令嬢教育と王家の確執・5
一方、ザックは侍女にものすごくおびえた顔をされたことで、少し反省していた。
(そんなに恐ろしい顔をしてるのか?)
これは兄向けに用意されたという菓子だ、バイロンは言った。
だが、第一王妃の派閥が、バイロンを狙うはずはない。
だとすれば、この菓子は、もしザックが見舞いに来たならふるまうようにと用意されたものなのだろう。
病床の兄にそんな謀略の一端を担がせることに、とてつもなく腹が立つ。
決して仲がいい兄弟ではなかったが、兄は兄だ。元々王位に興味のないザックにしてみれば、兄が元気になって王位を継いでくれる方がありがたい。そうすれば自分は公爵位と領地をもらって引きこもることだって可能になるのに。
いら立ちで暴走してしまいそうな頭の片隅で、冷静な自分もいる。
やり口としてはうまい手だ。
そもそも第一王子のために用意されている時点で、主犯格を置き換えることもできる。
証拠はなくとも、動機があるのは第二王子サイドだ。こちらに罪をかぶせられないときは、第一王子を犠牲にするつもりなのだろう。
第一王妃サイドにしてみれば、王に立つのがバイロンである必要はない。第三王子コンラッドのほうが、能力的には落ちようとも、健康で聞き分けもいい。
ザックは再びのボディチェックを受けてからバイロンの私室に入室する。
「兄上!」
「……騒がしいな、アイザック。何度もなんだい」
「兄上のくださった菓子を食べた鳥が死にました。医者に診せれば、毒があるかどうか判明すると思います。兄上は、……俺に毒を盛ったのですか?」
コンコン、と咳をしながら上体を起こしたバイロンは、暗い洞のような瞳をザックに向ける。
一瞬怒りが引いてしまうほどのその憔悴した様子に、ザックは一度言葉を区切った。
「なぜです? 俺は兄上を邪魔する気はありません。むしろ、早く治っていただきたいと思っています」
バイロンは、ザックが一瞬ためらったことまで見て取って、馬鹿にしたように笑った。
「お前は変わらないね。直情過ぎて王には向かない。まあ、民衆には好かれるだろうが」
「兄上……。このことが公になれば兄上だって処罰されるのですよ。分かっているのですか?」
ザックの激高がさも面白いとでも言うように、バイロンは笑いだした。
「私に期待しているのなんて、今ではもう、お前くらいだよ。もうすでに、周りは私に見切りをつけている。母上も、伯父上も、いずれ死ぬのならば、お前を道連れにして、コンラッドのために、憂いを払ってやれと思っているのさ」
「そんなバカな……。第一王妃にとって、あなたは大事な息子のはずだ」
「手駒として、私ほど使えないものもないよ。本来、王太子として、母上の立場を盤石にするはずだったのが、この体の弱さのせいで、お前に王位を取られようとしているのだから」
バイロンはアイザックを見つめた。
かつて、その瞳には分かりやすくアイザックへの憎しみがこもっていた。幼少期から母親に、アイザックには負けてはいけないと言われ続け、常に闘志にあふれるまなざしを向けられてきた。だからこそアイザックだって、本気で勝ちを狙いに行けたのだ。成績でも剣術でも、本気で向かってきてくれればこそ、本気で蹴落とすことができる。
だが、バイロンは病気になって、もう競わなくていいと思った途端に、どこかホッとしたのだろう。今彼を見る瞳には熱はなく、ただ、終わりの近い生を受け入れている。
バイロンが解放された瞬間、母親である第一王妃は支援するターゲットを第三王子コンラッドに替えた。今やバイロンに期待されているのは、アイザックを共に堕とすということだけだ。
「私が毒を仕込んだと言いふらせばいい。私は使い捨ての駒だからね。母上は君が少しでも王位への欲を出した途端に、全力で阻止してくるはずだ。……お前、頻繁に手紙を書いているそうだね。出しているところは見ないそうだが、どうせイートン伯爵のところの坊ちゃんが絡んでいるんだろう? クロエ嬢との縁談が破談になったのは、実はカモフラージュなんじゃないのかい? 母上は、お前の相手はクロエ嬢かもしくは伯爵領でできた女じゃないかと勘繰っている」
ロザリーへの手紙のことか、とザックは息を飲む。
この言いぶりだと、まだロザリーを特定できてはいなさそうだが。
バイロンは口の端を少しばかり上げた。
「図星かな。お前は素直でいけないね。……母上を甘く見ない方がいい。君の母上と君への憎しみは尋常じゃない」
「兄上」
「最後の助言だよ。私は使い捨ての駒だ。どうなってももう構わない。どうせ、……生きられても一年がせいぜいだ」
全てをあきらめたような兄の姿に、ザックはショックを受けた。
ロザリーへの手紙は、自室か執務室でしか書いていない。出すのはケネスに頼んでいるから、バレるはずはないと思っていた。
それが知られているとすれば、侍女かたまに入ってくる文官の中の誰かが第一王妃へと情報を漏らしていることになる。
「分かりました。今後のことはケネスと相談します。……失礼します」
ザックは兄の寝室を出て、広い廊下を音を響かせながら歩いた。
ロザリーへの手紙はしばらくやめた方がいい。
もし自分が執心しているのが彼女だと分かれば、身柄を拘束するのは簡単な話だ。彼女は何の護衛もいない宿で、従業員として暮らしているのだから。
ザックは執務室に戻り、ケネス以外の人間を人払いした。
そしておもむろに手紙を書き始める。
「一体どうしたんだい」
止まらないペンを眺めながらケネスはザックに問いかけた。彼は、手を止めることなく、バイロンとのやり取りを語った。
「ふむ」
ケネスはしばらく黙って聞いていたが、「結局この毒入りクッキーのことはどうするんだい? せっかく証拠もあるところだけど」と問いかけた。
「これは内密にしておいた方がいいだろう。もし兄上が捕らえられたらことは大きくなる。まして俺に王位継承権が移ってきたら、動きづらくなるだけでなにもいいことが無い」
「まあ、そうかもね。でも警戒は強めておいた方がいいね。第一王妃は自身の子を盾にしてまでも君を殺そうとしていることはわかったわけだし」
「それと、ロザリーに手紙を出すのはしばらく止めようと思う」
ケネスの長いまつげがピクリと動く。
「なぜだい?」
「彼女に危険なことがあれば困る。しばらく連絡が取れなくなるという内容の手紙を書いたから、これを送ってくれないか」
封蝋が落とされた手紙を、ケネスは一瞥する。
「……俺は反対だな。むしろロザリー嬢を引き込むべきだ。うちで預かるよ。とっとと社交界デビューさせて、公式にお前と会う機会を作ったほうがいい」
「彼女になにかあったらどうする!」
執務机が強く叩かれ、羽ペンがインクツボの中で揺れた。
苦渋に満ちたザックの表情に、ケネスは唇をゆがませる。そこには、軽蔑に近い感情も入り混じっていた。
「俺は反対だね。守るために遠ざけるなんてナンセンスだよ」
「だが俺は王子だ。立場上ロザリーに引っ付いているわけにはいかないんだ。守り切れない!」
「君に守られるのを彼女が望んでるとは限らないだろう?」
「だが……!」
なおも言いつのろうとしたザックに、ケネスは呆れたため息を落とす。
ザックは怯んだように息を止めた。ふたりの間に、常にはない緊張が流れる。
「君はいつもそうだね。なぜ俺がアイビーヒルに逃げようと言ったのか、分かっていなんだろう。このままじゃせっかく取り戻したものがみんな駄目になる。……しばらく離れようか、ザック。今の君の側にいても、俺はなにも出来そうにない」
「……ケネス?」
「執務補佐は誰かを代わりに雇ってくれ。では失礼するよ」
「おい、ケネス!」
引き留める声も聴かず、ケネスは部屋を出て行った。ザックは信じられない気持ちで彼の消えた空間を見つめていた。
*
これが、ケネスがザックのもとを去るまでの一部始終だ。
ケンカ別れとはいえ、ケネスが自分のことを心配してくれていることくらい、ザックには理解できている。
ただ主張がかみ合っていないだけなのだ。
ザックはロザリーを守るために離れることを選び、ケネスは守りたいならそばに置けという。
それがかみ合う日が来るまで、ケネスと和解はできそうにない。
ザックは言葉を選びながら、心配顔の伯爵に笑顔を向けた。
「イートン伯爵が心配するようなことではありません。俺は今でもケネスを信用していますし、時が来たらまた側近として働いてもらいたいと思っています」
「そうかい。それならばいいけれど。私にとっては君たちは仲の良い兄弟のようなものだからね。ケンカされていると落ち着かないものでね」
「俺もです。早く、事態を収束させて落ち着きたいですね」
しかし、落ち着いた状態とは一体どの状態を指すのだろう。
一度はケネスに指摘されたそれが、今になって気になってくる。
ザックが最も望む状況は、王太子バイロンが健康になり、政治の舵を握ることだ。
けれど、この原因が病魔である以上、望みは薄い。
このままではおのずと王位が自分の手元に転がり落ちてくる。
そうなった場合、隣に立つ女性が安全である保障は一生訪れない。
ロザリーが立場の弱い男爵令嬢であることも不安の種だ。イートン伯爵が後ろ盾となってくれればそれなりの箔はつくが、アンスバッハ侯爵にかなうわけではない。
立場の弱い王妃がたどる苦難の道を、ザックは自分の母を見て知っている。ロザリーにそんな辛い思いをさせるのは本意ではない。
だとすれば、自分は一生ロザリーを遠ざけておくつもりなのか?
それが現実的な策ではないことに、ザックは自分でも気づき始めていた。