潜入!オルコット邸・2
さて、いよいよオルコット邸に潜入する日である。
今日のロザリーはディラン先生の助手という名目なので、貴族らしさを排除したシンプルなワンピース――つまり、最初から自分が持っていたワンピースで臨むことにした。
「カイラ様、これでおかしくないですかぁっ」
「今日はあまり目立たない方がいいんでしょう? 十分よ」
みつあみに結った髪に、カイラがリボンを巻いてくれる。真っ白のシンプルなリボンだ。
「いい? ロザリーさん。下働きというのは意外と情報通なの。主人に忠実であれば口は堅く、そうでなければ口が緩くなるものよ。知りたいことの糸口はそこから得るといいわ」
「カイラ様」
「元下働きからの忠告よ」
カイラはあの日以来、以前より吹っ切れた言動をするようになった。無理に王妃らしい態度をしなくなったせいか、平民らしさがむしろ際立ってはいるが、前よりも元気そうに思える。
窓を開け、冷たい空気を一度部屋に送り込む。
冷えるけれどもすべてが浄化されるような感覚が好きだ。
(……あれ?)
昨日までと少し内庭が違う。
大きく違うわけではないけれど、全体的に整えられたような……。
(庭師さんでも入れたのかな。でもいつ?)
「ほら、ロザリーさん。そろそろアイザックが迎えに来るわ」
「あ、はい!」
カイラに追い立てられて、ロザリーは支度を整える。
それからすぐにディラン先生を連れたザックとケネスがやって来て、一行はオルコット邸に向かった。
*
オルコット子爵邸は、貴族街の中でも平民街に近い場所にある。
その日、第二王子が来訪するということで、屋敷の中は浮足立っていた。
「鉱物の資料の確認に来るらしいの。あまりあなたを人前に出したくないんだけど、こればかりは私達では分からないから頼むわね」
「はい」
オードリーは生気のない声で頷いた。
この数ヵ月。オードリーはほぼ軟禁状態だった。家を出るならクリスを預かると言われ、目を離すと本気で引き離されそうで、怖くて外にも出られなかった。
そのうちに、レイモンドには結婚の断りの連絡を入れたと義父母に言われた。さらに、彼はそれを了承したとまで。
信じられない気持ちが半分、だが諦めも半分あった。
レイモンドには休むことのできない仕事がある。結婚にこんなに困難があるならば、結婚そのものを煩わしいと思ったとしても仕方がない。
納得しようと自分に言い聞かせつつ、オードリーはショックで気鬱になっていた。
「ママ、大丈夫?」
クリスも心配なのか、あまり母親の傍を離れない。
とはいえ、子供をずっと家の中に閉じ込めておくのはよくないので、天気のいい日は子爵家のメイドに外に連れ出してもらっている。クリスは必ず落ちている変わった色の石や、道端に咲いている花を摘んできては、お土産、と見せてくれる。
昔から、夫の書斎にある図鑑を見ているのが好きな子だった。
こうやって行動を制限させている現状は、クリスのためにはならないとオードリーは考えている。
けれど、どちらに向かえばいいのか。
義父母の言うとおりにウィストン伯爵と結婚すれば、経済的には自由になるだろう。夫の友人だから、子供のことも大事にしてくれると思う。
けれどオードリーはレイモンドがいい。
今度こそ選択を間違えたくないのだ。
どうやったら監視から逃れて、クリスを連れてこの家を出られるか、考えては見るがいい方法が思いつかない。
やがて約束の時間となる。
「クリス、失礼があってはいけないから、おばあちゃんと居ましょうね」
「でも。クリスも王子様に会ってみたい」
「駄目よ。ほら、奥の部屋で遊びましょう」
「……すみません、お義母様」
追い立てられるクリスは、時折オードリーの方を振り返る。
ごめんね、と思いつつ、今は義母に任せることにした。
「奥様、そろそろお時間です」
「分かりました。失礼のないようにお迎えしないとね」
当主としてまず義父があいさつし、その後、内容の説明要員としてオードリーが対応することになっている。
オードリーは身だしなみを整え、玄関ホールに向かった。すでに義父が待っていて、オードリーに後ろに控えるように言う。
オードリーは頷いて彼の後ろに並んだ。オルコット子爵家は男尊女卑の思考が強い。夫はその中ではまだ、先進的な考えを持っている方だったのだ。少なくとも、子供ができるまではオードリーを働かせてくれたのだから。
「第二王子、アイザック様のお越しです」
頭を下げたまま一行を迎えいれる。王子と義父の間で挨拶が交わされる間に、ゆっくりと顔を上げたオードリーは、見知った顔に思わず息を飲んだ。
第二王子と言われた男性は、イートン伯爵領で会ったザックという男性だった。そしてその傍に仕えているケネスとロザリー。
ケネスの目配せに、知り合いだと言わない方がいい気がして、オードリーは黙って後ろに控えていた。
「書庫は息子の嫁がご案内しましょう」
「オードリー・オルコットと申します」
さも初めての対面のように挨拶をする。
「ケネス……様ですわよね。イートン伯爵の。私、イートン伯爵領の出身なのです」
「ほう、これは素晴らしいご縁ですね」
空々しく交わされるケネスとの会話に、オードリーは笑いそうになるのをこらえるのに必死だ。
それにしても、まさか本当に第二王子アイザック様が“ザック”だったとは。それに、なぜロザリーが今この王都に居るのか。分からないことだらけだ。
*
久しぶりにオードリーを見て、ロザリーは驚いてしまった。
もともと、それほどオードリーと懇意にしていたわけではないが、それにしても以前よりずっと生気が失われているような気がしたのだ。
書庫へと移動している間、オルコット子爵の相手はずっとザックとケネスがしている。
ロザリーはディラン先生とともに後ろをついて行った。もちろん、その間に子爵家の観察も忘れない。
子爵家は広い敷地を持っていた。玄関ホールから右手側にかつてのオードリーの夫の書斎があり、その奥に壁一面に本棚がある書庫があった。
ロザリーはクリスのにおいを探したが、今のところは残り香といった弱いものしか感じられない。
「今日お伺いしたのは、鉱物について調べたかったからです。先日、造幣局で見た鉱物が気になりましてね」
「鉱物に関する書物はこちらです。この国で発見されたもの、発見場所、性質等の記載があります。でも、量は膨大ですから、調べたいものを具体的におっしゃっていただいたほうが見つけるのは早いと思いますが。……ディラン先生もいらっしゃるなら、毒物関係ですか?」
水を向けられて、ディラン先生は髭を撫でつけながら、「さすがはオルコット夫人ですな。察しがいい」とほほ笑む。
オルコット子爵は、話が具体的になってくるとチンプンカンプンのようで、居心地が悪くなってきたらしい。
「オードリー、しばらく任せる。アイザック王子、調べ物が終わりましたら、ぜひ休憩していってください。舶来のお茶をご用意しております」
「これは、お気遣いありがとうございます」
ザックは笑顔で答え、出ていく子爵を見送った。




