国警備兵に聞くとこの五年、毒物関係の事件は特段増えてはいないらしい」
「……へぇ? 君、そんな伝手持ってたのかい?」
「第二王子の権限はそれなりに使えるんだよ。特に今は兄上が病床で、父上もあまり政務に関わってこない。俺が積極的に動くことに、誰も異は唱えないんだ」
「アンスバッハ侯爵はなにも言ってこないのかい?」
「良くは思っていないだろうが、表立って動くなとは言えないだろう」
「それもそうか」
第三王子コンラッドはまだ学術院の学生だ。現在、政務に関われる王族は国王である父とザックしかいない。
建前として議会というものがある以上、仮にザックが勝手な行動をしたとしても、抑え込む手段は“議会の総意”を獲得するか、国王に直接諫めてもらうしかない。
そして、ザックは諫められる程、不穏な行動もしていない。
「まあ、その話はいい。とにかく、毒物を精製したとしても、使うなり高く売るなりするのでなければ意味がない。そしてウィストン伯爵に関していえば、使うという選択肢はないと思う」
「なぜ?」
断言したザックにケネスは片眉を上げる。慌てて、ザックが説明し始めた。
「彼の身辺を調べてみたが、特に憎むべき対象がいないからだよ。両親と妻はすでに死んでいて、息子たちはパブリックスクールで、それなりに成績優秀だ。本人は造幣局の局長。特に頭角を現している若手がいるわけでもなく、最低五年は局長の入れ替わりはないだろうと言われている。貴族議員の資格も持っているが、彼は中立派だし、第一党であるアンスバッハ侯爵の派閥ともそれなりにいい距離間で付き合っている。なにもかもが順調で完璧だ。――後妻として、オードリー殿を娶る話まであるのだから」
「危険を冒してまで、毒を扱う必要はないということ?」
「そう。金が目的かとも思っていたんだが、子爵家から多額の持参金が入るという話だっただろう。それを踏まえれば、敢えて毒を扱う危険を冒す必要はないと思うんだ」
敵の全貌も目的も見えないのは厄介なところだ。
危険を避けるために、無駄に警戒をしなければならず、かかる労力も半端ない。
だがケネスは納得しかねる様子だ。
「……でもさ。毒物騒ぎならあったじゃないか。他ならぬ、君にさ」
「は?」
そういえば、とザックは思い出す。
第一王子バイロンからもらった菓子に紛れた毒。自分を踏み台にしてでもお前を蹴落としたいらしい、と乾いた声で言った兄。
王族であり、身分の低い母親をもつザックは、幼少期から常に命を狙われる危険にはさらされていた。
毒を盛られること自体に、そこまでショックは受けてはいないし、死ななかったのだからよしと思ってすっかり忘れ果てていた。
「待てよ。だとすれば毒を使用したのは限られてくる」
「そうだね。まあ俺としては最初からそこが怪しいとは思っていたけれど」
「……アンスバッハ侯爵か?」
ザックとケネスは顔を見合わせ、ごくりと生唾を飲み込んだ。
*
午後、侍女に見舞いの花を用意させ、ザックは第一王子バイロンのもとを訪れた。
「兄上、ご無沙汰しております」
「……アイザックか。お前の神経はどうなっているんだ? よく俺のところに来ようなどと思う……ごほっ」
病床の兄は、相変わらず顔色が悪い。
とげとげした物言いも相変わらずだが、以前より精彩に欠ける感じがするのは、やはり体調が悪いからだろうか。
「必要な警戒をすればいいだけですからね。打ってくる手が分かれば、別に怖いことはありません」
「俺ではお前にかなわないと? 相変わらず生意気な弟だ」
吐き捨てるようにそう言い、バイロンは自ら半身を起こす。そして、なぜか彼は、部屋に控えていた侍女に出るように言った。
「わざわざ来るところを見れば話があるのだろう」
扉の前に衛兵はついているが、小声で話せば聞こえない。
敢えて話しやすい状況を作ってくれるのは、兄が――もうすべて諦めているからなのだろうか。
「助かります。ざっくばらんに話したかったのですよ。……単刀直入に聞きます。以前の毒入りの菓子は、誰の差し金ですか?」
バイロンは探るようにザックを見つめる。よどんだような瞳をゆっくり彼に向けた。
「聞いてどうする。不問にするつもりで、黙っていたのではなかったのか?」
「毒物の入手経路に見当がついたんです。その人物と王家筋との関連を確かめているところです」
そもそも、バイロンが口にできるものに手を加えられる人物は少ない。
バイロンは困り切ったように目を伏せた。
「悪いが……俺から口に出すのは憚られるな」
「……兄上、今国内の状況はよくありません。不良通貨が流通し、諸外国からの信用が落ちています。結果、平民市場に一番影響が出ているんです。これ以上、今の状態を続けていれば、やがて平民層から不満が沸き上がります」
バイロンの瞳に、少しばかり力がこもる。
アイザックはやはり、という気持ちになる。王太子として育ったバイロンには、国を守ろうとする矜持がある。
それはザックにはなかった責任と情熱だ。
アイザックには優しさも愛情もかけなかった父が、ひときわこの長兄に期待していたのも、彼を後継者だと認めていたからだろう。
「俺は、国を守るためにも、膿を取り除かなければならない」
バイロンは口もとを緩めると笑い出した。しかし、すぐに咳き込み、ザックに背中をさすられる羽目になる。
「大丈夫ですか、兄上」
「すまんな。あまりにおかしくて。一体どうしたことやら。俺の弟は国のことなど何も考えてなかったはずなのに」
それは心外だ、とザックは不満をあらわにする。
学術院を卒業して以降、国政のために仕事をしてきたつもりだ。
「そんなことは……」
「あるよ。お前はたしかに優秀だ。負けん気も強い。だが愛国心はなかっただろう。お前の母親を虐げ、お前に王子という枷を与えた王家というものを恨んでいたはずだ。お前が成績優秀だったのも、剣の技を必死に鍛えたのも、俺や俺の母上を見返してやりたいからで、国を思ってのものではなかった」
「う……」
それはたしかにそうだ。
ザックは王家に未練なんてなかった。
ずっとイートン伯爵領に帰りたかった。見せかけのきらやびかさよりも、伯爵家の温かさが欲しかった。




