王都からの珍客・2
ロザリーは慌てて、手ぶりでザックに隠れるようにと伝える。しかし、ザックは観念したような顔で頷いた。
「大丈夫。まずい相手ではないんだ。以前、顔を合わせたことがあるな。ええと、バーナード侯爵の私兵だったな。スティーブとアダムだったか」
「覚えていてくださったんですか! アイザック様!」
「シッ、その名で呼ぶな。彼女は大丈夫だが、他の者にはザックの名で通している」
ザックは小声でささやくと、ロザリーの隣の席に座る。
「俺を捜しに来たのなら、イートン伯爵家に申し入れればいいだろう。なぜここにいる?」
「それが……イートン伯爵があなた様を連れて帰りたいなら、屋敷に直接訪問するよりも、こちらのお嬢さんにお願いしたほうがいいと」
「伯爵が?」
「はは、父上が考えそうなことだ」
カラカラと笑うのはケネスだ。ロザリーは不思議に思って彼を見つめると、ケネスは楽しそうに続ける。
「ロザリー嬢。男というものはね、気になる女性に情けないところは見せたくないものなんだよ。君の前で、彼らの懇願を一掃することはできないだろう。ザックに直接頼んでも断られるだろうが、君を間に挟めば断らない。父上は俺の手紙の報告でそう判断したんだろう」
「ケネス、お前のせいか」
ザックはすごく嫌そうに顔をしかめる。
ロザリーは一歩遅れて、彼の気になる女性として自分が選ばれていることに気づき、顔を真っ赤にした。
「……分かったよ。話を聞こう。レイモンド、悪いが、空き室を一つ貸してくれないか。料金は払う」
「構いませんよ。ロザリー、案内してやって」
「はい!」
このふたりが、少なくともザックにとって敵ではないと分かったので、ロザリーは一気に気が楽になった。
足取りも軽く階段を上り、「こちらですよー!」とふにゃりと笑う。それをふたりは頬を緩めながら見上げた。
「……なんか、和みますね。こう、ふわふわとしていて」
「だよな。まるで妖精のようなお嬢さんだ」
ボソボソと言い合うのはスティーブとアダム。立場上、先に歩いていたザックは耳ざとくそれをキャッチし、ワザと階段の途中で立ち止まった。
すぐに止まれないスティーブは、ザックにぶつかり、「も、申し訳ございませんっ」と頭を下げ、そのために突き出たお尻が、彼の後ろにいたアダムを押し倒す。
「うわっ」
階段から転げ落ちる状態になったアダムは、したたかに腰を打ち付けた。
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄ってくるチェルシー。アダムは顔をしかめたままだが、ザックは素知らぬ顔で言う。
「ああ、大丈夫。こいつらは鍛えているから」
「やれやれ、君ちょっと心が狭すぎじゃないかい?」
呆れたように助けに入るのはケネスである。ロザリーだけが状況を把握しきれずに「何事ですか?」と小首をかしげた。
今日の切り株亭の客は大部屋に五人、個室に四組だ。ロザリーは自分の部屋の隣で、もう片側の隣も空いている部屋に一行を案内した。
ザックにまつわる話となれば、王家の機密事項もあるだろう。壁の薄い宿の部屋で、立ち聞きされては困る。
狭い個室にはベッドがふたつ。ザックとケネスがそれぞれ腰掛け、スティーブとアダムは向かい合うように立った。
「で、君たちが来るということは、バーナード侯爵の用件だよな? なにかあったのか?」
ザックが鋭い視線をふたりに向ける。
思いもかけずすぐにザックが話し出してしまったので、ロザリーは慌てて部屋を出ようとしたが、ケネスがそっと手を引いて止めた。
「ケネス様。私が聞いてちゃいけない話じゃないんですか?」
「君がいなくなると、途端にザックが大人げなくごねだすからここにいてくれた方がいいんだ」
ケネスは片目をつぶって見せる。
ロザリーは困ってしまった。自分がいてもいなくても、そこは関係ないのではないかと思う。
ふたりの会話を横目に、スティーブとアダムはザックの質問に答えた。
「お察しのとおりです。バーナード侯爵はぜひアイザック様に王都にお戻りになられるようおっしゃっております。最近、王都では小さなデモがあちこちで起こっております。市場に出回る作物も質が悪く、全体的に物価が上がっているのです。市民の生活はかなりひっ迫しています」
穏やかではない内容に、ザックの眉根が寄る。
「どうしてそうなった? 一年前まではそんなことなかったよな。父上は何をしているんだ? 調査委員会は?」
「国王様は最近すっかり国政への意欲を失っておられます。第一王子バイロン様のご病気が心配なのでしょう。政治はすっかり議会任せ。今はアンスバッハ侯爵が中心となって進めておられます」
「アンスバッハ侯爵か。第一夫人側だな」
アンスバッハ侯爵家は、建国当初からある由緒正しい家柄で、現在の当主は第一夫人の兄である。ザックにはつらく当たってきた人物でもあり、当然彼のことはザックは好きではない。ザックは学問も武芸も政治もそれなりにそつなくこなしたが、残念ながら聖人君子ではないのだ。
アンスバッハ侯爵が持つ権力に群がる貴族議員は多くいる。しかし、ザックが知っている一年前の時点で、アンスバッハ侯爵派は四十五%、バーナード侯爵派が四十%。そして中立派が十五%くらいの割合だったはずだ。
ちなみに、イートン伯爵もバーナード侯爵派だ。
「しかし、彼らが独断で政治を行えないくらいの議員数はバーナード侯爵派も持っているだろう」
「それが、最近中立派の一部がアンスバッハ侯爵派に流れておりまして。雪玉と同じようなものでして、ひとりが転がっていくと追従していくようです」
「で、劣勢となったバーナード侯爵が俺を呼んだということか?」
「アイザック様はまだお若く、お母上が平民階級ということもあって民衆人気があります。あなたがバーナード侯爵を支持してくださるだけで、若手の議員の多くはこちらに動きます」
「つまり、俺に客寄せになれということだな」
はき捨てるように言ったザックに、後ろに控えていたケネスは低い声を出す。
「言いすぎだよ、ザック。それに、このままアンスバッハ侯爵に権力が集中してはまずいことくらい君にもわかるはずだ」
ケネスとザックの間に緊張した空気が流れることは珍しく、ロザリーは不安になってザックを見つめた。
「まあ、君が逃げ出すというなら止めはしないけどね。それまでの男だったということだろう」
更に追い打ちをかけるようにケネスがいい、今度はザックが黙り込む。ちらりとロザリーに視線を向けたケネスは、茶化すように囁いた。
「ロザリー嬢、そろそろ戻っていいよ。つまらない話に付き合わせて悪かったね。ザックはいまだ負け犬のままでいいらしい。ああ、分かっているだろうけど、このことは他言無用で……」
「待て」
ケネスの話を遮るのはザックだ。
「分かっている。戻ればいいんだろう。俺だって国は大事だ。民が困っているというなら放っておくわけにはいかない」
「そうそう。ロザリー嬢に格好悪いところを見せるわけにもいかないだろう?」
「うるさい、ケネス」
急に朗らかに戻った二人に、ロザリーはホッとした。やっぱりケネスとザックはこうでなくては。
「では積もる話は伯爵邸でしよう」
いつの間にか、ケネスが場を仕切っている。
扉を開けて出ていくので、ロザリーはどうしたらいいか迷っていたが、とりあえず全員が部屋を出るのを見送ってから出ようと戸口に立った。
「ロザリー」
ザックはそんな彼女の頭をポンと撫でる。
「仕事が終わる頃、迎えに来る。少し話があるんだ」
「は、はい!」
緑色の瞳に見つめられて、ロザリーの心臓はぴょんぴょん跳ねる。彼が王子様だと知っても、失くすことのできない気持ち。ザックは受け入れてくれたけれど、彼がこのままイートン伯爵家でのんびり過ごすわけにはいかないことはロザリーにも分かっていた。
(王都に戻ったら、私のことなんて忘れてしまうかな)
彼の優しい手を信じたい。くれた言葉は永遠に続くものだとロザリーは思っていた。
けれど、何事にも期日はあるのだ。
ザックが、いつまでもアイビーヒルで休んではいられないように。
そう思うと切なくて、ロザリーはその後、仕事に集中できなかった。