令嬢教育と王家の確執・2
その日の夕食は、ロザリーとケネスにとっては馴染みのレイモンドの料理が並んだ。
イートン伯爵はまだ帰っておらず、テーブルにはケイティ、クロエ、ケネス、ロザリーの四人がついている。
「いい匂いね。とてもおいしそう!」
クロエが嬉しそうに目の前の皿を覗き込んだ。単純な牛肉のステーキだが、添えられていたソースには飴色に炒められた玉ねぎが混ぜられていて、コクのある香りだけで、パンがひとつはいけそうな気がする。
食事前の祈りを済ませ、各々口にし始める。
一口食べたとたん、ケイティの眼の色が変わった。
「これを作った料理人は誰?」
「俺が臨時で雇っているレイモンドという男ですよ。母上」
涼しい顔で答えるのはケネスだ。ケイティは美しく丁寧な所作でありながら、ものすごい速さで料理の皿を空にしていく。
「は? 臨時ですって? さっさと正式に雇いなさい」
「それがなかなか難しいんですよ」
「難しいってなんなの? 値段交渉なら好きなだけ釣り上げていいわよ」
「金で動く男なら苦労していません」
ケネスも残念そうに言う。
この分だと、レイモンドがここでくいっぱぐれることはなさそうだ。
自分ばかりが客人の扱いになっているのは申し訳なく思いつつ、とりあえずレイモンドにも落ち着く場所が決まってホッとする。
「ロザリンドさんは明日から令嬢教育をするから。覚悟してね」
「え?」
ケイティはロザリーに満面の笑みを見せると、次はクロエに鋭い眼光を向ける。
「あなたもよ。この際だから教育し直しましょう」
「ええー? 嫌よ。私は別に夜会にだってちゃんと行っているじゃない」
「行っているだけでしょう。本気で結婚相手を見つけなさい。声をかけてもらえるのなんて今だけよ? あっという間に若い子にとって代わられるんですからね!」
妙に実のこもった言い方にロザリーは圧倒されたが、クロエのほうは全然だ。聞いているのか聞いていないのか、平たんな顔でやり過ごした後は、ポンと両手を重ねて美しい微笑みを見せる。
「そうなったら、この屋敷でずっとお兄様と過ごすのもいいですわね!」
「あなたたちは実の兄妹ですよ! ケネスだっていつまでも独身ではないんですからね。ねぇケネス」
「だといいですけどねぇ。あはは」
なにを言っても張り合いのない子供たちに、ケイティはほとほと嫌気がさしたようにため息をつき、気を取り直したようにロザリーを見つめた。
「絶対に、あなたを好きな人と結ばせて見せるわ! ええ、絶対よ!」
「あ、ありがとうございます」
半泣きのケイティに、過剰な熱意を向けられて、さすがのロザリーも引きつった笑いにならざるを得なかった。
食事を終えてからケイティとの約束の時間になるまでの間に、ロザリーはレイモンドに会いに厨房へと向かった。
メイド長と執事には紹介されたが、使用人ひとりひとりに顔が知られているわけではない。使用人たちは、見たことのない令嬢に不思議な視線を向けながらも、立ち止まって彼女が通り過ぎるのを待っていた。
「あの、厨房はここでいいですか? レイモンドさんを呼んでほしいんですが」
ちょうどでてきた白い調理服の男に声をかけると、驚いたように背筋を伸ばし、「な、なにかまずいことでもありましたか? こんなところまでお越しいただいて。失礼ですがどちらのご令嬢でしょう。料理人を部屋に向かわせます」と恐縮された。
伯爵家の客であるロザリーが、踏み込んではいけないエリアだったのだと今更のように思いながら、「いいえ。レイモンドは私と一緒に来た料理人なのです。こちらになじんでいるか様子をみたくて」と説明した。
これだとまるでロザリーがレイモンドを雇用しているようで申し訳ないが、今の立場上そう言わざるを得ない。
「はっ」
男はすぐさま厨房にもどり、すぐにレイモンドが出てきた。
レイモンドはすでになじんでいるようで、通りすがる料理人が「今度この料理を……」と声をかけてきた。レイモンドの背中に隠れて見えなかったロザリーに気づくと、はっとしたようにかしこまって去っていく。
ふたりは少し歩き、人けの少ない廊下でようやく腹を割って話すことができた。
「ああ、ロザリー。どうだった? 今日の料理は。素材もいいからうまかっただろう」
「もう……もうっ、最高でした。あの肉汁……! ザック様にも食べさせたかったですっ」
無意識にザックの名前が出てきて、ロザリーはハッとする。レイモンドは、そんなロザリーを優しく見つめていた。
「……大丈夫だよ。ちゃんと社交界デビューもさせてもらえるんだろう? ケネス様がいれば、そのうちザック様にも会える。お前のことは心配ないって思っても大丈夫だろ?」
安心したように言われて、ロザリーは申し訳ない気持ちになる。
無理を言って連れてきてもらったのに、自分ばかりいい想いをしているようで申し訳なかった。
「レイモンドさんは大丈夫ですか?」
「ああ。とりあえずはここで働かせてもらって、オードリーに会える機会をうかがってみるよ。オードリーだって、全く外に出ないってことはないだろうからな。クリスがいて、何日も部屋にこもりきりでいられるわけがない」
たしかに、クリスは好奇心旺盛な性格で、アイビーヒルにいたときも切り株亭の中にも、街の光景にも興味津々だった。
「そうですね。クリスさんがきっとオードリーさんを連れ出してくれます」
「だろ?」
かわいい年下の友達を思いだして、ようやく心から笑うことができた。
「俺は俺で、オードリーを連れ帰るために頑張るから、ロザリーも頑張れ」
「はい。ありがとうございます」
「なんてったって、失せもの捜しの令嬢だからな。ザック様だってすぐ見つかるさ」
レイモンドの軽口のおかげで、気が晴れてくる。
「頑張ります」
できることをやるのだ。王都くんだりまでやって来たのは、ザックの無事を確かめるためだ。
もし本当にケネスが言うようにザックが苦境に立たされているなら、出来る限りの力で頑張りたい。