手負いの王妃と造幣局の悪魔・4
「ごきげんよう、伯爵」
ぼそりと小さな声に、ロザリーが振り向くとそこには異国の女性がいた。
黒い髪に黒い瞳、肌の色は褐色とまではいかないが、白というよりは黄色がかっている。
美しい女性だ。この国の女性がよく着る、裾の広がったドレスではなく、体のラインを強調するような細身のドレスを着ていた。ふわり、香ってくる白檀で、この女性がザックの母親だとロザリーにはわかった。
「やあ、お久しぶりです。カイラ様。今日はうちで預かった令嬢を紹介しようと思いましてね。先日社交界デビューをさせたルイス男爵令嬢・ロザリンド嬢です」
「初めまして、カイラ様。お初にお目にかかります。ロザリンドと申します」
ぺこりと頭を下げる。と、カイラ様の手が震えているのが見えた。気になってちらりと上を向くと、カイラは呼吸を整えて必死に笑顔を作っている。
「……カイラです。よろしくね。ロザリンドさん」
高飛車な態度は少しもない。むしろ、頭を下げられることに恐縮している。
ロザリーの胸に不思議な感覚が沸き上がってきた。
この人は本当に、生粋の平民なのだ。田舎育ちのロザリーがそう思うくらいに。
よく言えば身分に驕らない謙虚な女性だが、悪く言えば、気弱で気品が無い。
少なくとも王妃という立場にずっと立っていられるような女性ではないのだ。
もしかしたら心を病んだのは、それが一番の原因なのかもしれない。
「このお屋敷、お花がたくさん咲いていて素敵ですね。私、イートン伯爵領よりさらに南西の田舎町に住んでいたんです。王都はにぎやかで楽しいですが、このくらい静かなほうが落ち着きます」
「……本当にそう思う?」
カイラの顔が一瞬ほころぶ。
「はい! このお花、なんて言うんですか? 私、お花好きなのに、名前をあんまり知らないんです」
「まあ、これは有名よ。冬咲きのクレマチス。白くて寒々しいと言われるけれど、私は好きな花だわ」
「そうなんですね。可愛いです!」
うつむくように咲く、可憐なクレマチス。それは、カイラのイメージと合っているようにロザリーには思えた。
カイラはふと思いついたように、庭先に出た。そうしてクレマチスを一輪摘み、戻ってくる。
「あの、よかったらあなたの髪を触らせてもらえないかしら。ふわふわしていてとても可愛いもの。このお花も似合うと思うの」
「え?」
ロザリーがびっくりしているうちに、カイラは「座って」とロザリーを椅子の前に連れてくる。そして、ロザリーのふわふわと広がる髪を掬い上げ、あっという間に編み込んでいく。そして最後にクレマチスの花を結び目に差した。
「ほら、どう?」
侍女が気を利かせて手鏡を持ってくる。
綺麗に編み込まれた髪に、ロザリーも思わずぱっと顔を晴れ渡らせた。
「すごいです! かわいい。私の髪、まとまりづらいっていろんな方から言われるのに……。カイラ様すごいですー!」
思わずいつもの調子でしゃべってしまい、はっとなって口を押さえる
すると、少し緊張していた様子だったカイラは、花がほころぶような笑顔を見せた。
「良かった。嫌がられなくて」
「そんなこと! カイラ様は器用なんですね」
「もともと侍女だもの。髪を結うのが好きだったの。王妃になってからはやめるよう言われてしまったけれど」
寂しそうに微笑むカイラに、ロザリーはなんて言っていいのか分からなかった。
「国王様の髪を整えるのも、服の準備も昔は私がしていたのよ」
「……そうなんですね」
もしかしてそれが馴れ初めなのかな……などと思っていると、黙ってこちらを見守っていたイートン伯爵がおもむろに立ち上がった。
「いやはや、案外すぐに打ち解けてくれたようでよかった」
カイラは、思い出したようにはっとして、かしこまる。
「申し訳ありません。お客様を放って」
「いやいや、今日はね、カイラ様。頼みがあって来たんですよ」
イートン伯爵はおもむろに手を広げ、笑顔を向ける。まるで何も隠し持ってなどいませんよと証明するように。
黙って見ていたケネスもそれに習ったので、ロザリーは不思議に思う。
「このロザリー嬢を行儀見習いとしてしばらくここに置いてほしいのです」
「この子を?」
カイラは一瞬、警戒するようにあたりを見回した。そして急に怯えたように体を自分で抱え込む。
「なにか……企んでらっしゃるの? 私はここでようやく安息を手に入れたのよ? もう政治には関わりたくないわ」
「落ち着いてください。カイラ様。……今のところはなにもありませんよ。ただ、未来永劫変わらないとは言えません。そのために、できることを今からしたいと言っているんです」
「……どういうこと?」
「この子は、鼻の利く子です。あなたの役に立つと思います」
「鼻?」
カイラは警戒を緩め、ロザリーを見つめる。ロザリーは安心させるつもりで、彼女から嗅ぎ取った匂いを指摘した。
「カイラ様からは白檀の香りがします。香木をお持ちではないですか?」
カイラは慌てて胸元を押さえる。そこに香木があるのだろう。行動も素直で分かりやすい。
「すごいわ。……どうして?」
「分かりません。ある日突然嗅ぎ分けができるようになったんです。でもだからこそ、お役に立てることもあると思うんです」
「実はね、ロザリンド嬢に、あなたの毒見係をお願いしようと思っているんだよ」
イートン伯爵がさらりと言う。するとカイラはさっと顔を青ざめ、ロザリーをかばうように抱きしめた。
「駄目です、イートン伯爵。こんな小さな子を毒見に使うなんて。なにかあったらどうするの?」
ギュッと抱きしめられて、ロザリーは不思議な気分だ。高貴な人には毒見係なんて当然のようにつくだろうし、今までもいたはずだ。
だからそんな庇われ方をするなんて思わなかったのだ。
「落ち着いてカイラ様。もちろん、本当に食べさせはしませんよ。嗅ぎ分けで判断してもらうんです。普段嗅がないにおいのものを教えてもらえるだけでも警戒はできますからね」
「でも……」
なおもロザリーを守ろうとするカイラは、背後からの物音に、振り向いた。
ロザリーも一緒にのぞき込み、そこにいた人物に驚く。なんと、ザックが立っていたのだ。




