手負いの王妃と造幣局の悪魔・3
ケネスとともにディラン先生のスパルタ教育を受けてかれこれ一週間。
つついたらすぐに抜けてしまいそうではあるが、とりあえずひと通り本には目を通し、ディラン先生が毎日持ち込んでくる植物や鉱物の香りを頭に叩き込んだ。
「明日はいよいよカイラ様のところに行くからね。クロエ、お前も一緒に来るかい?」
ケネスは朗らかにクロエに声をかけたが、彼女はそっけなく首を振った。
「やめておきますわ」
「またそんなことを言う。父上は本当はずっと前から君にカイラ様の話し相手になってほしいと言っていたのに」
ケネスは柔らかい笑みを浮かべたまま、やんわり苦言を呈したが、クロエは動じない。
普段のケネスに対するときの猫なで声を封印し、竹を割ったようなはっきりした声で言った。
「私とカイラ様が合わないのは、お兄様だって感じていらっしゃるでしょう? 私の言い方もきついかもしれませんが、あの方は必要以上に傷つきすぎだと思います。一緒にいて怯えさせているようでは、病状を悪化させるだけです。行くだけ無駄ですわ」
ぷい、とそっぽを向いてクロエは自室へと行ってしまう。
「やれやれ。……まあクロエの言うことも正論だけどね」
ケネスは呆れたように、だが優し気にクロエを見送った。
「ご病気なんでしたね。夢遊病でしたっけ」
「うん。俺から言わせれば不安病だね。カイラ様は自分の出自をひどく気にしていらっしゃるから。たかが伯爵令嬢のクロエにまでびくついているからね。ロザリー嬢は癒し系だから、うまくやってくれると助かるよ」
「はあ」
だが、ロザリーも今までに病気の人間を相手にしたことはないのだ。まして夢遊病という病気についてもあまり知識がない。会う前にそれだけでも知っていなければ失礼な気がしてきた。
「ケネス様。カイラ様の病気について調べられる本はありませんか? 基本的なことだけでも知りたいんですけど」
「お、いい兆候だね。じゃあ関連する本を後で部屋にとどけるよう、侍女に言っておくよ」
「……お願いします」
これ以上頭に入るだろうか、と心配にはなったが、ザックの母親に失礼なこともしたくなかった。
ロザリーはザックの力になりたいのだ。彼のたくさんある心配事のたったひとつでもいいから、解消してあげられたら嬉しい。
「頑張らなきゃ」
意気込みすぎて不安になったが、後ほど届けられた本には、該当箇所にちゃんとしおりが挟まれていて、なんだかんだ心遣いをしてくれるケネスに、ロザリーは心の底から感謝した。
*
イートン伯爵家の大型の馬車に、伯爵親子とロザリーが乗り込む。
今日はいよいよ、ザックの母親に会いに行くのだ。
かつて国王の寵愛を受けた侍女は、心を病み、今は離宮に閉じこもっている。後ろ盾のいない彼女の後見人となっているのがイートン伯爵で、月に一度はご機嫌伺いに行くのだそうだ。
「緊張することは無いからね。カイラ様は非常に気が弱いが、心根の優しいお方だから」
イートン伯爵が目を細め、温和そうな笑顔を見せる。
ロザリーは、まだ彼のことが掴めない。女性には紳士的でいい人に思えるけれど、ザックやケネスの話を聞いていると一筋縄ではいかない人のようだ。
「はい」
こくんと素直に頷くロザリーに、イートン伯爵はますます笑みを深くする。
「いやはや、うちの子たちとは違うタイプでかわいいね、ロザリー嬢は」
「父上、それは俺やクロエがかわいくないという意味ですか?」
「いや、お前たちもかわいいよ! 実の子はもう無条件でかわいい。ロザリー嬢も私の子供みたいなものだからね。とてもかわいい」
イートン伯爵は楽し気に続ける。彼のことはまだよくわからないが、子煩悩なことだけは本当な気がする。
「さあ、おいで」
イートン伯爵のエスコートを受け、馬車に乗り込む。
離宮と言っても、王都から一時間ほどしか離れていない。ほんの少し高台にある別荘地の一角にあった。
「これはイートン伯爵。ようこそいらっしゃいました」
「ご苦労さん」
イートン伯爵は顔パスで通れるらしい。
「離宮の警備はうちで雇っている人間なんだ。一応後見人だからね。細々したところを支援している」
「国王様は出してくださらないんですか?」
意外な気がして問いかけると、苦笑された。
「まあいろいろ難しくてね」
離宮は庭が広く、門をくぐってからが長かった。庭師も頻繁には入っていないのか、木々はうっそうと生い茂り、人の進入を拒んでいるような印象さえある。
出迎えてくれたのは、年配の侍女だ。イートン伯爵いわく、この屋敷にはあまり男性はいないらしい。
今は遠のいたとはいえ、元は国王の寵姫だ。誤解を避ける意味でも、なるべく女性だけで過ごさせているらしい。
イートン伯爵も、後見人という立場ではあるが、来るときは必ず妻か娘を伴って来ているのだそうだ。
「ようこそいらっしゃいました。イートン伯爵」
「今日は秘蔵っ子を連れてきましたよ。ロザリンド・ルイス男爵令嬢だ」
「初めまして、お嬢様。私はライザと申します」
侍女は深く頭を下げ、ロザリーに敬意を示す。話題を切り替えるようにイートン伯爵が声をかけた。
「カイラ様のお加減は?」
「相変わらずでございますね。どうぞお庭へ。お茶の準備をいたします」
ライザの顔が少し陰る。ロザリーはドキドキしながら、イートン伯爵の後について行った。
ちらりとケネスを見ると、相変わらず悠々とした様子でほほ笑んでいる。その心臓の強さが羨ましい。
「こちらでお待ちください」
ライザはそう言うと、テラスに設けられた茶席に三人を残し、戻っていく。
不思議と、テラスから見える部分にだけは、手入れが行き届いていた。薔薇を中心として季節の花が咲いている。今は冬のはじめで、花が少ない時期であるにもかかわらず、だ。
「素敵なお庭ですねぇ」
「カイラ殿は花が好きだからね。彼女が離宮に移ってすぐだったかな。常に花が咲くように国王様の指示で植えられたんだ。冬に咲く花もいくつか植えられていたはずだ。まあ、花よりも雪の方が綺麗だったりするけれどね」
何気なく語られるイートン伯爵の話には、かつての寵愛ぶりが伝わってくるようなものもある。
考えてみれば、侍女が国王に見初められるなんて滅多にないことだ。どんなふうに心を通わせていったのかは知らないけれど、相当に愛されていたんだろう。
何のボタンの掛け違いで、こんな風になってしまったのか。
「……綺麗ですね」
赤い花、白い花。ロザリーには名前も分からないが、こうして咲いている花はまるで、かつての蜜月を忘れないでというような願いにも見えて切なくなる。




