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メガイラ  作者: 高村
7/16

7/郷田彩香の視点、唐突な凡ての終わり

 西川志乃からの電話があったと、父が言った。

 灰色の空に春の気配はなく、強靭な風に華奢な水仙の花は身を縮めている。外は寒いのだろう。今日は家で過ごしたいと、ちらりと思った。

 私は青いコートを羽織って家を出る。美術館の裏手、私たちのお気に入りの教会へ向かって歩いた。綺麗な庭を彼女が気に入り、清潔感があってがらんとした聖堂を私が気に入った。やはり風は強く冷たく私の頬を斬りつけた。私は少しだけ暗い気持ちになる。何故こんな日に?

 彼女から連絡があることは滅多にない。親しい付き合いを初めて二年近くになるが、彼女から連絡があったことは数えるほどしかない。なぜ急に?なぜこんな日に?父の態度にも微妙な違和感を感じた。

 私は膨らみ始めた嫌な考えを振り払う。何の問題もないはずだ。情けないほどにそう繰り返し思う。問題は何一つない。私の世界は完全であり、私は何も間違いを起こしていないのだから。

 美術館が見え、その脇の駐輪所を抜ける。青い自転車の灰色のグリップに、桃色の警告がしがみついていた。椿の首が足元に転げてきて私はマルグリット・ゴーディエの死を思い出す。また少し憂鬱になり、また不吉な予感を葬る。

 西川志乃は聖堂で缶のミルクティーを飲んでいた。私には缶のコーヒーが買ってあって、それをくれた。私は礼を言って口に含む。食道の壁を熱い液体が落ちていく。彼女の黒い靴はぴかぴかに磨かれていて、そこから真直ぐに伸びる華奢な脚を護る誇りの表れのように見えた。私はいつも彼女の身に付けているものの美しさと正しさに溜息をく。

 「どうしたの?」

 温かいコーヒーのお蔭で落ち着いた私は訊ねた。

 「今、私の中に郷田智博の子供がいる」

 彼女はさらりと言った。私はその言葉に理解が及ばない。

 「は――」

 「郷田智博の子供」

 彼女は私の手に触れる。彼女の手は死体のように冷たい。乾いて細い、凍るような手は、私の掌を彼女の腹部にいざなう。

 ここに。

 彼女の唇はそう動いたが、私にその声は聞こえない。

 きみのきょうだいだよ。

 わたしのなかに、きみのきょうだいがいるの。

 「彩香」

 死人の指が私から放れて、私の耳に音が帰ってくる。

 「なに?」

 黒曜石のひとみは私の内側を見透かす。私はその視線に己を恥じる。あぁ彼女は魔物だと思う。私は目を逸らせた。

 「これでさよならだよ」

 ほら、やっぱり嫌なことがあったじゃないか。

 何が?彼女と父が関係していたことが?彼女が別れを告げたことが?何が嫌なことなの?

 「さよなら」

 「そう、さよなら」

 午後からは雨が降るから早めに帰った方がいいと彼女は言って、聖堂を出た。こつこつと靴音が響いて、音もなく扉を開けて閉めて、彼女はいなくなった。

 午後からは本当に雨が降った。私は青いコートを群青に染めながら家に帰る。家には父がいる。私はどうすべきなのかと考えようとしたが、何の考えも浮かんでは来なかった。

 家に着くと、父が死んでいた。

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