そして再会・2
デビュタントの挨拶が終わり、王族としての役目をとりあえず終えたザックは急いで大広間を出た。もちろん、ロザリーを探すためだ。
「君、イートン伯爵を見なかったか?」
「イートン伯爵ですか? 先ほどご子息と連れ立ってあちらの方へ向かわれましたが」
従僕が指し示した方向には、控室が並んでいる。休憩用や、少人数で密談をするときのために用意された部屋である。
本来、先客がいるときに入るのはマナー違反だが、そうも言っていられない。
何部屋かノックをし、聞きなれたイートン伯爵の声に「俺です。失礼します」と宣言し、返事を聞く前に中に入った。
中には、イートン伯爵とケネス、そして彼らの陰に隠れるようにロザリーがいた。
まず彼女がぱっと顔をあげ、「ザック様」と小さくつぶやく。その瞳にはまだ涙が盛り上がっていて、ザックは直ぐにでも彼女を抱きしめたい衝動に駆られ、手を伸ばした。
「なっ……」
「はい、ストップ」
それを止めたのはケネスだった。
明らかにロザリーを社交界デビューさせた首謀者である彼に対し、ザックの怒りが沸騰する。
「おまえっ、俺が危険だから連れてくるなってあれだけ言ったのに!」
「言ったねぇ。でも俺には今、君の指示を聞く義務はないし」
何食わぬ顔でそう言われて、今度はイートン伯爵に不満をぶつける。
「伯爵も伯爵です。俺に内緒にして後見人を引き受けるなんてひどいじゃないですか。しかも今日……大事な夜会だってことはわかってるでしょうに」
「わかってますとも。だがね、アイザック殿。愚息ではあるがケネスは私にとってはかわいい息子でね。ケネスに必死に頭を下げられると弱いんです。殿下も人の親になればわかりますよ」
「この親バ……」
思わず吐き出しそうになった暴言を、なんとか抑え込む。
緩やかな笑みを浮かべたままの伯爵は絶対におもしろがっているのだ。穏やかで領民に好かれるイートン伯爵が、実は結構な狸おやじだということは、幼少期からわかっていることではないか。
おずおずと恐縮した様子でロザリーが近づいてきた。
「ごめんなさい。ザック様。でも心配だったんです。どうしてもどうしても顔が見たかったんです。怒るなら私を怒ってくださいっ」
ふわふわの髪が、彼女のお辞儀とともに揺れる。
それだけで、ザックの胸は普段とは違う動きをする。会えて嬉しい気持ちと、怒りたい気持ちとが両天秤で揺れている。そこに、触れたいという思いが、天秤の外から力を加えてきて、まともに測ることさえできない。
本当は怒鳴って「アイビーヒルに帰れ」と言うのが正しいのだと、ザックは頭で分かっている。
だが、見上げてくる潤んだ瞳を見ていると、どうしても力が抜ける。それどころが、自分の心がホッとしているのが分かるのだ。
あんな風に言っては見たが、彼女が傍にいるだけで癒されるのは事実だ。ケネスには言いたくないけれど。
「ああもう!」
ザックは伯爵とケネスをかき分け、ロザリーに近づくと思い切りギュッと抱きしめた。
「危険だから来るなと言ってるんだ。君はバカなのか? 俺の周りには平気で命を狙ってくるような刺客だっているんだ。俺の気持ちが周りにバレたら、君は格好の標的になるのに」
言っている内容の割には、離すもんかとばかりに力を込めているザックに、ロザリーは困惑している。
ザックとしては心のままに動いているだけだ。触れたくて、でも怒りたいんだから仕方ないだろう。
「す、すみません。すみませ…ん?」
「本当に信じられない。危険も顧みず、こんなところまで……。もっとも信じられないのは、俺が君を目の前にしたら、嬉しいのが隠せないってことだ」
抱きしめられているロザリーには見えないが、ザックの顔は真っ赤だ。
「俺の言うことを聞かない君に腹が立つけど、嬉しくて仕方ない……!」
途端に、腕の中のロザリーはへなへなと力を無くして座り込んでしまった。
「どうしたんだ、ロザリー」
「す、すみません。ザック様だぁって思ったら、なんだか力が抜けちゃって……」
白い手袋で目尻を押さえていた彼女は、手袋についた化粧の色に慌てだす。
「どうしよう。汚しちゃった! ケイティ様が用意してくださったのに」
アワアワしながらうろたえる姿は可愛らしく、ザックはもう建前などどうでもよくなって彼女を抱き上げた。
「きゃっ」
「白い手袋なら俺から今度贈ろう」
「でも、お化粧落ちちゃったかもです。見ないでください」
「いやだ」
片腕で彼女を抱き上げたまま、顔を隠そうとする手を空いているほうの手で掴む。
「俺は怒ってるんだ。……なのに、会えたのがこんなに嬉しい。どうしようもない阿呆だ。ロザリー、俺は」
一度言葉を切って、頬を軽く染めたまま、まっすぐにロザリーを見つめる。
「君にずっと会いたかった」
心からの本心は、まっすぐロザリーに届いた。
「わ、私もです。ザック様。会いたくて会いたくて、仕方なかったです」
真っ赤になる顔がかわいくて、ザックはロザリーをギュッと抱きしめた。
王子であるザックの結婚相手に、ロザリーは不足だと言われるだろう。けれどザックは心に決めた。
彼女以外に、自分を癒してくれる女性などいない。なにがあっても彼女を離してはいけないのだ。でないと自分が自分を保てないのだから。
ザックが改めてロザリーの存在を噛みしめたその時。
「ゴホン。ケネス、我々はどうしようかね」
「そうですねぇ。無言で出ていってやりたいところですが、デビュタントの令嬢と男をふたりきりにするわけにもいかないでしょう、父上」
イートン伯爵とケネスがわざとらしく咳ばらいをする。ザックとロザリーはハタと気づいて慌てて離れた。
「いやいや気にしなくてもいいんだよ。俺たちのことは壁に描かれた絵だとでも思ってくれれば。ねぇ、父上」
「いやはや、アイザック殿の幸せそうな姿を見るのはいいものだよ。なぁ、ケネス」
ザックはがっくりと肩を落としてしゃがみこんだ。
「あれ、あれ、大丈夫ですか」と慌てだすロザリーは子犬のように寄り添ってくる。
(かわいい……)
どうしようもないなと自分でも思うが、ロザリーを前にするとザックは思考がバカみたいに単調になる。どんなに悩んでいても、一瞬頭からすっかり抜けてしまう。かわいくて、それだけでよくなってしまう。
(どうしようもない。これが王子で本当にいいのか……)
自分で呆れながらも、心が回復しているのが分かる。体にも活力がみなぎるようだ。
「大丈夫だ。とにかく、デビューしたからには君にも危険が付きまとう。なるべく俺とは距離を置いたほうがいいんだが……」
だが、ロザリーを前にして他の女性と同じようにぞんざいな扱いができるとは思えない。
思案に暮れていると、予想外なことを言い出した人物がいた。
「それに関しては、私に提案がある。ロザリー嬢を第二王妃カイラ様と引き合わせようと思っているんだ」
「母上と?」
「ああ、ふたりとも私が後見する女性たちだ。何かの折に出会っても不思議はないだろう?」
「それは……そうですが」
「ロザリー嬢は鼻が利くと言っただろう? 君にカイラ様の毒見係になってほしいんだよ」
イートン伯爵の発言は、ケネス以外には晴天の霹靂だった。
「え、えええええ?」
ザックとロザリーの揃った声が、廊下にまで響き渡り、通りすがる使用人は、一瞬眉根を寄せた。




