令嬢教育と王家の確執・3
荘厳なる石造りの城。昼間は議会が催され、多くの人間の出入りがあるが、夜は静かなものだ。
重臣たちとの個別の打ち合わせは、大体この時間に行われる。
第二王子であるザックことアイザック王子殿下は、執務室でバーナード侯爵とイートン伯爵の三人で顔を突き合わせている。
「夜会の招待状の手配が整いました」
「そうですか。ウィストン伯爵は来そうですか?」
「大丈夫でしょう。王家が主催する定例の夜会は、令嬢の社交デビューの場であるとともに情報交換の場でもある。ウィストン伯爵は、王都にいる間は必ず出席しています」
熱弁するのは、丸顔で血色のいいバーナード侯爵だ。
押され気味のザックは助けを求めてちらりとイートン伯爵を見るが、苦笑するだけで特に彼を抑える気はなさそうだ。
ここにケネスがいてくれれば、うまく話題転換をしてくれるのに……と思ってしまい、我に返って首を振る。
「となると王子にもパートナーが必要ですな」
楽しそうにバーナード侯爵が身を乗り出す。とはいえ、侯爵家の娘たちはザックよりも年齢が十ほど上ですでに嫁に出ているので、対象ではない。バーナード侯爵はイートン伯爵を振り返り、「君のところのクロエ嬢とはどうなっているんだ」と茶化す。
「クロエ嬢はただの友人です。パートナーはいりませんよ。王家主催の夜会なら、王子が出席するのは義務です。仕事と一緒です。ひとりで出ることに抵抗はありません」
至極まじめにザックが返すと、バーナード侯爵が苦笑する。
「相変わらず固いな。君のとこの、ほら、ケネス君か。彼がいなくなってから特にそうだ。アイザック様、もう少し雰囲気をやわらげないと人が寄ってきませんぞ」
それは事実として認識しているので、ザックは何も反論ができず黙っていた。
苦笑しながら助けに入ってきたのはイートン伯爵だ。
「まあまあ、ところでうちの愚息は一体何をやらかしたんですかな? ある日突然執務補佐を辞めたと言って帰ってきたので、相当に驚いたんですがね」
「執務補佐を辞めたのはケネスの都合です。俺が辞めさせたわけではありません」
「あいつもそう言っていましたがね。……なにを言っても聞くような息子ではないので、私も傍観していますが」
「ケネスにはケネスの考えがあるんですよ。今回、それが俺と合わなかっただけの話で……」
ひと月前、会話の行き違いからケネスが執務補助を辞めた。
代わりに入ってもらったリドル・コーナー男爵子息は、非常にまじめに仕事をしてはくれるが、完全なるザックのイエスマンであり、すべての事柄に対してザックは自分で精査し決定しなければならなくなっている。
考えなければならないことは、山のように積み重なっていくのに、負担は増えるばかり。
ケネスがいてくれたら……という思いは常に付きまとうが、ケネスはロザリーを王都に連れてこようとしていた。それは絶対に阻止しなければならない。
ザックは大きなため息をつき、王都に戻ってからこれまでの経緯を思い出した。
*
時を遡ること二ヵ月前。
ザックは久しぶりに王都に戻り、バーナード侯爵をはじめとする彼の支援者たちから歓待を受けた。
「お待ちしておりましたぞ、アイザック様。早急に相談したいことがあるのです」
「バーナード侯爵……」
王都に戻らなければならないきっかけを作ったバーナード侯爵には顔が引きつる。政務に精力的で、朗らかで、人に好かれる人柄なのだが、若干前のめりなところは否めない。それがバーナード侯爵だ。
「まず現状をお伝えしましょう。アイザック様が療養に入られる前までは、議会のバランスはアンスバッハ侯爵派と我が派閥が均衡を保ち、中立派が民衆の意見を反映させることで、政治はうまくバランスを取っていました」
「そうですね」
「それが、この一年の間に均衡が崩れていったのです。アイザック様が議会に顔を出さなくなったことにより、第一王妃の兄であるアンスバッハ侯爵を立てる者が増えていきました。議会では徐々にアンスバッハ派の意見が通るようになっていきました。加えて、国王様は国政への意欲を失っていらっしゃるのです」
「父上が?」
王都に戻ってから、ザックは父親とふたりきりで話していない。
長い療養期間をもらった礼は伝えたが、彼からは心配するようなそぶりも何もなかった。
以前から優しい父ではなかったので、そんなものかと受け入れていたのだが。
「最近、国王様は『アンスバッハ侯爵に任せる』の一点張りです。それを受けた中立派の議員たちがアンスバッハ侯爵派に流れています」
「過半数をひと派閥が持つのは良くないですね」
この国の政治は、貴族議会によって運営されている。
最終決定権は国王にあるが、いくら国王と言えども、議会で決定した事項を覆すことは難しい。つまり、この国で自分の政策を通したくば、貴族議員をどれだけ味方につけられるかが重要となっている。
現時点では、アンスバッハ侯爵が望んだ施策はほぼ議会を通ってしまう。
「それでもアンスバッハ侯爵も有能な政治家です。内政面で特に大きな問題は起きていません。ただ、私が不安に感じているのが、貨幣価値の下落です」
「貨幣価値?」
「他国での我が国の貨幣価値がどんどん下がっているのです。今他国品を輸入すると以前の倍近い値段になります。おかげでこれまで安価に入手できていた輸入作物は一気に値上がりしています」
「それは……あまりにも急な価格変動ですね」
貨幣価値が変動するのはいくつか理由がある。
例えば戦争が起きている国は貨幣価値が低い。国自体が存続するかどうかがまず危ういからだ。
政情不安に陥っている国も同じ事が言える。
だがこの国は近年戦争など起きていないし、国王と議会で二重に政治を精査する体制もとられている。
全く不安がないとは言わないが、対外的に見て政治不安ではないはずだ。
となると考えられるのは、貨幣自体に信用性がない場合だ。
「これを見てください」
バーナード侯爵が持ち出したのは、印字がずれた硬貨だ。
「なんですかこれは。まるでおもちゃだ」
「隣国に視察に行ったときに、あちらの外相から見せられたものです。このくらい作りの悪い硬貨が混ざっていることがあるそうで、硬貨による取引には不安があると言われました」
「それでしたら、造幣局に確認するべきでしょうね」
「もちろん確認しようとしましたとも。議会にかけた結果、アンスバッハ侯爵が視察したうえで、造幣局に注意喚起することになりました。けれど、視察結果は何の異状もなしと言われました。貨幣を作る際には、一定の割合で不良は出るものだから、それがたまたま海外の人間の手に渡ってしまったのだろうと」
国の第一人者が言ったとは思えないほど楽観的な見解だ。
ザックは眉根を寄せる。たしかに不良品は何を作ったにしても一定割合で出るものだ。が、それは再生成に使われるものであり、市場に出てしまったと言えば大変な責任だ。
もし造幣局に何の処罰もしていないなら、それはそれで管理の在り方を問われるべきことだろう。
それに……。
ザックはアイビーヒルでの記念硬貨事件を思い出す。
ザックが生まれる前から王位についていた現王は今年在位三十年を迎えた。その記念硬貨が発売され、多くの国民が買い求めた。
金貨だから劣化には強いはずなのに、王都で買ってきたという少年が持っていた金貨は、たった一晩で判別が難しいと感じるほど錆びていた。温泉場だったからということを考えても、おかしい。普通の金貨の配合ではありえないはずだ。
「……造幣局の局長は誰でしたっけ」
「サイラスです。サイラス・ウィストン伯爵。学術院を卒業してからずっと造幣局勤めで、五年前に局長に就任しています」
ザックは記憶を手繰ってみるが、顔も思い出せない。
「もう一度視察に行くことは不可能なんですか?」
「それが、一度視察が入ったことを盾に、YESと言ってくれんのです。ここは王子にウィストン伯爵と個人的に親しくなってもらったほうがいい。王子から個人的に頼まれれば、NOとは言えないと思うのですよ」
「親しく……ねぇ。しかしきっかけがないと。彼は中立派の人間でしたよね」
「そうです。そのための夜会ではないですか。頼みましたぞ」
この国では王家主催の夜会が月に一度開かれる。
農閑期に入るこの時期は、遠方の領土から社交界デビューする令嬢などが参加するため、常の夜会よりも参加者は多い。
「夜会ね……できれば避けて通りたかった手だな」
ザックは頷き、軽くため息をついた。