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蜘蛛の巣

作者: 比我 鏡太朗


 視界と意識を絡め捕られてる私もきっと彼の餌に過ぎないのだろう。彼女かも知れない。


 駐車場にいる猫が安息して思想と世界の理を解き明かす車の下の彼女の日常から梅雨の訪れと共に体に付いた湿り気やら不快な匂いを取り払う為に、日常から離れ梅雨のシーズンの到来をその背中に湛え、それは又彼女が私に心を開いたと共受け取れて、その影には私は彼女にとって恐れぬに足りぬちっぽけな存在に成り果ているのだということを暗示させているのであろうか。


 湿り気を帯びた暮れ泥んだ駐車場の端の民家の石垣と住宅街につづく狭い道に草むらが少し聳えており、そこに何時も止まっている黒いジープの下が彼らの定位置だった。


 昼休憩の夜食を買って車に戻るとやはり彼女はわたしの車と距離を置いて直角に設けられた駐車スペースに止まる車の下でじっと身を屈めて足の上に頭を乗せ前を向いたままだった。日が落ちた夏の青い夜は、彼女の視線の先を見据えられるほど明るくは無かった。


 今日は明かりが消えていた。彼女の車とその先にあるクルマが通れるほどの小道の先にアパートが窓を向けて面しており、何時も階段が黄色い照明に照らされている。私の止めた、店を少しはみ出した定位置の駐車スペースから、丘の上の邸宅の外観が良く見えた。といって何時も通りの時刻に利用する深夜に近い時間では、その家の色彩までは分からないが、無数にある大きな窓や横に面した小さな窓から明かりがうっすらと漏れているのが日常で、その観るからに立派な邸宅にはどんな家族が暮らしているのだろうなどと、ボンヤリ考えるのが常だった。


 きっと見るからに家柄の良い気立ての良いお嬢さんがピアノなどを弾いていたりするのだろうか、そんな在り来たりの事を思うと同時にその広さ故の不吉さの気配などを想像したりしている節も無意識に有った。TVドラマの世界のように、目立つその家にはそれだけでドラマが内在していそうな気を起こさせた。一生訪れる事の無い当たり前に存在する世界は目と鼻の先にいつも在った。


 

 駐車場から車を出そうとバックミラーとサイドミラーを確認すると、黒いジープの脇に猫が出てきていた。蒸し暑さやむさ苦しさを感じたのか、毛繕いをする丸い体が横目に写っていた。うっすらと茶色い体毛の何処にでも居そうな猫であったが、流石は物思いに更ける存在だけあり、威風堂々とちゃんと猫をしている。人間らしく振る舞えない人間も居ると言うのに。


 最初に彼と会った時、彼を見付けた時はその可愛らしい佇まいに心が癒される思いがした。最初に会った時から彼は、黒いジープの下の丁度真ん中で見晴らしが利くように屋根のギリギリまで顔を出してじっと正面を顔色を変えずに愛くるしく眺めているのだ。


 彼の考える事など私には分かりはしない。只、彼に餌付けをしようものなら私の中の彼の品位は駄々下がり、只の可愛らしい猫と成り果てて、そのしつこさと鬱陶しさに嫌気を覚えただろう。しかし、どうみても彼にはそれなりのプライドがあり、餌をあげたところで、心の底から懐いていないのをその顔と態度に顕して私を弄び虜にするかもしれない。そうなって、彼女に見捨てられてからでは遅すぎるので、餌付けなどは決してしないのであった。


 ふとした時には、つがいも現れ共に車の下に潜り込んでいたりするが、何となく偶々同じ屋根の下に集まっただけの中のようにも感じ取れる。鳴いている声を聞いた事は、此れまで何度か彼を見掛けているが無いのである。きっと、行き合っただけの者同士、程好い距離感の兄弟か友達か顔見知り程度の仲なのだろう。


 


 彼は、私が車をゆっくりと発進して向きを変えるときも悠然と脚で顔を掻いているだけであった。彼の少し横をバックで退かないよう注意しながら90度旋回させた車のヘッドライトが目と鼻の先の彼の背中を照らした。少しだけ迷惑そうな顔をその背中越しにくれながら相変わらず丸い背中のまま顔を掻いているのだか、脚を舐めているのだかしている。そっとヘッドライトを落として駐車場を出た。


 彼ら、正確に個体を見分けられてないが、一度彼らが車の下から這い出してまだ明るい時間に駐車場で寝そべっているのを見た気がする。気がすると言うのは、本当に明るい時間だったのか、只明るく感じただけの事なのかハッキリしないからだ。


 彼の全体を知っているのか、知っていると思っているだけなのかハッキリしないが、そのうちの一匹は、やはり野良猫らしい風貌で毛が所所千切れていたり色が汚れていたりして然もありなんという思いがして、当然の事を少し傲慢に残念がった。知的さが薄れた気がしたのだ。エゴイスティックに欲した姿では無かった。


 ところが、背中を預けた彼の体は、綺麗な艶を伴った品のある暗めの色調であった。然もありなんとマッチした情景に心の襞を擽られた。舐められたか信頼されたか、2つの対極を為す心情は1つの似た答えにたどり着き、それ故に愛には錨が価値を添えて重しを添えるのだろう。


 

 そんな交流を交えた1日の終わりに蜘蛛の巣と出会った。大きな主が肉付きの良い強者の風貌を茶色い体に漂わせ、アパートの階段を昇った突き当たりの通路の屋根に白い糸がおざなりな巣をしっかりと形成しており、その糸の主が大きな茶色い小さなタランチュラのような足の先までがっしりとした蜘蛛であることがそのダイヤのような巣が強靭な物であることを知らしめた。



 数秒間ギョッとする思いで意識を絡め捕られて視界を蜘蛛に奪われた。物体の世界に占める範囲、つまり生物の大きさという点で比べてしまえばあまりにちっぽけな存在に畏怖を感じながら、その恐怖により1日の終わりの沈痛で鬱々とした気分さえ大きな蜘蛛の餌食と為った。この階には、奥の部屋に中年の女性が住んでいたが、果たしてこの巣と蜘蛛を見てどう思うだろうか。


 蜘蛛の巣は、階段の突き当たりの屋根を支える鉄柱の間に設けられており、それは私の住む部屋とは反対方向に位置しており、私には害は無いものであった。


 そんな蜘蛛の存在に、日頃思いも馳せない一度顔を合わせただけの住人に思い巡らされるのであった。


 人が便利さを追求して無駄を省いた世界で小さな虫に他者の存在を意識させられたのは非日常的人間の営みの中の悠久の存在の織り成す日常だからか。つまり、蜘蛛によって普段省みない目と鼻の先にいる人間の存在に気付かされる、教えられたのです。


 その巣は、日毎に大きくなり、見事な丸い円を描いて堂々とその円の中心に居座る蜘蛛は、欲が深いらしく、円を拡大すると共に厚みを持たせた。円の外に円を描いて立体的で強固な巣へといつしか変貌していた。

 最早、誰がどう見たとて、大きな巣が通路に存在し、それを無視する事など不可能であった。背が小さい者なら、そのまま辛うじて通れるが、大の大人はしゃがまなければ引っ掛からずには通れそうにない。それを見て思った。奥の住人は引っ越したのかもしれないと。


 『引っ越した? 』そう蜘蛛に訪ねてみると、


 『私がその人よ。』と言ってきた。

 

 然もありなんと思った私は、おやすみなさいと告げて部屋へと帰宅した。


 こうして、毎夜旺盛な食事に励む彼女の放埒な姿を眺めることが日課に成り、疎遠だった近所付き合いが活性化して私の生活に彩りを添えた。彼女の巣の回りでは多様な姿形の小さな蜘蛛達が活発に動き回っていた。


 何かプレゼントを授けようと思った私は、彼女の部屋の前に子猫の入った段ボールを置いておいた。


 その夜、私は初めてあの猫が鳴くのを聞いた。思ったより、猫らしく鳴くので詰まらないと感じながらも体が熱を帯びていった。


 毎夜、毎夜彼女の巣は大きく張り巡らされていき、次第に彼女の部屋がある通路の先さえ見えなく為るほどに膨らみその幾何学的な白い幾重と積み重なった糸は、吸い込まれそうな程見るもの心を奪い、その体を絡め捕って行った。その純白の模様の奥にこの世の物とは思えない美しく甘美的で魅惑的で危険な存在が潜んでそうでその白い糸先に指を伸ばすのであった。その感触に身震いしながらもゾクッとする快感の向こう側に待つ物に手を伸ばし込んでいくと、優しく何本もの手で誘われて奥へ奥へと運ばれていった。白い視界の先でたわわに膨らんだ艶やかで恐ろしい物に視線を朧気に奪われる。


 ガチャ。

男は、自分の部屋と一部屋隔てた奥の部屋の扉を開けた。

 


 

 蜘蛛の巣。最早、誰が仕掛けて何の為の巣かも分からぬ資本主義という無目的な世界は少しだけ蜘蛛の巣のように思えてしまい、この世のありとあらゆる処に様々な蜘蛛の巣が存在して無知な私達は絡め捕られてしまう。食うことも忘れた蜘蛛が残した巣によって。







 

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