3/郷田彩香の回想、西川志乃の正体に対する考察、西川志乃の登場へ
西川志乃がそこにいる時、世界はまるで彼女のもののようだった。それほどまでに彼女の存在感は圧倒的であり、彼女の在り方は堅固なものだったのだ。
私は何度となく、何が彼女の存在をそれほど確固としたものにしているのかと考えてきた。しかしまだ答えは出ない。
とにかく、西川志乃の存在は良くも悪くも特別だった。彼女は誰に対しても、まるで引力のように、同じように影響を与えた。彼女に憧れる者もいた。或は、彼女を憎む者もいた。誰でもそうではある。必ずしも嫌われない人間はいない。同じように必ずしも好意を持たれない人間もいないだろう。でも彼女は、その振れ幅が大きすぎた。
理由の一端としては、彼女が目立つ存在だと云うことがあるだろう。西川志乃は、文句のつけようのない美少女だった。それは本当に、綺麗な形の肉塊なのだ。
綺麗であるということは大変なことだ。ただ存在しているだけで幻想を呼び、武器となり、価値となり、厭われる。けれどそれは事実として変わらない。どう見ても他人に勝っている。他意はないのに曲解されることだってある。苦しい。だから彼女たちには、どこかで歪みが生まれるのだろう。西川志乃にだってそれはあるはずだった。たとえそれを私が探し出せなかったとしても、どこかにそれはあるのだ。
私は彼女と会うとき、いつもそれを探していた。なのに彼女の歪みを見つけられなかったのだ。
西川志乃は独特な匂いがした。両親に愛情もお金も注がれて育った人間のようでもあるが、それにしては生々しすぎる。それでも、どうしても満たされてきたように感じられたのが不思議だ。一度彼女とそういう話をしたことがある。彼女は自分のいる、また過去いた環境について明言はしなかったが、自分はずっと飢えていたと言った。それが彼女の歪みだったのだろうか。私には、解らなかった。
彼女は聡明な人間だった。巧妙に本心を隠すくらいの事は、彼女とっては簡単なことだろう。恋人の家に向かう女のように、自分の匂いを自在に作り上げるくらい容易いのだ。
彼女との初めての会合は友人の手によるものだった。
友人が、紹介したい人がいると言ってきたのだ。兄の恋人である。学年は自分たちと一緒で、とても綺麗な子だ。頭も良くて、すぐ近くの学校に通っている。私と同じ、デュマ・フィスの椿姫が好きだと言っている。きっと話が合うだろう。そんなところだった。
椿姫が好き、ということに私は興味をひかれた。私は父に借りて以来、この小説が気に入っている。残念なのは父以外にこの物語について話せる相手がいないということだった。だから私は、この話にのってもいいと思ったのだ。
私は間もなく彼女と会った。彼女はペイルグリーンのネクタイをして、黒のブレザーを出来すぎたマネキンのようにかっちりと着ていた。スカートのひだはおろしたてのように正確で、ワイシャツも今さっきアイロンをかけてきたようだった。髪まで、美容院で丁寧に切り揃えてきたように見えた。黒く真っ直ぐな髪が、私はとても羨ましいと思った。身長はあまり高くなく、160ちょっとのようだったが、細身のためにずっと高く見えた。肌はあくまで白い。そして彼女はよく口を閉じたまま笑った。
今でも、初めて聞いた彼女の声をありありと思い出せる。
初めて彼女と会ったとき、駅の喫茶店で彼女は私に言った。
「初めまして、郷田彩香さん」




