手負いの王妃と造幣局の悪魔・1
夜会を終えたロザリーたちがイートン伯爵邸に戻ってきたのは、もう使用人も寝静まったころだ。
執事とお付きの侍女たちだけが起きて待っていてくれて、寝支度の手伝いをしてくれた。
その日は直ぐ眠りにつき、ケネスとともにレイモンドを捕まえたのは翌日の朝食後だ。話を聞いたレイモンドは、口を押さえて考え込む。
「縁談? ……まさか本当だったのか。てっきり、俺に諦めさせるための虚言だと思っていたのに」
「子爵家に嫁入りしたとはいえ、オードリー殿は元々平民だ。子どももいる。こう言ってはなんだが、貴族の男には再婚するメリットはない。だから考えられるのは、オードリー自身を気に入ったか、子爵家からよっぽどの支度金を出す話になっているか……だね」
貴族ならではの視点でケネスが補足する。
「そこまでして、俺には渡したくないって言うのか。……くそっ」
子爵家の門さえくぐれない。呼び出してももらえないレイモンドには、まさになす術がない。
「しかも、相手は伯爵様か……」
ギリ……と唇を噛みしめるレイモンドに、ロザリーの胸まで痛くなる。
連絡が途絶えて、大事な切り株亭の仕事までなげうってここまで来た彼は、誰よりもオードリーを思っているはずなのに。
「レイモンドはまだオードリーに会えていなかったのかい? イートン伯爵家に勤めていると言えば多少心証は違うと思うよ」
「ここでの仕事は臨時ですし……、嘘はつけませんよ。【切り株亭】の料理人であることは俺の誇りですからね」
「変なところがまっすぐだから、君はいつも面倒をしょい込むんだと思うけどね」
ケネスは乾いた笑いを浮かべつつ、「まあ、レイモンドの料理を食べもしないで否定する輩には少しお灸をすえないといけないね」とこぼす。
その声に黒いものを感じたのは気のせいであってほしいとロザリーは思う。
「まあ、俺の方でも少し動いてみるよ。昨日、ザックもウィストン伯爵と話していたから、なにか知っているかもしれないな。今度会ったら聞いてみるよ。敵の情報を知るのは大事なことだ」
「お願いします、ケネス様」
かしこまるレイモンドに、「お礼はデザートでいいよ。今日はシフォンケーキが食べたい気分なんだ」
とさりげなくおねだりをする。
「さて、ロザリー。作法も大方身についたことだし、今日からは俺とお勉強だよ」
「ケネス様とですか?」
「そう。君が毒見役をこなすために必要なことだよ。先生をお呼びしている」
連れてこられたのは、広めの部屋だった。
テーブルがふたつ並べられ、太い本が何冊も積み重ねられ、鉱物や植物もいくつか置かれていた。
「これはこれは。可愛らしいお嬢さんですな」
「先生、お待たせいたしました。この子がロザリーです」
「ロザリンド・ルイスと申します。……ええと」
「ロザリー、こちらはディラン先生。毒物に関する研究をなさっている」
「毒……ですか?」
ディランは、優しい目をしたおじいちゃん先生だ。白いひげに丸メガネがよく似合っている。目を見開いているロザリーににっこり笑って見せた。
「そう。お嬢さんは毒にはどんなものがあると思う?」
「毒って……薬みたいなものだと思っていました」
「そうだね。薬も飲みすぎれば毒となる。お嬢さんはなかなか目の付け所がいい」
ディラン先生は一冊の本をパラパラとめくり、ロザリーに見せてくれた。
「例えばこれ、アサガオの種だが下剤としても使われていたことがある。だが非常に効き目が良くてね、今は危険物だから食べないようにと言われているものだ」
「そうなんですね」
「毒と薬は紙一重だ。ゆえに、毒を作り出すのは案外と簡単なことなんだよ。薬だという名目で用意されているものだって、用法を変えれば毒になりうるんだ」
なんだか、ものすごく怖いことを言われた気がする。
「ではつぎは、自然界に毒として存在するものがどのくらいあるか考えてみよう」
「植物には毒性のあるものもありますよね」
「そうだね。だがそれだけじゃない。例えば生き物も毒を持っている。ハチや蛇などの毒の話は聞いたことがあるかな?」
「あ、はい!」
「そのほかに鉱物にも毒はあるんだ。例えばこの硫砒鉄鉱。これそのものは無害だが、加熱すると猛毒が出来上がる」
金属っぽい光沢がところどころにあるけれど、基本、ただの岩に見えるそれが猛毒になるという。
「怖いですね」
「君には、ある程度の知識を、その植物や鉱物が発する匂いを覚えてほしいんだ。一応毒見役となるからには必要な知識だからね」
「え……もしかしてこれ、全部覚えろってことですか?」
ディラン先生の持ってきた書物は、とても一日で読み切れる量ではない。
「飽きないように俺もお付き合いするよ。さあ、頑張ろう、ロザリー!」
「う……は、はい」
一難去ってまた一難。せっかく社交界デビューが終わったというのに、まだまだ覚えることはたくさんあるようだ。