令嬢教育と王家の確執・1
やがてノックの音がして、応接室にイートン伯爵夫人が入ってきた。
腰のキュッと絞られた流行のドレスを着こんだ彼女は、ふたりも子供がいるとは思えぬ若々しさで、皺ひとつ見当たらない。茶色の髪は高く結い上げてあり、ケネスの姉だと言われても納得できるくらいだ。
ロザリーは慌てて立ち上がって礼をする。ケネスはそれより一歩遅れてゆっくり立ち上がり、母親の手を取って迎え入れた。
「母上。紹介したい人がおります。こちらが先日話したロザリンド・ルイス男爵令嬢です」
「あなたが女の子を紹介する日が来るなんてね。これがあなたのお嫁さんだったならよかったのに」
イートン伯爵夫人は持っていた扇を力強く握りしめる。めり……と小さな音が聞こえて、ロザリーは慌てた。
「あのっ、ロザリンド・ルイスと申します。突然の訪問、どうかお許しください」
「あら、いいのよ。息子から話は聞いておりますわ。アイザック様のいい人なんですって?」
「い、いい人って」
かあっとロザリーの顔が真っ赤に染まる。
イートン伯爵夫人はふっと相好を崩し、ロザリーにソファに座るように促す。そして、照れているロザリーを生温かい目で見つめた。
その視線の意味が分からず、ロザリーはケネスと夫人を交互に見やる。
ほどなくしてメイドがお茶を持ってきて、出ていくまでの間、三人はなんとなく黙っていた。最初に切り出したのは伯爵夫人だ。
「私はケイティというの。名前で呼んでもらえたら嬉しいわ」
「あ、では私のことも、ロザリーとお呼びください。ケイティ様」
「素直ねぇ……。かわいいわ。アイザック様はこういう素朴な感じが好きなのね。道理でクロエではダメなはずよ」
ポソリとこぼされて、ロザリーはその意味を考える。
もしかしなくても、ザックとクロエの間に縁談があったことをうかがわせる内容だ。
ザックは二十二歳で、第二王子という立場から考えても、これまでに全く縁談がなかったとは考えにくい。加えてクロエは、ザックが懇意にし頼りにもしているイートン伯爵家の娘だ。むしろその縁談はあって当然と言える。
「母上、今更蒸し返さなくても。それに、あの話を先に断ったのはクロエの方ですよ」
ケネスがさらりと言うと、ケイティは盛大なため息をついた。
「そうだったわね」
ロザリーは、ザックとの恋は秘密にしなければならないものだと思っていた。なので、伯爵家のこのオープンな会話に、ちょっとドギマギしてしまう。
「聞いてちょうだい、ロザリーさん。ケネスといい、クロエといい、うちの子たちは全く結婚に興味が無くて。クロエなんて、旦那様がせっかくアイザック様にお話を通してくださったのに、『お兄様が結婚するまでは絶対に結婚しません』とか言い張って。あ……、心配しないでね。アイザック様とのお話は結局流れたのよ」
「は、はあ」
あっさり言われたが、ロザリーの心臓は激しく動いている。動揺するなというのは無理だ。
「つまりね、クロエを結婚させるには、先にケネスに嫁を見つけなきゃいけないようなのよ」
「俺はアイザックが落ち着くまでは結婚しませんよ」
さらりと返したケネスをひと睨みし、ケイティはロザリーの両手をギュッと握りしめた。
「ね? だからあなたとアイザック様にさっさとうまくいってもらわないと、私も困るのです。だから社交界デビューに関しては私にお任せなさい? 一流のレディにしてあげるから。頑張りましょうね。ロザリーさん」
「は、はいっ!」
「いやあ、これで安心です。母上ならば、きっと彼女をどこに出しても恥ずかしくない令嬢にしていただけると信じています」
満面の笑みのケネスを見て、既に自分はケネスの掌の上に乗せられていたのだと、ロザリーは理解する。
どちらかと言えば単純明快な思考の持ち主であるロザリーは、もう考えるのを止めた。
ケネスが何を考えて動いているかなんて、ロザリーに予測がつくはずがない。
だったら、彼を信じればいいだけだ。だってケネスは、絶対にザックを守ろうとするはずなのだから。
その後、別件で出かけるというケネスと別れ、ロザリーはケイティとふたりきりになった。
「あなたの部屋に案内するわね」
連れてこられたのは、二階の一室だ。アイビーヒルの宿の部屋よりも広い、ベッドと書き物机のある個室だ。ここを自由に使っていいと言われて、ビックリする。
「荷物はこれだけ?」
「は、はい」
「じゃあ、色々揃えないといけないわね」
荷物をひと通り確認したケイティは、メイドに言って、クロエの子供の頃の服を持ってこさせた。
年は一歳しか違わないが、身長はクロエのほうが十五センチ近く高い。ケイティいわく、クロエが十二歳ごろに着ていたドレスが、サイズ的にはロザリーにはピッタリらしい。
「こんなに素敵なドレス、いいんですか?」
「いいもなにもお下がりですもの。当座をしのぐためだけよ。デザインが子供っぽいから、あなたにはいずれもっと別のドレスを仕立てるわ」
「でも、そんなにご迷惑をおかけするわけには……」
たじろいでいると、ていっと手首辺りをたたかれた。仕草も笑顔もケネスそっくりだ。
「遠慮はいりません。これは伯爵家のためでもあるのよ。あなたを社交界デビューさせ夜会に連れ出すことで、ケネスもクロエも一緒に行かざるを得なくなるでしょう。結婚願望の薄いあの子供たちに、私はなんとかして良縁を見つけたいの。そのために使えるものは何でも使うわ!」
「は、はあ」
「特にケネスよ。アイザック様と仲がいいのは結構だけど、そろそろ身を固めて堅実に仕事をしてもらわないと困るわ。旦那様の立場だって考えてもらわないと。頑張りましょうね! ロザリーさん」
「は、はい」
己の目的に忠実なのは、イートン伯爵家に共通する性質なのかもしれない。
ロザリーがそう思ったのは誰にも内緒だ。